あるとない 2025.1.25
マクドナルドでテキストを書いていた。二日連続でサイゼリアだったので、さすがにお店を変える。そもそも、外でしか書けないわけではないのだけれど、ギリギリまで作業してすぐに劇場に行けるのでレポートは近辺で書くのが自分の流れになってしまっている。自分で意識的に作り上げた習慣と、気がついたらそうなっていたという無意思的習慣があるとするならば、これはほぼ無意思的な習慣だ。気づいたらそうなっていた。
昨年の11月、約1ヶ月の釜山での滞在制作の際、創作が始まる最初の段階で朝のプログラム、開始時間、夜は稽古をしない、休日を事前に固定化するということを事前に設定した。演劇は一人で創作するわけではないので、滞在制作となると生活まで共にしている人もいる。だからこそ、これから過ごす1ヶ月予定をその日ごとに決めるのではいつか苦しくなると思った。結果的にそのことが大変な救いになった。しかしそれと同時に、また別の無意思的な習慣が自分の中で出来上がっていた。それは朝の稽古の開始時間の前に、必ずレジデンスの近くのマクドナルドで作業をするという習慣だ。1ヶ月であんなにも多くの時間、頻度、マクドナルドにいることは人生で初めてだった。朝8時頃、ホットコーヒーを注文し、いつもの先に座ってノートを開く。前日の稽古のふりかえり、今後の方向性、その日の稽古内容の決定。ほぼ例外なく、毎日続けられた。海外に来てまで毎日マクドナルドかよ、というのは勿論あったがリズムが固定化され、迷わずに済んだこと。細かな思考を放棄できたのが良かった。健康のことを気にしなければ、大丈夫。
今日は劇団きららの宗真樹子さんの日本舞踊のWSからスタート。アシスタントに大城さんに入っていただき、濃密な120分。日本舞踊を俳優が習おうとすると時の敷居の高さなどもあるらしく、今回のWSでは様々な舞台に出演されてきた宗さんの進行ということもあり、日本舞踊にお試しで体験できると共に、現代演劇における演技にも応用可能で多様な表現に活かせる内容となっていた。
着物や浴衣での見慣れないWSのスタートということもあり、最初は参加者の間に緊張感も漂っていたが、宗さんのある意味で舞踊のような、歌うような場の進行もあり徐々に緩やかな空気になっていく。演者にとって苦しい姿勢が美しさに繋がっていること、見立て表現の粋や野暮、平面的で綺麗にまとまった始末の良い、ある意味でスーパーフラットな日本的美の不思議を体感でき、個人的には沢山のことが言葉にされ共有されていくことに、ワクワクした。最も印象に残ってグッときたのは、舞踊が意味のある動き(物語)と意味のない動き(技)の組み合わせてできているんだという話。
レクチャーが終わると、参加者がグループに分かれて、今日習ったことを活かして現代的なことを舞踊表現として発表する。どのグループもアイデアが突飛で、WSの内容も十分に活かされていて、これもWSならではだと感じる。そして最後に宗さんが振り付けてきた踊りをみんなで踊り、礼。終了。
WSが終わり、宗さん大城さん、そして参加者として来てくれていたお久しぶりのキスコさんと共に民話を題材にした台本を読んでみる。いろんなお試しが瞬発力を持ってできるのが、プレプレイプレイス。次に繋がる出会いがここにもある。
夜は晩御飯をもとめて街へ。
山田さんが肉肉うどんに行ったことがないらしく、妹さんに勧められていたのだそう。ということで、商店街の肉肉うどんを目指す。
「肉肉うどんビギナーですか?」
「あ、私が肉肉うどん食べたことないってレポートに書く気だ、、、」と山田さん。
はい、その通り。タッチパネルで注文、生姜の量は迷って二杯。甘ダレからあげ、トッピングのレンコン。しかし、喋るのは演劇の話。いつものこと。
劇場に戻って、夜。
真吉パフォーマンスの構成や音楽の有無に関してディスカッション。動きながら擦り合わせる。その隙にカメラで写真を撮る。
「あ、盗撮。」と真吉。
「活動記録です。」と自分。あまりこういう形で現場に関わることが多くないので、何の気なしに真吉の動きにカメラを向けてみる。なんだかすごい楽しい。動画を撮る時は全然だったのに。ダンサーの動きに合わせてシャッターをきる、構図を探る、シャッター速度とピントを調整する。機械とマンツーマンでの対話は苦しいが、今は視線のその先に人間がパフォーマーがいる。楽しい。
少し時間を空けて、今日の最後にパフォーマンスをすることとなる。
そして加藤さんのブラッシュアップされた振り付け。この短期間で2分の踊りの振り付けを何度も作り直す。何度か確認し、これで決まる。明日が楽しみだ。
最後に再度ダンスタイム。音楽はかけることとなる。そして気がつけば自分が音を流すことになっている。そう、いつものことである。
曲の入り、ニュアンス、レベルの調整、抽象的な音とダンサー観客の関係性について、だいたいの擦り合わせ。責任重大。でもこれもまた楽しい。
明日が本番なので、レポートもいよいよ大詰め。
文字は文字でしかない。言葉は意味の伝達でしかないのなら言葉を書こうとは思わない。でも、今日の日本舞踊のWSで宗さんが言っていた、意味のあるモノと意味のないモノ、その二つの組み合わせが表現を形作っているのだとしたら、文章のその奥に自分も言語化できない何かを表現できる可能性があるのだとしたなら、まだまだ書き続けても良いのではないかと思う。