1年続く腰痛を“文通”で改善してみた
先日、ある動画に切迫感溢れるコメントがつきました。
痛みが出て1年経ち、試行錯誤するもなかなか思うように改善しない―とのことで、「なんでもします」という発言からもご本人にとって相当重大な問題であることが伺えます。
ただ僕にとって、こういった相談を受けることは日常です。
こちらの方にもある質問をして、1ラリー目で「問題ないな」と確信しました。
腰痛や肩コリや坐骨神経痛など「カラダの痛み」の治療はその場しのぎ(=治療しても治らない)がむしろ当たり前であり、“本当の意味で”治すには、まず治療院を「選び、探し当てる」必要がある―そんな歪な状況は、僕がこの業界に入る前から(そして恐らくこれからも)変わりません。
だからこそ彼はたまたま見つけたであろう動画に、真摯な態度で、藁をも縋る思いで、丁寧なメッセージを下さったのだと思います。なのでこちらも出来る限り丁寧にアドバイスしました。(わきまえのある方には優しくします)
それから10日経過し、再度メッセージが届きました。そこでいまの状況きくと
とりあえず「痛みはだいぶ減っている」とのことで安心しました。彼の1年の取り組みで改善しなかった痛みは、この10日で「間違いなく」変わったのです。
「変わった」要因として考えられることはいくつかあります。一つはたまたまアドバイスの方向性があっていたことです。適したケアやエクササイズによって疼痛の減弱など良い変化が起こることはあります。それは対面であろうと非対面であろうとトレーナーがいようとセルフであろうと。
逆に言うと1年もの取り組みで変わらなかったのは、もしかしたら彼の受けた治療が冒頭で触れたような形骸的な(言葉を選ばずいえば“まとはずれ”な)治療であり、治る症状だけれど治らない状況にあったのかもしれません。
もう一つの変わった要因は、彼が“やりたい”人ではなく“やる”人であったことです。やりたい人とやる人には次のような違いがあります。
方向性が合っていて“やる人”でさえあれば、たとえセルフでもカラダは変えられるということです。
疼痛改善/姿勢改善は一朝一夕に叶うことではありません。ほぼ間違いなく中長期的な取り組みになります。また「正しい方向」めいたものもある程度やってみることで少しずつ見えてきます。
なのでまず第一に「やる」人になることが重要です。
しんどくても「やり切る」「向き合う」と思えるかどうかが結果を左右します。
カラダづくりもリハビリも正しい方向性×やる人でなければ、だらだらと何年も続けても良い結果は出ません。
が、正しい方向とやる人が組み合わされば、たった10日でしかも伝達手段が文章でも良い結果が出ることはあります。
自分のカラダが変わった時、一番の功労者は誰か?は言うまでもなく「自分」です。トレーナーやセラピストや先生ではありません。これはわるい意味でも同じです。受動的・他責思考な限り痛みの根治はできません。その場しのぎが限界です。
またそもそも論として、見通しもなにも示さず流れ作業的にマッサージをして湿布や薬を処方する「治療者」は、本気であなたが良くなると思っているのでしょうか?
(保険が効き安くてラクな)治らない治療に文句を言う人はいますが、それはなぜなくならないのでしょうか?一体だれが「治らない治療」を買い支えているのでしょうか?
マジメでお人好しな国民性を有する日本人は、人的資源が豊富な時代において、誰しもが容易に治療を受けられる制度をつくりました。そしてその副次的結果として“他者への依存心が強くなり過ぎた”人々を産みだしました。
これまでは「支え合い」「お互い様」などと綺麗事を並べ、見て見ぬフリできたのかもしれません。が、これからそうはいきません。とうに限界はきており着々と“地獄”が拡がっています。
上掲のような凄惨な事件・事故も残念ながらますます増えていくでしょう。
マンパワーに依拠したサービスをいまのクオリティで保つことが(人口動態的に)100%不可能なのは火を見るより明らかであり、それこそ心を殺して働かなければ自分の心を守れない―そんな状況が、介護はもちろん他の業界のスタンダードになっていくと思われるからです。
20年後、私たちの住む日本は1学年80万人世代が1学年180万人世代を支える時代に突入します。
「将来は施設に入るし、老後に備えて貯金をしておこう」?
いったいなぜ施設があり介護士がいる前提なのでしょう。
多くの人にとって介護士はもう居ません。身体や脳が言うことを聞かなくなっても、いくらお金があっても、無い施設に入所はできないし、居ない介護士の介護は受けられません。
結果的に街は介護難民で溢れます。糞尿を垂れ流しながら徘徊する高齢者との遭遇は私たちの日常になります。
自分のカラダの責任を「他人任せ」にして生きていくリスクは年々増大していくからこそ
彼のような「やる人」になる
自分の面倒を自分でみる(実際にそうはいかなくともその気概さえをもつ)
そんな、今この瞬間からできる常日頃の「心持ち」がより一層、重要になると思います。
本質的には肩こりも腰痛も坐骨神経痛も“治してもらう”ものではありません。他力本願な時点で先延ばししかできず、それでは寝たきり街道まっしぐらです。そして寝たきりになった頃、あなたの面倒をみてくれる人は物理的にあまり居ません。
強調しますが、あなたの治療の“主体”は“あなた”です。トレーナーやセラピストや先生はあくまで“伴走者”でしかありません。
問答無用の自己責任が突き付けられる困難な時代において、個人的には彼のような「やる人」が多数派になれば‥という方向性にのみ希望を見出しています。
ホームページ