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感謝という感情について考える

あなたは感謝を他人に伝えているだろうか。

親子、恋人、夫婦、同僚、上司、先輩後輩、友人、などなど、感謝を伝えるべき相手は多い。だが、日本人は感謝を伝えるのがあまり上手でないらしい。

先日、下記のような配信を聞いた。

Xやスタエフでも相互フォローさせて頂いているこきちさんの配信である。タイトル通りだが、ものすごくざっくり言うと、「美味しい」の一言があれば料理を頑張れる、それで報われた気になるし、作ってもらった時には積極的に言っていこう、というような話である。興味のある方はぜひ実際に聴いていただきたい。個人的にはお子さんのエピソードがとても可愛く、また共感もできたので、ぜひお聞きいただきたい。

さて、我が家では、料理はもっぱら奥さんの仕事である。家事の分担としては、掃除機や洗濯、お風呂掃除などが私の分担で、ご飯作りと食器洗い、保育園の支度、トイレ掃除などが奥さんの担当になっている。おおまかに。私は在宅勤務と出社のハイブリッドだが、出社の日にはお弁当も作ってくれる。

楽な家事などないかもしれないが、その中でもご飯作りは本当に大変だと思っている。特に私は料理がそれほど得意でない、というかほとんど全くできない方である。そのため、日々ご飯を作ってくれる妻には本当に感謝している。

その感謝の気持ちをどう表現すればよいか、というのはなかなか難しい問題だと思う。私も、結婚し一緒に住み始めた当初は、「ありがとう」くらいは言っていたと思うが、そんなに感謝という意味では言っていなかったように思う。あいさつの一環くらいの感覚である。「もともと家事を分担したのだから、それを計画通りに実行したとて褒める筋合いなどない」と思っていた時期もあった。お互い、そうだったのかもしれない。分担した家事をやることで特別褒められてもいなかったし、ありがとうと言い合う感じでもなかった。

その考えが変わり始めたのは、同棲から数ヶ月程度経った頃だろうか。その日は二人で楽しく晩酌をしていた。晩御飯は奥さんが作ってくれた。二人で好きなテレビ番組の録画を見て、奥さんが作ってくれたご飯を楽しく食べて、お酒を飲み、奥さんが先にお風呂に入った。

奥さんが入浴している間、私はテレビを見たり、酔い覚ましにベランダに出たり、何をするでもなく時間を過ごしていたのだが、ふと、台所に食器が溢れていることに気がついた。酔っていたのもあるだろう。よし、やったるか、とふと思いたった。勢いで、晩酌の後の汚れた食器を、全て洗ってしまった。

ずいぶん気持ちよく酔っていたのだと思う。面倒くさいとか、おれが洗うなんてとか、そんなことは思わなかった。「お酒を飲んでお風呂から出てきてから、お皿がごっそり残っているのは嫌だろう。お風呂から出てきたら喜ぶかなー、気持ちよく寝られるかなあ」という、純粋な気持ちであった。

お風呂から出てきた奥さんに「ほら見て」と食器の片付いた台所を見せた。えー!?と大喜びした奥さんは、まさか私が食器を洗ってくれているとは思わなかったのだろう。嬉しい、ありがとう、本当に助かる、と言葉のかぎりを尽くし、「食器も片付いてるからもう一杯飲むか」と言って少しだけ酒をおかわりした。

その体験が、個人的には深く心に刻まれたのだと思う。いま、思い返せばだが。そのことを考えるたびに、そういえば、その日の晩酌は奥さんがおれの好みのご飯を作ってくれたんだった、そのために夕方スーパーに買いに行って、「おれが持つよ」と重い荷物を持って帰ってきたんだった、飲んでる間、お酒が切れたら奥さんが冷蔵庫から持ってきてくれたんだった、楽しく晩酌しようとして昼間の間に掃除機を終わらせたんだった、などと、いろんなことが思い起こされたのだ。あの瞬間は私が一人頑張って作り上げたのではない。やはり、夫婦で互いに頑張って作り上げたのだ。

こきちさんの配信で、「誰かに美味しいということを伝えてもらえると、作りがいがある」という言葉があった。これは、まさにその通りだと感じた。そして、人の発する言葉にはたくさんの意味があるとも、同時に感じたのだ。ご飯を食べて「美味しい」と伝えることは、同時に「ご飯を作ってくれて嬉しい」と伝えることでもあり、「ご飯を作ってくれてありがとう」と伝えることでもある。

こきちさんの配信のテーマは「美味しいと伝える」ことであって、感謝を伝えることとイコールではない。だが、私にとっては、それらをほとんどイコールだと思ったのだ。ご飯を作ってくれて「美味しい」と伝えるのは、「作ってくれてありがとう」と伝えることとほとんどイコールだと。

奥さんは、私が出社の日にはお弁当を作ってくれる。奥さんの作ってくれるご飯は本当に美味しい。朝食をとった直後であっても、「お弁当食べるのが楽しみだなぁ」と言うし、本当にそう思っているし、お弁当を会社で食べた時には、ほとんど毎日「お弁当美味しい、ありがとう」というようなLINEを送っている。別に送らなきゃと思って送っているわけではない。想いを伝えたいなと思っているから、毎日送っているのだ。

出勤の日に、時間のない朝にお弁当を作ってくれるのが大変なことはわかっている。つもりである。どれくらい大変かはわからないが、大変だということだけはわかっている。奥さんはお弁当を作らなければならないから作ってくれているのではない。作ってくれようとして作ってくれている。それは、とてもありがたいことだし、感謝すべきことだし、そう思ったとしたら思いを伝えるべきだと思うのだ。

感想は言葉で伝えないと、伝わりません。もしかしたらその一言で、夫婦仲、彼氏彼女との仲が良くなるかもしれませんよ。

こきちさんの配信「#12.”美味しい”そのひと声があると料理は続けられるのだよ!」より

まさに、この通りだと思った。そして、これは自分で何かしたときに、相手から感謝された経験がないと、なかなか実感しにくいのではと思う。家事を分担することは多くの夫婦がやっていることと想像するが、たまにはその分担を超えて、自分の身を削って(という言い方が適切かどうかわからないが)何かやってみて、「えー!ありがとう!」と伝え合うことも良いのではと思う。

ここまで書いてから、最近、4歳の息子が、よく「ご飯を作ってくれてありがとう」とか「買ってきてくれてありがとう」とか言ってくれるのを思い出した。もしかしたら、そういうマインドで話してくれているのかもしれない。

さて、このnoteは夏休みの時間を使って書いているが、私は夏休み、奥さんは仕事に行っている。毎年そうなので、お盆の数日間は例年、私が晩御飯を作ることにしている。その度に奥さんは「えー!嬉しい、ありがとう。美味しい」と言ってくれる。これがあるから続けられる、というのはこきちさんの言うとおりである。

ちなみに、このことが何年も続いても、奥さんは「夏休みにはご飯作ってくれるんでしょ?」とは言わない。私が「夏休みはご飯作るよ」と言い出すまでは、奥さんが作るつもりでいてくれている。「作ってくれることが当たり前」とは思わないでくれているのだ。この先はどうかわからないが、今のところは。これも、大切なことだと思う。「当然やってくれるんでしょ?」と言われれば、「やってあげたい」という気持ちにも変化が生じると言うものだ。

私がなんとなくぼんやり思っていたことを、改めて考え直し、言語化する機会をくださったこきちさんの配信に感謝したい。そしてぜひ、みなさんもこきちさんの配信をお聞きいただき、まずはありがとう、ご飯美味しいよ、掃除して綺麗になったね、と伝えることから意識していこうではないか。きっと、家庭が平和になり、目に映る世界が平和に感じるのではないかと思う。

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