#11神仏は私たちを”試す”のか?
○前叶 今年も残り1か月。みなさまはどんな1年だったでしょうか?本年も僧侶という立場上、身近な方を亡くされた方に多数お会いしました。
●前誠 時に、身近な方が立て続けに亡くなり、そうした辛い状況をもってして「私は神さまや仏さまに試されているのでしょうか」と聞かれることもあります。
○前叶 「試されているのか?」っていう発想には、人と人との関わりの中に第三者である、神仏がでてくることになりますが、このことについてどう思う?
●前誠 神仏との関わり方とか距離感には、認識の違いが各々あって捉え方は人それぞれ自由だと思います。そして、これは私の感覚ですが、神仏が特定の誰かを試すために、どなたかの人生の終わりをもって試そうとはしないんじゃないかなとは思う。でも、それと同時にそうやってある種の与えられた試練のように捉えることで救われるような部分もあるとは思います。
○前叶 この方が亡くなったことに対して、こっちの人はどう思うか、どう乗り越えるか、試してみようかなっていうことだよね。
●前誠 そう。人の死のほかにも、生きていればいろんな困難なことがあると思います。それは「因果」、つまり「縁起」によって起こること。仏さまに関して言えば、そうした因果から解脱している、距離を取っている存在になります。私たちが、因果の中でのいろんな出来事とどのように向かい合うのか?その姿を仏さまは見守ってくださる。それが試すっていう言い方をすればそうなのかもしれない。でも、そういう風な距離感の中で見ていてくれる、ということなのかなと思います。
「泣くと涙が出る」重要な意味
●前誠 そうはいっても、辛く悲しい時もある。そんなときどう受け止めればよいか。大切な人を亡くした時、悲しい時、辛い時…。そういう時に人は涙を流します。
「泣くと涙が出る」。それは「泣」と「涙」の「氵(さんずい)」が流れ落ちることです。
○前叶 そうすると、「立」つという字と「戻」るという字が残るね。
●前誠 「立ち戻る」っていうのは「原点に返る」ということ。人は悲しく辛いときには原点に返るんです。だから困難に直面した時、例えば大切な人が亡くなるような時には、その人とのご縁を見つめ直すという原点に返る時なんだと思います。その人はもうこの世にはいないけれど、その方と自分はどういったご縁だったのか、どういった言葉をかけてくれたか、どういった思い出を遺してくれたかといった、見つめ直す作業をしていただきたいなと思うんです。
○前叶 今回はなんだかお坊さんっぽいね(笑)
●前誠 いや、お坊さんだから(笑)
○前叶 「誰かの死をもって今後を試される」という捉え方よりも、その方がご生前、ご自身に何を与えてくださったのか? そこから自分は何を学んだのか? というのを今一度振り返って、生前のその姿に感謝しながらご冥福をお祈りする。そういった姿勢を取りながら、一歩一歩ご精進していただくことがいいのかなと思います。
●前誠 悲しくなくても、原点っていう、今一度足元を見つめ直すことは常々大事なことだよね。
○前叶 年末は、この一年を振り返りながらご自身の原点を見つめ直すいい機会です。
●前誠 明日は明るい日と書きます。皆さまの明日がより良い1日となりますように。
○前叶 合掌。