メンタリズム、NLP、吊り橋効果...「世間の心理学」と「学問の心理学」のギャップを埋める。『大学で心理学を学びたいと思ったときに読む本』編者まえがき公開
これから心理学を学びたい人に向け、「科学としての心理学の姿」を日本心理学会・若手の会のメンバーが解説する。第Ⅰ部では心理学が扱う多様な最新の研究領域を紹介し、第Ⅱ部では心理学部への進学にあたって持つことの多い疑問に答える、という構成である。さらに、コラムでは心理学部に進学した思いなどが経験を交えて語られている。心理学部への進学を希望する高校生はもちろん、その保護者、進路指導の先生など、現在の心理学のリアルを知るために好適な一冊である。
▷書籍詳細
編者はじめに
メンタリズムと心理学
メンタリズムという言葉が一時期有名になり,「心理学を学ぶと,相手の
心が読める」と考える人たちが少し増えたように思います。そして,メンタ
リストになりたくて心理学を学ぼうとした人が,科学としての心理学を知
り,「こんなはずじゃなかった」と嘆くことも多々あります。そもそも,メンタリズムは海外ではメンタルマジックと呼ばれることもあるように,マジックの手法を使って,相手の心を読んだフリをするパフォーマンスやエンターテインメントです(もしかしたら,メンタリストのなかには,相手のしぐさなどから,本当に心を読める達人もいるかもしれません)。
「相手の心を読む」というパフォーマンスを「噓つき」と批判する人もいますが,マジックとはそういうものです。例えば,有名なトランプマジック
に,トランプの束の真ん中に入れたカードが指を鳴らすと上に上がってくる
というものがあります。「指を鳴らすと,カードが上に上がってきます」が決まり文句です。しかし,当然ですが,指を鳴らしたタイミングでカードが上がっているわけはないのです。これは,マジックの演出の一部なので問題はありません。メンタリストの「あなたの表情から,あなたの考えていることを当てます」というのも,もちろん演出の一部なので問題はないはずです。
重要なことは,基本的に,心理学を学んだ先にメンタリストのように活躍
できる未来はないということです。メンタリストになりたいのであれば,マ
ジックの練習をするほうが近道です。メンタルマジックに関する本もたくさ
ん出版されていますので,興味がある人は読んでみるとよいでしょう。
最近はさまざまな動画共有サービスなどで,プロのマジシャンがマジック
の種明かしの動画を公開しています。ここでも,「相手が心のなかで選んだ
カードを当てる」という練習不要でできる簡単なメンタルマジックを1 つ紹
介しましょう。
メンタリストが観客に次のように言います。
「トランプのエースを思い浮かべてください。トランプのマークは
ハート,ダイヤ,スペード,クラブの4 種類ですね。1 つのマークを選
んで頭に思い浮かべてください。ちなみに,ハートはみんなが選びやす
いマークです。もちろん,ハートを選んでもいいですし,選ばれづらい
クラブを選んでもいいですよ。」
その後,観客の一人に,実際に思い浮かべたマークを言ってもらいます。
すると,メンタリストのポケットから観客が選んだカードが出てきます。そ
して,最後に「あなたは私に,このカードを選ぶように誘導されたのです」
と言って締めくくります。目の前で突然,このマジックをされるとかなり不
思議に見えるでしょうが,実は簡単です。最初から,ジャケットとズボンの
左右のポケット計4 か所に,ハート・ダイヤ・スペード・クラブのエースを
それぞれ入れておき,観客が選んだマークのカードだけを堂々と出して見せ
るのです(入れた場所をしっかり覚えておく必要があります)。このように,メンタリズムを習得したいのであれば,心理学ではなくマジックを学ぶほうがいいでしょう。
世間の心理学と大学の心理学
「心理学的に,噓をつくときには右上を見る」という話を聞いたことがあ
るかもしれません。しかし,これは心理学ではなく,ジョン・グリンダーと
リチャード・バンドラによって1970 年ごろに確立された神経言語プログラ
ミング(neuro linguistic programing: NLP)という領域から提案された知見です。
NLP は心理学と同じように人の心を対象とする分野であり,NLP の理論は
科学的な心理学の知見も部分的に盛り込まれています。そのため,心理学と
NLP は同一視されることがあります。しかし,多くの心理学者はNLP を心
理学とは認めませんし,そもそもNLP が何なのかを知らない心理学者もい
ます。そして,日本で最も歴史が古い学会である日本心理学会の大会や論文
で,NLP の単語を目にすることはほとんどありません。NLP は現代の心理
学では証明されていないことまで,その理論のなかに織り込んでおり,NLP
の効果を疑問視する研究もあります(Sturt et al., 2012)。また,世間一般で浸透している「心理学」のなかには明らかに科学としての心理学とは相反することを主張する「非科学的な心理学」も存在します。
ただし注意していただきたいのは,私は「非科学的」という単語を否定的
に使っているわけではありません。科学とは,いわば「世の中を科学の枠組
みで見ましょう」という文化・思想にすぎず,その枠組みから外れたものを
非科学と呼ぶだけです。また,世間的には「科学的なエビデンス」という
と,妙に権威性や信頼性があるように聞こえます。しかし,世の中には科学
的な知見に基づかないことはいくらでもあります。
例えば,占いや宗教はいわゆる非科学的と言われます。しかし,それらは非科学的なだけであって,否定することはおかしいでしょう。占いや宗教に心を救われた人は大勢いるはずです。他にも,例えば,「年間1 億円を売り上げるトップ販売員の営業術」という本があったとします。仮に,この販売員の営業術が心理学の知見と相反したとしても,その販売員には商品を売ってきた実績があります。そして,その販売員は自分の営業経験をもとに全国で講演を開いたとします。
これは,まったくもって否定されることではありません。しかし,もし仮に
この販売員が「心理学に基づいた科学的な最強の営業術」と銘打って講演を
していたとしたら,問題があります。つまり,科学的なものと非科学的なも
のとの区別が明瞭にされていれば問題ないと私は考えます。
少し話が逸れましたが,私はここで「心理学とNLP のどちらが優れてい
るのか」を議論したいわけではありません。心理学とNLP のどちらが好ま
しいかなどは,個人の価値観に依存するでしょう。また,人の心の本質を探
究するためには,心理学よりもNLP のほうが優れている側面もあるかもし
れません。しかし,重要なのは,大学で学ぶ心理学はNLP ではなく,科学と
しての心理学であるということです。つまり,「噓をつくときには右上を見
る」というような知識を知りたいと思って大学の心理学部に入学しても,そ
のような勉強はできないのです。
一方で,事態は少々複雑で,心理学の研究のなかにも「噓をついていると
きには声が高くなる」「噓をついているときは相手と視線を合わせない」などのような研究は存在します(例:Zuckerman et al., 1981)。そのため,一般の人が「この知見は心理学のもので,この知見は心理学のものではない」と判断するのはなかなか難しい現実があります。しかし,少なくとも,本書で紹介する心理学は「科学としての心理学」ですので,安心してお読みいただければと思います。
誇張された心理学と現実の心理学
心理学研究の多くは,一般の人には正しく伝えられない傾向があります。
その最たる例の1 つが「吊り橋効果」です。「吊り橋効果」は非常に有名なので,この用語を聞いたことがある人も多いでしょう。しかし,吊り橋効果の元ネタとなった研究論文(Dutton & Aron, 1974)とネットなどで紹介されている吊り橋効果(グラグラした吊り橋を渡った異性は恋に落ちるが,コンクリートの安定した橋を渡った異性は恋に落ちない)はかなり異なります。
もともとの研究では,「グラグラした吊り橋か安定した木造の橋を歩いている男性に女性のインタビュアーが質問をする」というものでした。そして,インタビュアーの女性は男性に「質問などがあれば,後日,電話してください」と伝え,電話番号を渡しました。その結果,吊り橋を歩いていた男性は木造の橋を歩いていた男性に比べて,後日,インタビュアーに電話をかける確率が高かったというものです。
しかし,この研究は心理学者から実験の不備や別の解釈の余地などの問題
が指摘されるなど,現代ではこの研究結果の信頼性は疑問視されています。
例えば,斉藤(2022)はダットンとアロン(Dutton & Aron, 1974)が行ったデータの統計解析が適切に行われておらず,適切な統計解析を行うと吊り橋効果は生じない可能性を述べています。このように,科学としての心理学では吊り橋効果は疑問視されている反面,一般向けの心理学の本を読んでみると,あたかも吊り橋効果は絶対的に生じる心理現象であるように解釈されうる表現が多々見られます。
本書の構成
心理学部に入学すると,「メンタリズムと心理学」「世間の心理学と大学の心理学」「誇張された心理学と現実の心理学」などのギャップにショックを受ける人もいます。そこで本書ではこれらのギャップを事前に埋めるため,第Ⅰ部では心理学が扱う多様な最新の研究領域を紹介し,第Ⅱ部では高校生が心理学部に進学しようとしたときに生じる疑問に答えていきます。また,心理学部での1 日のタイムスケジュールや進学した感想などをコラム形式でいくつか紹介します。本書はこの構成により,心理学を大学で学びたいと考えている高校生の進路選択の一助になることを願います。
2024 年3 月
編者 富田 健太
■編者紹介
■著者紹介(執筆順)
富田 健太(とみた けんた)
髙岡 祥子(たかおか あきこ
工藤 大介(くどう だいすけ)
宮坂 真紀子(みやさか まきこ)
昆野 照美(こんの てるみ
井上 和哉(いのうえ かずや)
讃井 知(さない さと)
上野 将玄(うえの まさはる)
瀧川 諒子(たきかわ りょうこ)
前澤 知輝(まえざわ ともき)
近藤 竜生(こんどう たつき)
渡部 綾一(わたなべ りょういち
緒方 万里子(おがた まりこ)
合澤 典子(あいざわ のりこ)
宮北 真生子(みやきた まいこ)
阪口 幸駿(さかぐち ゆきとし)
町田 規憲(まちだ みのり)
杉本 光(すぎもと ひかる)
青木 結(あおき ゆい)
稲吉 玲美(いなよし れみ)
瀧澤 颯大(たきざわ はやと)
佐藤 徹男(さとう てつお)
重松 潤(しげまつ じゅん)
●書籍目次
編者はじめに
第Ⅰ部 大学で学ぶ心理学の世界:こんなテーマもあんなテーマも心理学になる
第1章 人は踊るのに,犬は踊らないのはなぜ?
コラム① 「心を測る手法」としての心理学:動物とコミュニケーションする方法が知りたかった
第2章 食べ物の健康効果を信じるのはなぜ?:心理学から見たフードファディズム
第3章 アートと心理学:つくる・見る・使うを通して見えてくる私たちの“こころ”
コラム② 社会人になってから心理学の道へ
第4章 心理的柔軟性を身につけて,部活動でのパフォーマンスを高める?
第5章 あなたのための政策をつくる:データサイエンスで挑む人間中心社会の設計
第6章 ストレスに強い人と弱い人:レジリエンスから考える
第7章 ママは戦略家:ヒト女性の進化心理学
第8章 老舗のお店に行きたくなるかを調べてみよう
第Ⅱ部 大学で心理学を学ぶ上で考えておきたいこと
第9章 大学や大学院で心理学を学ぶとは
コラム③ 心理学部・学科以外から心理学の道へ
第10章 心理学を学ぶ上で必要な基礎知識とスキル: 数学・英語・パソコンスキル・プログラミングなどは必要なの?
コラム④ 大学で心理学を学ぶということ
コラム⑤ 周辺領域からの学び:編入から心理学の道へ
第11章 心理学を学んだ先の進路
第12章 公認心理師を目指す大学院生活
コラム⑥ 心理学へのイメージと大学で学ぶ心理学
第13章 心理学を学んだ人が就く仕事:教育・福祉の現場を中心に
第14章 心理臨床における米国留学という選択肢:大学からポスドクまでの米国留学経験を通して
コラム⑦ 心理学が人生の道に:臨床心理学にひかれて
編者おわりに
▷本書の詳細はこちら
『大学で心理学を学びたいと思ったときに読む本 心の科学への招待』
出版年月日 2024/05/15
書店発売日 2024/05/15
ISBN 9784414311280
判型 A5
ページ数 156ページ
定価 1,980円(税込)
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