小説『空生講徒然雲20』
私は、前置きとしてこの世界のことをすべて理解しているわけではない。知らないことのほうが多いくらいで、日々、この世界は流動しているようなふしもある。昨日あったものがなくなり、明日ないはずのものがあったりする。その逆もあった。「プツリ」とこの世界が今終わるかも知れない。そんなふうに、シマさんに語りかけた。
そして、もの思う種の世界ともの生む空の世界で例えるか、食べ物で例えるかを、私はシマさんに訊いた。
シマさんは即「食べ物で」といった。私は私が命名した世界で説明したい。私の渾身の命名センスがフラれたような気がした。よくあることだ。例えている私ですらこんがらがることがあるから諦めもつくのだが。
「ではシマさん、すきな食べものを教えてください」
暫しの沈黙があった。すきな食べものとシマさん自身のセンスを天秤にかけている沈黙だった。正直にいうか。センスに賭けるのか。そういう含みのある時間が私は嫌いではない。
「おもち」
「ほう」、シマさんはどちらともつかないような食べものをだしてきた。私の気分は上々になった。
「では、おもちで説明しましょう」
シマさんが以前暮らしていた世界は、人間の『胃』で。シマさんは『おもち』です。こんなふうに私は語り出した。
「はい、あたしは、おもちです」
「おもちとして生まれた赤子のシマさんは、口からのみこまれてやがて胃で成長して暮らし始めます。それが胃の世界です」
「はい、あたしは胃のなかのおもちです」
「ふっ」、私は鼻でわらった。いい意味でわらった。シマさんは確実に、『井の中の蛙』とかけていた。
「シマさんは青猫とヤマハSR400と胃で楽しく暮らしていました」
私はここからの説明が嫌いだ。いつもツラい。シマさんはおそらく青猫を胸のなかに入れてヤマハSR400で走っていたのだ。ほんの近所に行くつもりだったのだろう。
「ピンクムーンレコードにいくつもりだったの」、すぐ近所だそうだ。だから青猫も一緒に連れていた。
「その途中でシマさんとタルトとヤマハSR400は、ない者となりました」
「そ、雨が急に‥‥」、シマさんの胃のなかの暮らしの記憶はそこで終わりだ。
「胃の世界でない者となったおもちはしばらくして『小腸』の世界を彷徨います」
『小腸』の時点では、まだ『いのち』はあったのかも知れない。緊急手術で助かる者もいる。助かった者は『胃』の世界に戻れる。シマさんは戻れなかった。大腸行きだ。
「そして、おもちは『大腸』の世界でだんだんと糞になり、肛門を目指すツーリングをするのです。この世界は『大腸』なのです」
「私はおもちから糞になって肛門からどこへゆくのかしら」
「私は、御師としておもちを立派な糞にしなければならない。『大腸』で詰まらないように肛門にお連れします。私の役目はそれだけです」
「綺麗な、トイレだといいけれど」
「空生講徒然雲に逝きましょう」