「メイドの手帖」イベントを聞きながら「人の人生を読むこと」から自分の人生について考えた。
人の人生にどう興味を持つか。そしてどう感じるか。それは根本的に自分の人生を考えることにつながるのではないか。
今日は個人的にとても大ファンの村井理子さんと渡辺由桂里さんのトークイベントをzoomで拝聴しました。
メイドの手帖はこちら。
お二人ともトーク前ワクワク。渡辺さんは時差大変だあ(私は基本時差は1時間しかないので「待ち合わせ時間を間違える」くらいしかないので情緒もへったくれもないのです)。
実は!まだ「メイドの手帖」未読なんです😭。でもシンガポールとマレーシアにあわせて在籍7年。私はコミュ障&貧乏性なので雇えませんがメイドは東南アジアではとてもメジャー。以前、こんな記事を寄稿させて頂いたこともありました。
ちなみにメイドはアメリカにはいないと勝手に思い込んでました。「クリーニングレディを雇う人が多い」というのは正直知りませんでした。
メイドの手帖の著者、ステファニー・ランドさんはなんと白人女性。白人女性のメイドが存在することも正直びっくりしました。
アメリカでクリーニングレディを雇う理由は「トイレ掃除をしたくない」が多いそうです。そして個人的に思ったのはアメリカってベビーシッターを雇うケースはよく聞きますよね。つまり汚物の始末関係を自分でやりたくないっていう潜在意識があったりするのかなとか想像が膨らみます。
「あの人に比べれば私はマシ」
「あの人は私がやりたくないことをする立場の低い人」
「私はあの人とは違う」
白人のクリーニングレディがメイドとして書き綴った本から生み出される色々な感情に対する分析がとても興味深かかったです。「私たちは貴方とは違う」というスタンスで弱者に社会的なルールを押し付ける側が押し付けることで自分たちを保護、団結する姿勢というのは同じ国、違う国、それぞれあるんだなあとしみじみ感じました。
私も近い経験があります。私は弁当作りが大好きです。子供がインターナショナルスクールに持っていくお弁当も好きで作っていました。ガチガチの日本食弁当です。ちなみに日本食は東南アジアでは人気なので子供の間では羨ましがられていたそうです。ある親が富豪のクラスメイトがいました。彼はいつもピーナッツバターやベジマイトのサンドイッチだったそうです。
注釈:ベジマイトとはオーストラリアで有名な摩訶不思議な発酵ジャムです。
彼は息子の弁当がすごく羨ましかったようで交換や買取の交渉をしてきました。応じない息子に最後には
「お前のママを食事メイドに雇うにはいくら払えばいいか聞いて」
おおおおおこれがリアルマウントだああ。そう、同じランチタイムでも、視点が全然違うのです。人生は本当に人それぞれ。同じ学校でも、同じクラスでもこんなに違う。そんな人の違う人生に触れられるのが「読書」だと村井さん、渡辺さんは力説します。私もそう思います。
読書の素晴らしさは「自分以外の人の人生を理解することが出来る」なぜこの人はこういう所に至ったのかを想像できるようになる。それはリアル社会に活かされると思います。
これは首がもげるほど激しく頷いてしまいました。そして今日の新しい発見は「海外の回想録は本当に面白いジャンル。名もなき人の日記や回想録は本当におすすめ」ということ。この名もなき人が自信を持って発信ができる土壌がSNSの使い方の違いなどにも現れているのかもしれないなと感じました。
海外からの情報を100パーセント理解できないからこそ発信を大事にしてほしい。解らないものに囲まれて生きる様から「わかる!」を見つけると楽しいですよ。とお二人はお話しされていて、現在半分も解らん状況で暗中模索のまま生活してる私も、もっと自信を持って生きていこうと勇気頂きました。
後、もう1つとても印象に残った言葉。「静かな場所に行かないと、自分の声が聞こえない。」と渡辺さんはコメントされてたんだけどそれはすごく刺さった。今の私は「なるべく静かに生活しよう」と思い社交の優先順位をどんと落として学びや読書や美術に触れることを最優先しています。「自分がやりたい、必要だ」と思ったことを優先してその他をバッサリ切ったんです。そしたらこりゃ快適。若い時には解らない感覚でした。
「重要な人やモノは必ず残るので「切るべきものは切っていい」
書に認めて壁に貼っておきたい名言でした。とりあえずアプリで書にしました。
本、ぜひ拝読させて頂きます!