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『おばあちゃんに死化粧をしたら、幸せとは何かが少し分かった』話。

2020年8月2日、3時25分。
愛する祖母が老衰のため88歳で亡くなった。
とても穏やかで、安らかで、誰が見ても祖母が命を全うしたことは明らかだった。

実はおばあちゃん、若い頃は街では有名なモデル体型の超美人だったらしい。
お通夜の席でも、その話題が飛び交っていた。

昔の写真を引っ張り出してみたところ、ぬいぐるみと遊ぶぬいぐるみ体型の私を見守るおばあちゃんは、確かに美人だった!!

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しかも旧姓は「オノヨウコ」
全然名前負けもしていなかった(笑)

共働きの両親に代わり、参観日や遠足、習い事にはいつも祖母が来てくれた。
そのお陰で、私は寂しい想いをせずに過ごした。

祖母が漕ぐ自転車の後ろは私の特等席だった。
どこにでも一緒に出掛けた。

懐かしいなぁ。

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通夜では皆、思い思いに最期の時を過ごした。
納棺の際、私は祖母に薄桃色の口紅を塗る事になった。
白髪はとても柔らかくしなやかで、冷たい頬はしっとりとしていた。
唇の輪郭はややはっきりと、全体は薄く上品に塗り上げた。
化粧を終え顔全体を見ると、これからどこかへ出掛けるのを楽しみにしている様な、そんなとても明るい表情になった。
そう言えば20年前に他界したおじいちゃんと、出掛ける度に、その土地ならではのお土産をいつも私と弟に買って来てくれてたなぁ。
そんな時の気持ちが蘇ったとさえ感じる、本当に晴れやかで、幸せそうな表情だった。

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通夜の際、お坊さんがこんな話しをしてくれた。

「極楽とは、極めて楽と書きます。生きていると、苦しいことや辛いことがありますが、極楽浄土にはありません。そこでご主人が待っておいでです。これからお婆様はそこへ出発なさいます。
南無阿弥陀仏とは、現世を去り、この浄らかな仏さまの国へ導いていただけるよう称するものですので、ご一緒にお唱え下さい。」

なるほど。
おばあちゃんとの色々な思い出が次々と蘇るが、南無阿弥陀仏と唱える時だけは、一心に手を合わせた。

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悩むことや辛いことがあることもまた"生きている"という事。

幸せとは一体何を指すのだろうか。
幸せとはどんな状態のことなのだろうか。

私の中で"幸せ"の定義が、これまでよりほんの少し広く、ほんの少し深まり、これから先の人生は、少し色々なことを許して生きていけるような気がした。

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数年施設に入っていた祖母と私が最後に言葉を交わしたのは5月29日のリモート面会。
この時、祖母の息子である父はICUで生死を彷徨っていた。
私達家族はその事を祖母に隠し、
「みんな元気だよ!変わりないよ。」
と、嘘をついた。

その後奇跡的な回復を遂げた父は、祖母がまだほんの少し会話ができる7月27日、面会へ訪れていた。
この頃すでに食欲が急激に低下し、自分でももうダメだと呟いていた。

別れ際には、いつも私達に手を振る祖母。
しかしこの日は、父が手を振るのを姿が見えなくなるまでじっと眺めるだけで、
祖母が手を振り返すことは無かった。



そしてこの1週間後、祖母は命を全うし静かに亡くなった。

まるで、
父が逢いに来るのを待っていたかの様に。
そして、
これが最期だと知っていたかのように。


(生死を彷徨った父の記録はこちら▽)
https://note.com/seiko1111/n/nc6a3e642b291
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ITにより、暮らしは確実に豊かで便利になった。
進化はスピードを上げ、より身近なモノにもなった。
コロナ禍でのリモート面会は、画面を通して会えたとも言えるし、画面を通してでしか会うことは叶わなかったとも言える。

祖母は亡くなったが、これからは物理的な距離に邪魔されることなく、いつも心の中に宿りむしろ近くなったとも言える。

幸せとは、多いとか少ないとか、在るとか無いとか、そういう何かや誰かに左右されるモノではないという事。

私は私を幸せに。
私はアナタを幸せに。
そしていつか、みんなが幸せに。


アナタは今、幸せ?




2020.8.2 am3:25に亡くなった愛する祖母との記憶を書き留めた日記。
#介護現場で働く皆様へ最大限の敬意と感謝を

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