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【歴史】【岡田峰幸】のふくしま歴史再発見

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おかだ・みねゆき 歴史研究家。桜の聖母生涯学習センター講師。1970年、山梨県甲府市生まれ。福島大学行政社会学部卒。2002年、第55回福島県文学賞準賞。著書に『読む紙芝居 会津…
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記事一覧

伊達政宗の乱|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載133

 室町時代の天下人だった足利氏は、京を本拠として幕府をひらいていた。そのため関東地方での…

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もうひとりの伊達政宗|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載132

 室町時代の日本を治めていたのは足利氏である。幕府の初代将軍となった足利尊氏は京を本拠と…

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再起する伊達氏|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載131

 室町時代の応永3年(1396)6月、田村地方の領主だった田村庄司が、鎌倉公方の足利氏満…

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足利満直と満貞|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載130

 郡山市の東部から三春、田村市、小野にかけての旧田村郡は、かつて〝田村庄〟と呼ばれていた…

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田村庄司の乱|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載129

 郡山市の東部から三春、田村市、小野にかけての旧田村郡は、かつて〝田村庄〟と呼ばれていた…

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田村庄司の系譜|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載128

 郡山市の東部から三春、田村市、小野にかけての旧田村郡は、かつて〝田村庄〟と呼ばれていた…

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鎌倉公方と奥州|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載127

 足利尊氏が征夷大将軍となり室町幕府を創設した西暦1336年(南朝・延元1/北朝・建武3)11月は、まだまだ南朝と北朝が激しく争っていた時期だった。もともと鎌倉に長く住んでいた尊氏は関東地方に思い入れが深かったが、吉野(奈良県)を本拠とする南朝から北朝の天皇を守るため、やむなく京で幕府をひらいた。ちなみに室町(上京区)とは尊氏の孫・義満の屋敷があった地名で、足利氏による政権が室町幕府と呼ばれるようになるのは義満の代になってからである。  ともかく下野国(栃木県)をルーツとす

芦名直盛と黒川城|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載126

 南北朝時代の西暦1353年(南朝・正平8/北朝・文和3)に北朝が当時の東北地方を制覇。…

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白河結城氏の台頭|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載125

 南北朝時代の西暦1353年(南朝・正平8/北朝・文和2)5月、奥州南朝の拠点であった宇…

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再燃した北朝の内紛|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載124

 南北朝時代の西暦1353年(南朝・正平8/北朝・文和2)5月、奥州南朝の拠点であった宇…

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宇津峰の決戦|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載123

 南北朝時代の西暦1352年(南朝・正平7/北朝・文和2)3月24日、奥州の南朝大将・北畠…

月刊 政経東北
10か月前
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宇津峰の決戦|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載122

 南北朝時代の西暦1351年(南朝・正平6/北朝・観応2)12月、奥州の南朝大将・北畠顕信…

月刊 政経東北
11か月前
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吉良貞家の逆襲|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載121

 南北朝時代の西暦1351年(南朝・正平6/北朝・観応2)春、南朝の皇子である守永王が奥…

南朝の国府奪還|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載120

 南北朝時代の西暦1347年(南朝・正平2/北朝・貞和3)秋、奥州北朝を指揮する奥州管領の吉良貞家と畠山国氏は、陸奥国から南朝勢を一掃。ところが4年後の1351年(南朝・正平6/北朝・観応2)2月、2人の奥州管領が敵対し、吉良が畠山氏を討つという内紛が発生した。この隙に南朝が息を吹き返し、出羽三山(山形県)に逃れていた南朝大将・北畠顕信が同年5月に挙兵する。とはいえ手持ちの兵が少なかった顕信は、すぐに軍事行動を起こせなかった。そのため彼は別の手を打つ。自分に代わって奥州南朝を