【一首評】〈第9回〉あんかけをこぼして火傷した膝に迷わずかけられる烏龍茶/島楓果
和やかな食事の最中に突如として起こった、危機的状況。あんかけという、数ある料理の中でこぼしたらきっとトップレベルに熱い、と直感的に感じるものが肌にかかる。想像するだけで、ぞっとする。
この烏龍茶をかけたのは、誰なのか。あんかけをこぼしてしまった人か、一緒に食事をしていた人か。前者であれば、緊急性が伝わってくる歌だ。一秒でも早くこの熱さから逃れたいという気持ちで、後先考えずにかけられる烏龍茶。かけるのが水ではなく、シミになる烏龍茶であることが、やはり事態の緊急性を際立たせる。
次に、後者の場合。あんかけをこぼしてしまった人の膝に、迷わず烏龍茶をかける誰か。それは、家族だったり友達だったりするかもしれない。それが誰かは分からないけれど、その人はきっと優しい人だと思う。
悪く言えば、後のことを考えていないようにも思えるこの行動には、その人の本能的な優しさが詰まっている気がする。大切な人が辛そうだったから、勝手に体が動いてしまった、のような。そんな純度の高い優しさを感じられるこの歌は、前半はあんかけがかかることを想像しぞわっとして、後半ではその辛さから救おうとする誰かのことを思って、なんだか心がぽっとして、優しい気持ちになれる。
この歌が収録されている『すべてのものは優しさをもつ』には、日常の中のたくさんの優しさが詰まっている。そんな優しさが詰まった歌集の、最後の歌が次の歌である。
優しさは、やはり優しさに触れることによって、生まれるのだと思う。日常の優しさを掬い上げ、短歌にすることのできる作者はきっと優しい。そして、優しい人から生まれた短歌は、触れたものに優しさを生み出す。
私は自分の中の優しさが消えかかったとき、大切な人の危機を救おうと、迷わず行動する誰かの優しさが詰まったこの歌を思い出したい。
優しい作者から生まれた短歌は、きっと優しさを失いそうな人を、優しさで温めてくれるだろう。
(三年 K.N.)