【一首評】〈第6回〉ふたりしてひかりのように泣きました あのやわらかい草の上では/東直子
涙の歌である。
喜びか、悲しみか、はたまた怒りか。透明な涙の正体が歌中で明かされることはない。ひょっとすると当人たちでさえ、なぜ泣いているのか分かっていないのかもしれない。だが、幾度も泣きながら大人になった私たちは、涙とはそういう不条理なものであるということを、身を以て知っている。感情の形をもつことができなかった感情たちの、小さな絶望をはらんだ鉄砲水こそが、涙であり、悲鳴であり、嗚咽の正体なのだ。
他人がいる場で泣くことは一般的に(特に大人にとって)躊躇うべき行為とされている。笑顔の下にどんな感情も隠して、いつもゴキゲンであること。それこそが強さであり、人としての美徳である。
しかし作者は、人前で涙を流す弱さをむしろ「ひかり」という希望の言葉で形容した。一見繋がりのない「涙」と「ひかり」のメタファーであるが、いざ歌として見ると、不思議なくらいぴったりはまる。ファンタジックで簡潔な比喩は、涙の再解釈を試みつつ、読者の心に美しい心象を素描する。(私自身、この歌を好きになったきっかけが、この比喩の映像としての美しさだった。)
まっすぐに泣くことのできる「ふたり」の姿は、どうしたって無垢で幼い。大人特有の 泣くことへの照れや罪悪感は影さえ見せず、また自分の涙を一旦引っ込めて相手を慰めるような気遣いも持ち合わせない。その代わり、互いのありのままを許し合い、共にひかりを生みだし、いつのまにか救われるその瞬間をふたりぼっちで待つことができる。いつだって無遠慮で、手ぶらで、無垢な子どもの世界は、柔らかさと無害さを中核に回っている。
率直に、歌の中の「ふたり」を子どもとして捉えるのが、もっとも自然な解釈なのかもしれない。だが、幼さとは何も子どもたちだけのものではない。表に出てこないだけで、きっと世界にはさまざまな形で、さまざまな人達が「幼さ」を許し合っているはずである。
たとえば、共に泣く「ふたり」の姿に 生後間もない赤ちゃんと若い母親の姿を当てはめることはできないだろうか?
都内の新築マンション、かわいいベビーベッドの設置されたリビングルーム。閉ざされた室内に、ふたりの人間がいる。生きるため、親を求めて泣くことが許されている赤子。その横には、“母親”の名札に対してあまりにも華奢な若い女性。彼女は、どうやっても泣き止まない我が子の背中をさすりながら、堰を切ったようにわんわん泣いている。やわらかい我が子を胸に抱き、疑いようもない完璧な幸せの中で、しずかに育まれた不安や戸惑いは、肺や心・喉元から溢れ出し、形をもってこぼれ落ちていく。
社会の視線の死角であるこの部屋で、彼女が少女に戻り、思い切り泣くことを咎める者は誰もいない。赤ちゃんなどはむしろ、母親の泣き顔を見れば、何だか悲しくなって、共鳴するように一緒に泣いたりするはずだ。同じ空間に違う立場で共存するふたりは、この瞬間だけは、平等に幼くあることが許される。ふたりから溢れるひかりのようにとめどない涙からはきっと、どこかに希望の気配が漂っている。
きっと親子は今、泣いていたあの頃と同じ場所にはもういない。「泣きました」「あの」という言葉選びから推測するに、きっと母は歳を重ね、穏やかな記憶としてあの頃を回想しているはずだ。この回想によって読者にもたらされたひとつの救いは、あの日泣いた場所が彼女らの目に、地獄ではなく、「やわらかい草の上」として映っていたことが明らかになったことだ。「涙なんて吹き飛ばせ!」みたいな歌ばかり口ずさんでしまう今日この頃の私であるが、”泣くことが許された記憶”や”泣ける場所があったという事実”が多少なりとももたらす救いの存在を、決して忘れてはならないと気づかされた。
私たちもきっと気づかないうちに、幼子のように泣くことが許される場所を、いくつも辿りながら生きてきた。友人が「最近何かあった?」と訊いてくれた帰路、深夜の恋人との通話履歴、居残りを特別に許してくれた国語の先生、お母さんとふたりきりのリビングや、どんな時でも味方してくれるおばちゃんの助手席。それらの場所に立った時のあなたは、きっと無防備な素足だったし、足元の草はきっとやわらかかったはずだ。何も拒まない人の持つちょっとした優しさを養分に、やわらかい草はすくすくと育っていく。
忘れてはいけないのは、光そのものには質量も影も存在しない、ということである。あの音も立てずに消えていく儚さを、我々はどこまで軽視せず、受け止めていけるだろう。ひかりのように泣くことが許し許される世界で、誰かの幼さを受け止めうるやわらかい芝生を育みながら、できるだけ沢山の「ふたりぼっち」の記憶を作っていけたなら、どんなに素敵なことだろう。素足でいられたその記憶はやがてひかりとなり、涙となって降り注ぐ。そんな救いのあり方を示してくれる歌として、解した。
(4年 田代)