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ヨガインストラクター腰痛記録 2

退院後の記録

10月17日に手術して10月22日に退院。6日間の入院生活を送り松葉杖1本で病院をあとにできた。
電車で帰ってみようかとおもったけど、荷物がどうにも持てないのでタクシーを使った。

帰宅。
一苦労。
コルセットで呼吸が浅い。

玄関を開ける、靴を脱ぐ、荷物を置く、手を洗う、いろいろと生活にはやることがあるのだなと痛感する。無意識が、意識に上がってきて騒がしい。

痛みはないものの、自分の体とは思えない感覚に歯を噛み締めてしまう。
左足の脱力感が全ての動作に影響し、緩慢で、ぎこちない。
足首が動かないから、躓いてしまうことに注意が向きすぎるから、目元が下へ向く。
余計に気持ちが沈みそうになる。

こりゃ、病院のトレーニングよりも生活そのものがリハビリになるな。

退院2日目

クラスは代行をお願いしているから、今日1日は自宅で骨休めをさせてもらうことに。
週末に開催するアウトドアヨガ祭りの準備のために、中之島公園と扇町公園、そして銀行などを回ろうと思い、徒歩では時間がかかりすぎるからトレーニングになるだろうとキックボードを駆使して妻と出かけた。
甘かった。
キックボードは、軸足と蹴り足。
筋力の弱った左足の蹴り足を強化できるかと思ったが、5回ほど蹴るだけで足が動かなくなるほど辛い。
足首が底屈しない分、尻や腿で蹴ろうとするから、右足の屈伸も深くなってしまい相乗的にかなり運動負荷が高くなる。
じゃぁと、軸足にして右で漕ごうとすると、軸足の筋力が弱く屈伸動作が小さいため、右足で地面を蹴れない。
中之島公園に着くまでには、もう疲労困憊。
でも、自転車移動は無理だからこれでいくしかない。
今日しかない用事だし、、、。

中之島公園→扇町公園

これがまた遠い遠い道のりに感じる。
自転車なら10分。
この時は動かない足のキックボード。
やんちゃな大人のスタイル。だれもトレーニングなんて思ってもらえないような風体。
休み休み、45分近くかかりようやく到着。
あっという間の用事を済ませ、いざ、

扇町公園→南森町の銀行

普通に歩いても15分ほどで到着するほどの距離。
キックボードに疲れ、押して天神橋商店街を歩く。
それにしても、みんな歩くのが早いな。
銀行の用事もようやくと済ませ帰宅。
足のむくみがかなりある。
筋肉が動かせてないのかな。

退院3日目


ヨガ祭りの準備作業に久しぶりのスタジオへ。
10日ほどしか経ってないけれど、自分自身の体がインストラクターとしての機能を失ったような感じがしていて、空間に自分が馴染んでいない感覚があった。人の家に来たよう。

この日から、歩行時の体の偏りを補正するために杖を使うことにした。
購入したのはPioneer社のT型トレッキングポール

松葉杖は片側使用してたけど、トレッキングポールは両手を使うことにした。体軸がまっすぐ保つことができ、足の送り出しを鍛えることができそうだったから。
そして、持ち手はT型にした。この方がいざというときに体重を支えることができる。
たくさんメーカーがあり、価格もバラバラ。
NorthFace社のポールがかなりカッコよかったけれど、価格が高すぎて断念。軽くて強くて、短く収納できるものをと選び、Pioneer社に決めました。

実行委員や大林さんの助けもお借りして、祭りの準備は完了。

退院4日目


アウトドアヨガ祭り本番。
この日に間に合うように、手術日を調整し、退院日を決めた。
私にとってライフワークである「アウトドアヨガ祭り」。
妻は同時開催「はぐくみまるしぇ」主催。
息子も押し花ワークショップで出展者。
我が家のお祭り。
朝6時から設営。
荷物が持てないので、手先でできることを右往左往と。
自分で動けるほうが余程気が楽なのだけれど、歩くだけで冷や汗がでるほど疲れてくる。杖をついて、ニコニコ笑ってるしかできない状態。
そんな中、拙い指示に皆が精一杯のサポートをしてくれて、アウトドアヨガ祭りのクラス(NORAさん)がスタート。

そう言えば、自分がどれくらい動けるか、全く理解できていない中、担当クラスの時間がやってきた。シュミレーションもしてないや。
足はグラグラ、言葉だって上手く出てこない。第一、もう疲れてる。
それでも、お客さんは来てくれてるし、やってみた。
幸いクラスの名称は、呼吸を中心としたテーマにしてたから、その世界にどっぷりと浸ってみるように心がけた。。

しっかり元気に動くクラスも嫌いではないけれど、どちらからというと、心の自由を感じられるのんびりしたこういう時間を過ごすことが好きだ。
だから目を閉じ、意識を広げ、体の自分を休ませて、心の自分を羽ばたかせるような時間になるようにと、、、言葉を選んでみた。 
どうだったかな。

夕方くらいになると、もう立ってるのもしんどくて、
「片足立ち選手権」なんていう、術後の私には無謀なコーナーの脇に座り、イベントを眺めている時間が長くなってた。

ま、ともかくも
初日を終えた。
無事に。

心残りといえば、水上に出たかったなぁ。
またやろう。


退院5日目


アウトドアヨガ祭り2日目。
この日は会場を中之島公園芝生広場へ移し、規模も拡大。
つまり、移動距離がかなり長くなる1日。
出店もあり、クラスエリアは最大4。
音響の管理だけでもかなり気を遣う。
でも、私は荷物も運べない。何もできない。
天気にも本当に恵まれて、イベントが勝ってに流れていく。
とってもスムーズに。
トラブルも起こらない。笑顔の人が溢れてる。誰も無理せず、誰もがここにいることを許されている場所。

朝一のクラスを担当させてもらい、参加者のみなさまとそれはそれは素晴らしい時間を共有させてもらった

午後からは、ハンディキャップヨガクラス。
まさにハンディキャッパーによる、ハンディキャップヨガ。
参加者の垣根は限りないゼロへ。

でも、まぁ、やっぱりしんどい。
左足の感覚が非常に弱いから、足の踏み込み、送り出しが1歩ごとに意識的になる。どの動作も筋トレのようだ。
とくに、左足首と親指の力が霧の向こう。

でも、たくさんの支えのおかげで、夕方ファイナルを迎え。
杖なしで、みんなとハイタッチ。歩き方、姿勢がもうおじいちゃんでした。

今年の実行委員も熱くて、明るかったなぁぁ〜
最後までありがとう。

全員じゃないけれど、、実行委員と仲間たち。

退院6日目

通常の月曜日の朝。
オンライン配信と朝ヨガ、夜は瞑想クラス。
退院後初めての室内ヨガクラス。
月曜日のヨガは、本当にのんびり、ゆっくりとするクラスだけれども、足首回しという動きにも、「違和感」があり、人前に出ている立場としての「申し訳なさ」をなぜか感じてしまう。
そんなこと、だれも悪いなんて思わないのも知ってる。
知ってても、なぜか「申し訳なく」感じてしまう。
ちゃんとしておかなければならないという、脅迫的な観念が自分のなかに、まぁまぁ強めにあるのが逆に新鮮だ。
謙虚さとは違う、自分のコンプレックスを「悪」のように思う。
これは、自分の心が、自分を苦しめる構造だ。
どうすれば、「そんなこと、思わなくなる」のか。
開き直るのではなく、自然と「こういう自分でもいい」と肯定できるためには何が必要なのか。
これからの研究テーマかもしれないな。

退院7日目

当初通ってたクリニックへ退院後初受診。
手術痕は綺麗だとのこと。お風呂はまだ我慢。
やってはいけない動作としては
・捻ること
・重量物を片側にかけて持つこと
・痛みを伴う動作
と、入院中に聞いていたことと変わらない。
ただ、ストレッチは回復に必要な血行促進に効果があるので、ヨガなどの動きは問題ない。。ということに。

リハビリも受診し、PTさんと筋力のチェック。

足首の力が 10段階で1も感じない。
左足の親指が屈曲しない。
膝の後ろへの屈曲も、歯を食いしばらないと5回もできない。
膝を曲げて右下横に寝て 左足を上げる(左足外展)ができない。

こんな状態でも、痛みはない。
もうやるしかないな。
トレーニングの要点は
「高負荷」ではなく「可動域」を大切にした方が良いとのこと。
焦って、ウェイトやゴムチューブなどを使ったトレーニングをし始めてしまうと、太い筋肉ばかりが強くなり、余計にアンバランスになるとのこと。
今回のヘルニアで弱ったのは、そもそも力の弱い小さな筋肉群。
その筋肉を伸ばしながら、稼働させていくには低負荷で大きな稼働を目指す方が良いとのこと。

どうしても、食いしばって、頑張って、早く、早くと焦っていた。
でも、ちょっと方向転換。
数ヶ月単位での変化を記録していこうと思う。

術後18日目


手術を担当くださった先生の受診日。
運動制限は基本なし。ただ、重いものはあまり持たないでほしい。
運転も飛行機も適度に休憩をとれば大丈夫。(これが気になってた)
走れるのなら、走ってもいい。
ゴルフなど強く捻るような運動や、強いコンタクトのあるスポーツはまだや
めた方がいい。

今回のヘルニアは、切除した椎間板は少量だったそう。
ただ、少量の椎間板がかなり鋭角に飛び出していて神経を強く圧迫していた珍しいケースだったそう。
切除した椎間板が少ないということは、まだ十分に椎間板は残っているからこれからまだまだ元気になりますよ。とのこと。

この日までに、数回の室内外のクラスをこなしてみた。(みんなのヨガやリバーサイドヨガ)
姿勢の移動時にふらつき、とくに左足から立ち上がる動作がよろける。
正座するために左足を曲げる動作も手を使わないといけないし、四つん這いや、反る動き、捻る動きなど、ヨガの動作に多く出てくる動作が「怖い」ため消極的なクラスになってしまう。
あらかじめ、モデルとなっていただく方に来てもらってはいたものの、
クラスのリズムもまだ掴めない。どうも自分が動きながらではない場合、体が温まらないのでスピードが上がってしまうようだ。
やりながら、新しいクラス運営を模索しよう、、なんて思いつつも、「元に戻ること」への焦りが募る。

術後20日目

自転車に乗ってみた。
乗り降り時の左軸足の弱さは感じるものの、ペダルへの踏み込み運動と負荷が左足太ももや臀部へ心地よく刺激され良いトレーニングに感じた。
ただ、足首の動きが硬いため、膝の痛みが少しづつ出てきているように思う。

術後21日目


夜の定例クラス「みんなのヨガ」と、配信「おやすみ夜ヨガ」を実施。
左側の浮腫みが強く、腓骨筋、大腿筋膜張筋、足底筋が触ってもやや痛みがあるくらい緊張しているのを感じる。
しかし、少し親指の屈曲動作に実感を伴いだした。動きは小さいものの、動作への実感、主体性を感じる前向きな兆しだ。

術後22日目


沖縄リトリートへ出発。
重量物が持てないので最小限のパッキング。
21リットルのバックパックと30リットルのキャリーバック。
片手にトレッキングポール。
入りきらなくて小さなトートバックをもって出発。
かなり余裕をもった出発だったにもかかわらず、歩くスピードが思っている時間の倍以上を要する。そして、階段の上り下りが困難でエレベータかエスカレータを探そうとしている。
大嵐の予報の沖縄。
超楽観的性格の持ち主でも、少しばかりの不安。

2時間のフライト。揺れることもなく。安定のラウンディング。
嵐がどっこい、いい天気。
風はあるものの、湿度も心地よい。
船もでていて全てが順調。

チェックインも済ませ、参加者の方と最初の交流。
風と波の音しかしない島。
どんだけ急いで歩いても、集落を一周するには1時間もいらない。
そんな小さな小さな島だけど、
今回の足では、ちょっと大きかった。
しっぱいしたなぁと感じたのは、履き物。
雨の時用にとビーチサンダルを持ってきた。
これが、左足にはかなりきつい。指と足首がうまく動かないからサンダルが脱げてしまう。かといって、シューズだと雨でズブズブになってしまう。
このビーチサンダルで動けるだけ動こう。これが一番のリハビリになるだろう。

アサナの時間は、立位系がほとんどできない自分だという実感があったために、柔軟や呼吸への意識を中心としたため、いつもの沖縄リトリートクラスよりも「ゆるめ」の内容となり、「ゆるめ」だから意識も散漫になりやすく、おそらく集中度も低かったのではないかなぁ。。申し訳なかったなぁ。


全体では、かなり余裕をもったタイムスケジュールだったはずなのに、歩きにくいこの足にとってタイトなものに感じてしまった。
そうか、いつも自分の体力を基準にして「ちょうどよかった」ものが、状況が変われば「ちょっと早い」「ちょっときつい」「ゆとりがない」という実感になるのか。
元気な自分軸でのタイムスケジュールを組むことの多かったリトリート。
これから自分も高齢化していくなか、見直しが必要かな。

次のインド、そして高野山も少し時間や隙間を見直そう。

術後26日


無事に沖縄リトリートから戻り、大阪での日常。
特にリハビリと言える運動を心がけてないが、なんだか足に力が戻ってきているように感じる。歩くのも左足が蹴れている感じ。
全体的にはまだ痺れ感がある。でも底屈運動に力があるように感じるから、蹴り足が強くなってきた感じ。
不思議だ。
これが神経の回復なのかな。
歩くスピードはあまり変わらないけれど、トレッキングポールへの荷重が少なくても歩幅が広く保つことができる。
しっかり、「歩きにくいサンダル」で「歩いた」沖縄の時間が良かったのかな。感覚的には、裸足でビーチをあるいた時に、足全体への筋肉が連動して動いた実感があって、短い時間で疲れたけれど効果的な運動だった印象。

術後30日

通常の土曜日。
リバーサイドヨガを久しぶりに一人で準備運営。
ウォーリアなどの踏み込み動作にも力の回復を感じる。
ただ、ウッターナ(立位前屈)が入る上下の姿勢移動は「硬さ」「怖さ」が伴うために、ぎこちない。
でも、つま先立ちに力があり、不安を感じることが減っていると認識。
「戻ってきている」体に出会う。
動いてみないとわからないな。

それでも、背面はかなり硬くなっているために、全体的な動作には慎重さを要する。勢いをもって動いてしまって、またあの「稲妻」が背中に落ちてしまっては、、元も子もない。。

しかし、手術後1ヶ月。
かなりきつい麻痺があった体に、力という電気が流れ始めたようだ。

インドまであと3ヶ月。
波乗りができるくらいの回復を目指す。










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