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ヨガインストラクター腰痛・ヘルニア記録 3

手術から1ヶ月が経過

暖かい晩秋
これから冬になるなんて、想像できないほど温かな毎日。
いつもなら週末や休みの日には海にいったり、最寄りの山へ散策に行く時期。
紅葉の深まる美しい景色が楽しみな時期。
しかし、椎間板ヘルニア(4/5)による左足の感覚麻痺は1ヶ月という時間では回復してくれない。
足指の屈曲も上手く力が入らず、やはり歩行に違和感がともなう。
左足から立ち上がる際にふらつく。
左へ移動する際に足首が捻挫しそうになる。
ほんの小さな段差に左足がつまづく。
街で本当に一度こけた。何もないところで。

リハビリ訓練としての運動動作のいくつかは、確実に回復を知らせてくれてはいる。
だから焦る必要はないとも薄々解ってはいる。
この、「元に戻れる」という期待が、逆に「今」を苦しめる。
まだ1ヶ月しか経ってない。
でも、1ヶ月で回復がこの程度かという落胆もある。

術後50日

11月になってから、息子が喘息を含む咳症状が長く続き、学校を休みがちとなり、夫婦で変わるがわる自宅で子供と過ごしながら仕事をこなす日々がつづいた。
妻もかなり忙しい時期。
私も体が万全でない分、少し暗い雰囲気を家庭内にだしていた。
家の中がバタバタと落ち着かない。

11月末になり、ようやく息子の体調や仕事の目処がなんとなくついたころ、
家族だけで滋賀の山奥へ1泊旅行。
ヨガの知り合いが嫁ぎ運営している古民家のお宿。
(興味がある方はこちらへリンクをつけておきます)
源六 https://machii-genroku.com/genroku/index.html

暖炉があって、こたつがあって、川の音が常に聞こえ、静かな場所。
光がとても綺麗で、暖色に色づいた樹々に魅了された場所。


家族が、ただただ好きなように本を読み、ご飯をたべ、お風呂に浸かり、静けさの中で思い思いに過ごした時間。
何にもしないという贅沢に浸れる場所でした。


宿のオーナーの愛犬と一緒に散歩に出かけ、河原の不安定な場所へ。
自分の左足がこの凹凸や緩急をどう緩衝できるかという観察。
弱いけど、随分と足先に力が入り始めているなと実感。
河原の飛び石を渡るのは、まだまだ恐々してるけれども、
片足に重心をかけてバランスを取れることがわかった。

ぱっと。
気分が明るくなった。
力が入るという喜びによって、心に光がさした。
ほんとに、電気がついた感じ。

術後60日

ようやく冬の雰囲気に包まれ始めた12月中旬。
手術後約2ヶ月経過。
術後50日以降から、左足首とふくらはぎの筋肉に力を込めておくことができるようになったと実感。これまで、力を込めようとしても、硬くならず、ふにゃふにゃしていた。力を入れようと思っても、どこに力を込めて良いのか体が真っ暗になった感じだった。

それでも、まだ股関節が安定せず、左足が前のハイランジという動作が安定するどころか、こけてしまっていた。
もちろん木のポーズなど片足立ち系は全て体ごと回転してしまい、どうにも人前でやるレベルにない状態。力を感じないからコントロールもできない状態だった。

それが、徐々に徐々に力が入り始め、足裏の硬さが抜けていき足底筋の活動も、ふくらはぎも腓骨筋も膝下の力が回復してきました。

この力が、歩きやすさにつながり、疲れにくい姿勢で日常をすごせるようになったと感じている。

爪先立ちのトレーニングやダウンドッグという動作はずっとしていたけれど、左足首はアンコントロール状態が続いていた。
不思議と、突然に力が「繋がった」という感じ。
正直に嬉しかった。泣けるほど嬉しかった。

体とのつながりって、どれほど心に安らぎをもたらすことか。

体と心の関係の実感

この3ヶ月、腰痛から下肢麻痺そして手術と予後を経験しました。
この経験は多くの方がされていると思いますし、症例としては珍しいものではありません。
また、回復も順調の範囲と思いますし、痛みはゼロに近いです。
ですので、医学に助けられ、今こうして日常を送ることができているのは感謝以外にありません。

8月末にぎっくり腰となり、そこからあっという間に激痛と麻痺の毎日。ヨガインストラクターとして人前で誤魔化しながら仕事をして、作り笑いと、適当さで乗り越えてきた手術までの2ヶ月、そこから落胆からの回復の兆しが見えた2ヶ月。
8月から12月という3ヶ月強の中で一番印象に残ったのは心の様子でした。
端的にいうと
「明るい未来を描けなかった」ということ。
痛みに耐えるために、意識を痛みの部位に集中させることで、表情の豊かさがなくなったと実感していた。
歩く一歩一歩に神経を注ぐため、どうしても下を向く姿勢で移動するから1日の印象に人が入って来ず、地面ばかりの思い出。
その日の天候すらも覚えていないこともあるし、手術直前10日間ほどは移動が全てタクシーだったので人と会話する場、コミュニケーションがほとんどなくなった。
家に帰ったら疲れと痛みであっという間に寝転んでしまうか、話さなくなってた。
こうして、身体に「痛み」というものがあると、
この先にいいことがあるなんて想像ができなくなってた。
あの楽観者が、

ヨガインストラクターという仕事がこのまま続けられないだろうな。
今から仕事探しはなかなか難しいだろうな。
体を使わずにできる仕事を今から育てることなんてできるかな。
そもそもこの体、手術したところで再発したら同じことの繰り返しだな。
ヨガインストラクターが腰痛なんて、説得力のカケラもないから生徒さんだれも居なくなるだろうな。
潮時なのかな。。。

そういうネガティブな思考が常に脳裏から離れない状態が続いていた。

良い思い
ポジティブな思考

持つことができれば、いいとは思う。
でも、体の状態がそういった前向きな想いをシャットアウトしてしまうという毎日が続いた。

足のもどかしさ
思考の後ろ向きさ

こんな日常の中で
いかにして感謝の心を育むことができるのか。
自問するし、ヨガの学びは脳裏をよぎる。
でも正直、悔しく、辛く、悲しい。

プラクリティー(与えられたもの)からの学び。
というような哲学的な視点は
かなり自分を励ましたのは確か。
でも、痛いし。辛いし。
その時の私の未来は闇でした。

その時に学んだこと
「取れる痛みは、積極的にとる」ということです。
痛みを除くことがそのまま、自分の心を守るということです。

体と心は繋がっている。
体の安らぎは心の安らぎです。

もし痛みがあるのでしたら
その痛みをとることも
考えてみてください。

痛みのないとき
心は軽くなり
より前向きなことを考えられるようになりますから。

痛みを耐えることと
修行が深まることとは
全然違うものです。

痛みをとることにかけては
現代の医学や薬学は非常に進歩していると思います。

ヨガなどをしていると
西洋医学のことを少し敬遠する傾向を持つ方がいらっしゃいます。
そんな方々へ。
痛み、苦しみを除くのに、学びの東西の優劣にこだわりを持たず
人類の叡智として
全てに感謝して
享受できるものはありがたく受け取りましょう。


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生活とヨガと夢(生活ヨガ研究所のブログ)
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