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世界一面白い少年の読物と「現在形」 【小説の書き方】

 リサイクルショップに「10冊まで100円で持っていって良いよ」コーナーがあります。そのお店は家具、家電、工具や衣服と何でも扱っているので本はほとんどオマケ程度です。いつも大した本は無いのでほとんどのお客さんは横目に見るだけで次の棚へ移動してしまいます。そんな棚の奥に半ば埃をかぶってあったのがこの「世界で一番面白い少年向け読物」です。

 なぜ「世界で一番」かと言いますと、「はじめに」つまり前書きの冒頭にそう書かれているからです。実は私は読んだ事がありませんでした。ですが、もしかしたら家に、それは昔両親と住んでいた家の事ですが、あったかもしれませんが、何しろ私は百科事典以外で自分で開いたのは、これも以前に書きましたけれども、アンデルセンの「絵のない絵本」だけだったので読んではいません。これを書いている時点でもまだ第一編の「老海賊」のところだけしか読んではいません。

 ですから、この物語全体について言う事はできませんし、児童文学用に翻訳する時点で2/3に縮められていますから原書とも違います。ですがその上で、気付いた事を1点だけメモしておこうと思います。

 物語は少年ジム(わたし)の昔語りの形式をとっています。児童向けではよくそうであるように、描写がほとんどありません。その事は後の方で書きます。それで、何が言いたいかと言いますと、お話の展開ばかりが先に行ってしまうという事です。にも関わらず、描写不足を感じる事は少ないのです。

 例えば、老海賊のキャプテン(通称)はどんな人かというとこうです。


 「背が高い」「頑丈」「青い汚れた上着」「栗のように赤黒く日焼けした顔」「頬に青白い傷」「口笛を吹きながら入江を見る」「古い舟唄を歌う」これ以前には「歳とった船乗り」と書かれているのですが、これだけでだいたいどんな服装でどんな体格でどのカテゴリーに入る人物かが規定されます。最初に「船乗り」が無ければ単なる肉体労働者かな?と思います。実のところ、私はこうした簡易さが好みです。

 キャプテン以外の重要登場人物で、描写がさらに少ないのは「リヴジー先生」です。リヴジー先生は「先生」というタイトルがあり、ちょっとした様子と、その後の話の内容だけで人物像を規定しています。


 「先生」でリウマチの薬の話をしていればそれは議員さんや学校の先生ではなくてお医者さんだとすぐにわかります。けれども、服装や容姿の事は全く文中にありません。もしかすると小柄で弱々しいかもしれませんが、この後でキャプテンと堂々と口論して勝ちます。こちらもとても簡易です。読んでいて、こうして背格好や容姿の無い登場人物が多いのですが、あまり気になりません。(この版用の挿絵もありますが、それは原書とは違うはずなので見ない事に・・・) 母親などは本当に全くただ母親として登場しますが描かれるのは容姿でなくて行動と必要十分なセリフがちょっと。

 私の場合、意識して書かないようにしていますが、たまに不足しているかな?と自信がなくなってしまいます。ともかく、児童文学の翻訳とは言え、この程度でもイメージは湧くのだなと考えますと、描写ほどほども良いように感じます。もし、この文章の題名を変えて、人物名も変えて、挿絵無しでリライトした場合、この物語と同じように読めるものでしょうか? 試してみたい気もします。(今後の課題)

 さて、最初に書きましたが、「昔語り」のリアリティについてもちょっと考えます。

 話は飛びますが、英語の文法で「過去形」とか「(現在または過去)完了形」というのを習ったと思います。私の時代では確か中学校英語の後半あたりだったかと記憶しています。これらについて、文法的にはどう変化させるべきかは多くの人が理解するのですが、実際の会話等で「どんな場合に完了形なの?」という疑問の答えはほとんどありません。悩みます。それでだんだんと諦めてうやむやにしたまま人生の時間は過ぎて行くわけです。もちろん私も・・・

 それで、ずっと経ってわかったのは「わお!なんでそんな事になっちまったんだい?!」って時に完了形だったという事です。「なっちまった」と言っているので過去形でも良くない?と考えがちですが、違うのです。何が違うかというと、事態は終わっていても、気持ちが終わっていなくて興奮しているってところです。わかりますか? 日本語だと興奮している、いないは文法とあまり関係無いのではないかと考えますが、いかがでしょう? 私は理系でしたのではっきりそうだと断言はできませんが。

 ところで、遠回りした挙句、話を元の「宝島」に戻すわけですが、原文がどうなっているかはわからないとお断りしたうえd、ちょっと面白いなと感じる書き方がこれです。


 赤い棒線のところは、全体を過去形にして昔語りを強調しながらそこだけ現在形です。しかも、現在形であるにも関わらず、主人公がそれを感じたのは明らかに過去です。これがどんな効果になっているかと言いますと、「興奮」です。過去形の中に現在形を入れて興奮の度合いを強調しています。なるほど、こんなふうに書けば良いのか、と参考になります。

 私は、こうした書き方についてはよく迷います。ですが、現在形の中に過去形(完了っぽいニュアンスで)を入れたりします。それが良い事かどうかはわかりません。どちらかというと自己流です。皆さんはどうされているのでしょうか? えっ?、そもそもそんなところで迷わないって?

 そうそう、画像の黄色い棒線ですが、この「忘れることができません」の現在形だけは書いている時点の本当の現在形です。わかりにくい?


「宝島」は時間をかけて読んでいこうと思っています。「奴隷ラムシル 連載版」を書かないといけませんから、時間が・・・


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