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SDGsという幻想

 それは漠然と地球環境を守ろうと言うよりも幾分マシな標語ですが、環境問題さえ政治経済に利用される現実と、人間というものの欲深さを直視しなければ、文明の終焉は遠くないと私は憂います。

 アメリカを筆頭とする現在の経済大国が資本主義世界の立役者ならば、環境覇権の争いの首位にいる
のはEU諸国でしょう。彼らは国益を守る外交の交渉材料として、或いは自国の富を潤す手段として、環境問題に取り組んでいる節が大いにあるようです。

 人間は利己的な生物ですから、心の底から発展途上国が豊かになることを望む人は少数派です。それも安全圏から無責任に同情し、理想論に陶酔しているだけかもしれません。

 数多の煩悩から目を背けているうちは、いかに崇高な目標を掲げてもそれは虚像に過ぎないと私には思われます。

 増え過ぎたのだろう、と思いながら、しかし先進諸国の出生率をみていると自然に減少していくことは自明です。

 問題は、物質に執着する老人たちです。

 万物には寿命があって生命は流転します。生老病死は避けられぬ真理で例外はありません。動植物は勿論、虫や微生物、私たちの細胞、惑星、恒星、そして恐らく宇宙にも寿命があります。

 医療の功罪を目の当たりにしていると、ただ苦痛を長引かせるだけの延命治療は、悪魔の所業のように感じます。意思の確認できない当人に代わって、利己的で無責任な家族の「出来ることは何でもやってください」は、患者本人を地獄に落とす一言になり得ることを、私たちは知る必要があります。

 

 そのときが来たら、今世の命に執着する必要などありません。魂と呼ばれるものが確かに存在し絶え間なく循環していることを、私はしっています。

 未知は恐怖です。
 未知は希望です。

 縁は魂同士を幾重にも結びます。それは入れ物が代わっても解けることのない、不可視の経路です。


 旅の終わりのその先に、貴方にもう一度逢える日を祈りながら、更けていく夜を愛します。



 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方が幸せでありますように。



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