ゆく年くる年【2024年総括】
年が暮れていきます。
令和6年も残すところ僅か。あと1週間もすると新年が始まります。1年間は52週ありますから、時間的達成率98%以上です。光陰矢の如しとは、まさに。
今年の抱負や目標の達成状況は如何でしょうか。幾つものの研究で「新年の抱負は達成し難い」というものがあります。理由は様々あることと想像しますが、1年間という時間は日常に追われる私たちにとって、計画するには些か長過ぎるのかもしれません。抽象的過ぎると評価が困難で、具体的過ぎると残酷です。
そんなわけで本年、私は抱負も目標も持たずに、理念あるいは主題と銘打った言葉を掲げました。
閑雲野鶴。
このイメージを基に自分を取り戻す為の生活であったと想起します。1年前は外側に意識を向ける余裕など殆どありませんでしたから、それが等身大、精一杯の表現だったのかもしれません。
元来、他者の為に生きることで自己実現の欲求を達成する私にとって、自分の為に、という視点は存外に難しいものでした。それはムズムズといいますか、座り心地の悪い椅子に腰掛けているようなもので、ずっと其処に居るのは何か違うような気がしてきたのです。
それは私自身の元気が回復してきた証左だったのでしょう。座右の銘に思うことは、なぜ、あるいは何のために閑雲野鶴なのかという思索でした。
座右の銘の原典を、そのまま意訳改変して私の座右の銘としたのが5月。新年度という環境変化に応じて、私の心象風景も転機を迎えたように感じます。
以閑雲野鶴為仁。
例によって例の如く、秋から冬にかけて心身の不調は起こりました。誰かに、例えば貴方に、教えて貰えて初めて気付くような鈍感者ですが、今年は自覚があったぶん、幾らかマシに安寧の日々を送れているような気がします。それでも師走に入って特に2週間前あたりから、また怪しい雲行きになっていたのだと、昨日わかりました。ほんとね、危なっかしいですね。
自分のことは分かりにくいから、と自己分析の技術を磨いてきたはずですが、どれほど磨こうとも、友人視点の言葉には敵いません。友達って大切ですね。切実に思います。顔も名前も知らない誰かだったとしても、建前で生きる日常より本音で記すnoteのほうが、時に鋭く心の奥底に触れることもあるでしょう。記事を書いて、呟いてお茶濁す日も増えたけれど、毎日自分を投稿していく中で巡り合う縁の妙には驚くことばかりです。
穏やかに暮れゆく今年に、感謝を。
あ、それとメリークリスマス。
拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、貴方と私の生きる世界が、幸せに満ちていきますように。