見出し画像

くくる。

 幼少期から八方美人であった私は爭事を忌避し、その自己防衛手段たる後天的性質は、後の生活に多大な功罪を齎しました。意思と無関係に発動する仕組みは揉め事を回避するのに役立ち、嫌われることの少ない日々を送ってきたように思います。それで私は長い間、キライとかイヤとかいう感情を野放しにしてきたのかもしれません。

 好きも嫌いもあります。ありますが、例えば嫌いな相手を目の前にしたときに、その感情を伝えることが出来ません。成人する前は、そういう性質が大いに発揮されていたものですから、要らぬ負荷が多かったろうと振り返ります。

 なんやかんやあって20歳代に撃沈と再起を経た私は、自分は上手く出来るようになったと勘違いをしたまま30歳代に突入し、数年のうちに再び恐慌に陥りました。上手く出来るようになった、というのは間違いではないのだけれど、それはごく表層の部分のコントロールであって、云うならば理性の部分に焦点を当てた自己管理の術でしかなかったのだと、後になって判りました。

 noteを始めたのは、丁度その頃でしょうか。

 理性に偏重し、読み返すと言葉遣いにカタサを感じます。理性のみではいけないと、当時から霊性には意識を向けておりましたが、それは霊的な現象から発せられた或る種の警鐘だったのかもしれません。少しずつ、少しずつ、私は感性を発見していきました。発見という表現が最適でしょう。そこにあったものを、見つけているだけのこと。作るとか、考えるとか、そういう作業ではありません。そんな単純なことに気付くのに30年かかりました。

 漸く人間らしい佇まいになってきたのが、昨年。最早いつからか分からない離人感が霧散して、人生が三人称から一人称に切り替わりました。そうして今年は怯える子どもを育てるように、自身の感性に向き合いました。感情という捉えどころのないものを両の手で優しく包み込むように、それは忘却の底にあった自らの過去との対話でした。

 対話は今も続いています。

 自己という存在を受容し始めていることを感じながら、私は言葉を紡ぎます。記録として記憶として残すのは、此処がいいと思ったから。漠然とした内容をつらつらと書きましたが、これが今の私です。


 人と人をくくり、

 生と死をくくる。

 

 そんな今年を締めくくる記事でした。



 拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、貴方の今が過去と未来に繋がりますように。




#2024年 #令和6年 #くくる
#今年学んだこと
#今年の振り返り #振り返りnote
#菊理媛命 #くくりひめのみこと

いいなと思ったら応援しよう!

渡邊惺仁
ご支援いただいたものは全て人の幸せに還元いたします。

この記事が参加している募集