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がんばらない練習 【雑談】

 こんなタイトルをつけているくらいですから、もちろん私はがんばらないことが苦手です。手の抜き方が分からなかった少年時代。サボっているつもりでも周りからみたら頑張り過ぎだと言われて困惑した学生時代。

 大学で部活の先輩から言われたのは、

「惺仁っち。君っていつも全力投球だよね。サボるの苦手でしょ。手を抜く時も『手を抜くぞー!』って気合い入れてるもん。ウケる。」

という衝撃的な指摘でした。彼女も頑張り過ぎて見えましたが、私はわかってやってるからいいの、とのことでした。オンオフがしっかりしてるそうです。

 なんかもうそういう性分なのだろうと思いつつ、この数年は完全にキャパオーバーで大変なことになっておりましたから、これはなんとかしないといけないよなぁと思ったところで、またサボるために気合いを入れようとしている自分がいることに気づいて笑えます。

 真面目で頑張り過ぎる性質の私が、しかし昨年の夏に強制シャットダウンを迎えてから、少しずつ変わり始めている気配を感じます。

 感じませんか。感じましょう。

 倒れるまで動いてバターンとなっていた頃に比べたら、余力を残しながらスリープモードに至る今のほうが幾らかマシです。気が向かないことはやらないし、嫌いな人には嫌いだなーと思って関わりません。そもそも嫉妬以外で人に嫌われたことはありませんが、そういう頓珍漢は放っておきましょう。

 嫉妬って厄介ですよね。誰かの足を引っ張ったり嫌がらせしたりする暇があったら自分に集中したらいいのに。世の中物騒になりまして、危害を加えてくるような輩も居りますから、防衛手段を講じておいた方がよいでしょう。女性同士の嫉妬も怖いですが男の嫉妬は危険なので、日頃は弱いフリをしておいて近寄られたら噛みつくことにします。過剰防衛になったらごめんなさい。先に謝っておきますね。よし。これで躊躇うこともありません。

 何に怒ってるか、と。

 これだけ剥き出しにしてたら気になりますよね。攻撃的なのは防衛本能だと思います。この場で誰かを攻撃したいわけじゃありませんが、こうして言語化して発信することで収まりがつくこともありますから。たぶん私、怒ってるんだと思います。身近なところにも、身近でないところにもいるけれど、私の大切な人たちを傷つけられるのは度し難いことです。有害な老人たちのことです。無害な高齢者のことではありません。年齢で括って論ずるのは適切ではありませんから、有害な老人達と表現することにいたします。いつまで世代交代せずに椅子に座っているつもりなのでしょう。ご老体は隠居なさったらよろしい。



 さて、文句を言っていても何も解決しませんね。

 何も解決しませんが、文句を言ったっていいじゃあないですか。異常なのは言いたいことも言えないこんな世の中のほうです。ポイズン。

 ちょっとした発言や表現を切り抜いて叩く風潮ってヤバいですよね。独裁国家の言論統制と何が違うんだろうって時々思います。私刑はいいのかと。貴方はその人の何なんだよと。きっと鬱憤が溜まった先の八つ当たりなのだろうと想像しますが、相手は人間だと想像できないものでしょうか。

 自分と同じ人間、とは限りませんよ。

 「自分」が特殊でヤバい奴かもしれませんからね。自分だったらこれくらいなんともない、という理屈は通りません。

 なんてことを気にし過ぎると、結局何も言えなくなってしまうわけで、でもそれって匿名だから言えることだよねって部分については気をつけて発信したほうが良いと私は思うのです。私が匿名なことについては、それなりに気をつけて発信しておりますので、悪しからず。そもそもnoteは該当記事にアクセスして、読み進まねば内容が分かりませんから、「嫌なら見なければいい」の典型だと思うのです。そこに自ら踏み込んで噛みついている方を時折見かけますが、暇なのかなと心配になります。きっと寂しい人です。がんば。

 
 さて、斯様にも乱文を散らかしておいて、ここまで読み進めてくださった方がいらっしゃることに私は驚いています。ありがとうございます。思考のまま指先を動かし、そのまま投稿しちゃいます。当店オブラート品切れ中につき、歯に物着せぬ表現がありましたことを、お詫び申し上げます。


 がんばらない練習にお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、貴方の肩の力がふわっと抜けて、気楽な時間を過ごせますように。




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#エッセイ #好きの反対は嫌いでしょ #無関心は別次元よ
#下の名前っちで呼んでくるキャラ濃いめの先輩の思い出

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渡邊惺仁
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