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センスとは何か

 効率を求めるZ世代諸君は無駄な努力を嫌うでしょう。昭和スポ根のような青春は希薄に霧散して、今やコストパフォーマンスの向こう側、タイムパフォーマンスやらなんやらの時代です。

 たしかに能力の差異というものは存在します。プロリーグのある競技が分かりやすく、スポーツもゲームも何もかも、努力だけでは埋まらない絶望的な差というものがあります。それを才能と呼ぶかセンスと呼ぶか、ここではセンスと表現しましょう。

 数学や物理学の研究者にはセンスが必要です。他のジャンルには明るくありませんが、きっと学問と称される分野の第一人者になるには多かれ少なかれセンスが求められるような気がします。

 音楽や芸術にもセンスが必要な気がします。私はピアノを9年強、水彩画を5年、油彩画を3年やりましたが、センスの乏しいことに気付いて辞めました。今では時々触れる趣味程度のものです。

 問題は、判断のタイミングです。

 ちょっとやっただけでセンスがないと諦めるようでは、何ひとつモノに出来ないように思います。しかしながら何十年も没頭してからダメだったと断念すると、路頭に迷います。人生は有限です。このあたりの感覚をシビアに捉えているからこそ、一般にZ世代は諦めが早く見えるのかもしれません。

 自分の好みとセンスが一致するとは限りません。これがピタリと一致する人は迷わずその道に進めばいいけれど、そんな人は稀でしょう。大抵の人間は好き嫌いの分析さえ曖昧だったり、センスの有無を見極めるのに苦労したりするものです。

 どれくらい続ければセンスの有無が分かるのか、それは分野によって大きく異なるのかもしれません。週の単位でわかるのか、月や年の単位が必要か。ただ私が思うのは、どんなに長くとも10年あれば判断できるだろうということです。職人業や武道の領域で云われる目安のひとつが10年ですから、それだけやってモノに成らなければ諦めて別な道に意識を向けたほうが賢明でしょう。

 良き師を得られるか、それが肝心です。

 学習の基本が模倣であることを鑑みれば、あらゆる道を歩む過程でモデルケースたる師匠の存在は必須と考えます。叶うならフィードバックを受けられる関係性が最適ですが、難しければ時空を越えて師匠を探したって構いません。我流は最も非効率的で成功率の低い方法であることを、憶えておいた方が良いでしょう。

 

 ま、なんやかんや言いましたが、人生の愉しみというものは、非効率と無駄の中にこそ隠されていると思います。コスパやタイパを突き詰めた先にあるのは、虚無です。生まれて死に行く私たちの人生に意味を与えるのは、主観の有り様ひとつでしょう。


 拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、これを読む貴方に芽吹いた人生を愉しむセンスが大いに花開きますように。



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渡邊惺仁
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