「平均寿命」というトリック
男性81.6歳、女性87.7歳。
これは令和2年度に厚生労働省が発表した日本人の平均寿命です。「簡易生命表」として更新され誰でも情報にアクセスできます。寿命とは0歳時点での平均余命と定義されます。
(厚生労働省hpより転載)
長く感じますか。短く感じますか。
もちろん「平均」ですから、これより短い人も長い人もいますね。人生100年時代なんて言葉を耳にすることもありますが、まだまだ100年には遠く及ばないのが現状です。
平均寿命の推移を時代別に見てみましょう。
(厚生労働省hpより転載)
なんということでしょう。
昭和22年(1947年)以降、統計をとる度に日本国民の平均寿命は伸び続けています。
様々な要因が考えられますが、やはり大きなのは医療の進歩により死ににくくなったことでしょう。まず新生児から乳児期の死亡率が著しく低下しました。それは栄養状態や衛生環境の改善から予防接種の徹底、体調不良時の医療へのアクセスしやすさなども影響したようです。
乳幼児死亡率が低下すると0歳時点での平均余命である「平均寿命」は延びます。しかし近年の寿命の延びはそれだけで説明できるものではなくて、やはり中高年から高齢者が「死ににくくなった」ことの影響が大きいようです。
さて、私は平均寿命まで生きられるでしょうか。貴方は平均寿命まで生きる自信がありますか。
「平均」ですから、ある程度の指標にはなるでしょう。しかし事実として、およそ人口の半分は平均寿命に届かず生涯を終えます。
寿命は試験ではありませんから、あたかも平均点のように「目指すべきもの」のように捉えてしまうと、おかしなことになっていきます。
職務上、かなり多くの人と接します。
誤解を招くことを承知で私の体感を述べますと、大抵の方は「頑張り過ぎ」です。
80歳を超えた人間の身体は、どんなに元気に見えても中身はかなり厳しい状態です。もちろん中には本当に元気な方もいらっしゃいますが、それは例外です。寝たきりの方も多く、高齢者施設は常に入所予約待ちの状態です。冬季に体調を崩して入院された方々が家に帰れなくなって病床が圧迫されるのは毎年のことです。当の本人が「もう充分生きた。つらい治療はしたくない」と仰るのに御家族が「まだまだ頑張ってほしい。やれることは全部やってください」と言う構図に、しばしば遭遇します。曰く、まだ平均寿命まで何年あるとか、100歳を目標にしているとか。本人を置き去りにした御家族の「暴走」は本当に厄介です。
思い上がりも甚だしい。
「思い上がっている」のは患者さんも、御家族も、そして私を含めた医療者側も、全てです。
私自身にも苦い経験がたくさんあります。医療にできることには限界があって、寿命を左右するようなことは神の領域です。魂の持ち主たる本人を無視した「治る見込みのない延命治療」は、生命に対する冒涜行為と考えます。それは神の、或いは悪魔の所業です。自分がそうした患者さんを担当すれば、どういう意味か分かります。
「平均寿命」なんて言い方をするから、それを目指そうとして妙なことになるのではないかと私は思います。平均を超えなければ恥ずかしいですか?「赤点」をとったら落第ですか?
断じて、そんなことはありません。
人生の価値は命の長さでは決まりません。
長く生きたいという思いを否定する意図はありません。何か目標があって、或いは夢があって、それを叶える為に時間が必要だとか、誰か大切な人の為にとか、明確な理由があって長命を願うのは尊い姿勢と考えます。そういう人に「時間を作る」ための医療技術は色々あります。しかし特に理由はないけど長く生きたいとか、死ぬのが怖いから長く生きたいとか、そういう動機で長命を望むのは、ひどく恐ろしいことです。
今をどう生きるかということのみが重要な問題であって、天寿がいつかは誰にも分かりません。
「人間がいきものの生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね」
『ブラック・ジャック』に登場する強烈な台詞ですが、私はこの言葉の意味を痛感しています。
何が正解か、そもそも正解が存在するのか、私には見当もつきませんが、ただ『生命への畏敬』を以て、私は今日も病棟に向かいます。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。途中見苦しい部分がありましたことを深くお詫び申し上げます。願わくは、貴方が平均という呪縛から解き放たれ、自由な人生を謳歌できますように。
#おじいちゃんおばあちゃんへ #人は死にます
#気持ちが若くても身体は老化します
#生老病死 #愛別離苦 #求不得苦 #怨憎会苦 #五蘊盛苦 #仏道修行 #世の真理
#延命治療 #DNAR #希望を相談しておきたい
#エッセイ #医療 #医師 #私の仕事
#平均 #平均寿命 #平均余命