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仕事は楽しいか。
「なぁ田中、仕事は楽しいか?」
上級医に問われた田中先生は、いや、と言い掛けて言い淀み、何だかよくわからない感じの相槌を返しました。
「なんだ、楽しくないのか。」
怪訝な表情の上級医は程なく心配そうな雰囲気を纏い、どうした、なにか嫌なことがあったか、などと問いかけます。どうやら揶揄っているわけではなさそうで、仕事が楽しくないなんて何か重大な問題が起きたに違いない、といった表情でした。先生は楽しいんですか、と田中先生が質問を返します。
「楽しいだろ。仕事は。」
当然のことだと言わんばかりの即答。その上級医、典型的ワーカホリックとでもいいましょうか。私が研修医の頃、とある医局で遭遇した会話です。
曰く、仕事が楽しくて楽しくて仕方ないと。手術は外科医の本懐であって言わずもがな、外来業務も病棟業務も雑務でさえも、彼は楽しいというのです。毎朝起きると「よし、今日も仕事だ」と嬉しい気持ちになるのだとか。それは当時の私にとって甚大な衝撃を齎す出来事でした。バスケ部のエースがそのまま大人になって超一流外科医をしているような人。凡そ私の知り得る限り、彼には欠点というものが見当たらないように思いました。欠けるどころか満ち満ちていて、その意味では満ち過ぎる部分が軋轢を生むことはあったかもしれないけれど。
仕事は楽しいか。
そう問われて「楽しい」と即答できる人が、現代日本にどれほどいるでしょう。生産年齢に限らず、未就労者さえも働くことに陰性感情を抱いているような国家に、明るい未来があるでしょうか。
哲学者・内山節に倣って「仕事」と「稼ぎ」を定義します。
近年では一層仕事と稼ぎの境界が曖昧になって、遂には「金銭的収益を生まない仕事」という概念が消失しつつあるのかもしれません。
シンギュラリティの先に到来する社会がどのような形態であったとしても、私達が人間である限り、無為で享楽的なだけの時間には脳が耐えられないことを、私は予見します。
拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは現代文明の行末に、一抹の希望が残りますように。
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