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欠片集めて記憶を綴る夜、意味もなく。

 海の底、忘却の彼方。
 泡沫に揺れて浮上した先に光る粒を集めて、何か足りないと目を瞑る。散乱する思考の残滓に違和感を覚えて、拾い集めた粒を数え直す。足りないのは自分のほうだと気付いて、探し物は外側にないことを知る。

 痩せた膝の老女は乾いた唇を震わせながら「怖い」と呟いた。
 一人暮らしのその人は、どんな人生を送ってきたのだろう。家族はいない、友人もいない。皆死んでしまったと彼女は言った。その真偽は分からないが、彼女は孤独な目をしていた。生命の危機に瀕した彼女がしきりに気にしていたのは、「送迎の人に電話しなきゃ」と「家賃が、」だった。

 貧困は罪だろうか。

 資本主義社会を基盤にした便利な社会の背後には、度し難い貧富の格差が滲んでいる。自己責任という言葉で片付けられる程、社会は公平だろうか。自分の選択の結果だと一蹴する人もいるだろう。しかし取り得る選択肢の数は、生まれた瞬間から随分と差があるように思えてならない。

 何もない空間を掴もうとする老女の右手を握り返し、左手を添えて私は言葉を探した。大変だったでしょう。気掛かりは色々あると思いますが、今はご自身の身体のことを最優先に。苦しいのが楽になるように、治療をしましょう。

 老女は嗚咽を堪えながら、
 微かに聴こえる声で「お願いします」と呟いた。

 命は平等だろうか。

 彼女の人生の詳しいことは分からない。
 ただ安らかな眠りと、命の循環を祈り、私は病室を後にした。



 拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは貴方と貴方の大切な人が、尊重し合える関係でありますように。



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#緩和ケア #とは #誰かの人生に踏み込むこと


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渡邊惺仁
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