人の言葉に耳を傾けること
精神の変調に自分で気付くことは困難です。
あいつはどうかしてる、と愚痴を振り回しながらスタッフに八つ当たりしていたその医者は、明らかに精神に異常をきたしていました。論理的思考は困難な様子で、医者同士の会話が成立せず、しかし彼は「自分は正常だ」という確信に基づいて他者を攻撃しているようでした。
誤診は当然、患者の取り違えも頻発し、電子カルテの操作は危うく、処方ミスも日常茶飯事でした。検査結果が返ってきてもどの患者のことか忘れていたり、初歩的な診療業務の一部がうまく出来ないことを事務の責任にしたり、挙げればキリがないほど酷い有様です。そんな状態で診療できるはずもないのですが、看護師や医療事務が必死のサポート体制を展開して、どうにか診療が成立していると聞きました。
「あれさ、誰も本人に言ってくれる人いないの?」
彼から「あいつはどうかしてる」と言われていた中堅医師は、怪訝な顔で呟きました。
「さぁ。誰も居ないんじゃあないですか。もしそんな人がいても、きっと聞く耳持ちませんよ。人の話を聴かないのは、元々の性格もそうですから。」
彼のサポート役の一人は、そう応えました。
この世界が主観によってのみ認知されるものである以上、主観それ自体が変容したとき、その異常に自分で気付くことは不可能です。自分を外側から観測してくれる人の存在が絶対的に必要であろうと、私は考えます。
ハーバード大学医学大学院・精神医学教授Robert Waldinger博士とブリンマー大学心理学教授Marc Schulz博士の共著『THE GOOD LIFE(辰巳出版. 2023年初版)』には、健康と幸福を維持する決定的な因子は「よい人間関係」だとあります。
社会的成功や運動習慣、食生活さえ「よい人間関係」以上の重要な因子ではないと述べられ、これは人の生き方に関する史上最長の縦断的研究の結果として説明されています。主観的な幸せにとどまらず、良好な人間関係が低い死亡リスクに強く関連することも示されていることに驚きます。
同著では人間関係において最も重要な要素として「注意」と「気配り」を挙げています。注意を向けることは愛情の表現であり、気配りは尊重と敬意の表現型です。一瞬の積み重なりが人間関係の在り方に大きく影響していくのです。
もし、彼が日頃から人間関係を大切にして他者への注意と気配りを積み重ねていたら、今のような事態にはならなかったろうと私は想像します。もう手遅れかもしれませんが、私は祈ります。
貴方は如何でしょうか。
私はどうでしょうか。
心の在り方ひとつで大きく変わることがあります。自分の言動を振り返り、今から変えられることを積み重ねていこうと思います。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、信じられる人がひとりかふたり、身近にいるような人生でありますように。