「反省」とは何か/タモリ哲学
同じ過ちを繰り返すのは人間の性でしょうか。
スケールを広げれば歴史上の過ちの繰り返し、狭めれば同じ失敗を繰り返す人。それがプログラムならデバッグしようとなりますが、人はどうすればいいのか。
「あいつは反省しない」
ネガティブな言葉ですね。よく聞くようなフレーズでもあります。
一方で、私の敬愛するコメディアン「タモリさん」が2021年12月28日に「徹子の部屋」に出演したときの言葉を振り返ってみましょう。「同一司会者による生放送音楽番組の最長放送」や「生放送単独司会記録」でギネス認定を受けている程の継続の権化ともいえる彼は、徹子さんから「そういう番組を長くやり続ける秘訣は、あなたの場合どういう?」と問われて、次のように応えました。
真理だ…。
この発言には、羽生結弦選手の記事でも触れた「ラジカル・アクセプタンス」という在り方が潜んでいるように感じます。実はコメント欄でみらいさんからリクエストをいただきましたので、この記事を書いています。
たしかにラジカル・アクセプタンスは心を強く保ち前に進むためには重要ですが、まったく反省しないで同じ過ちを繰り返す人が使っていい手法ではありません。タモリさんとて、実績を残しているからこの発言に意味があるのであって、例えば同じ失敗を繰り返して堕落しているような人間が同様の発言をしたら、何いってんだコイツで無視されるのが関の山でしょう。
さて、反省とは何でしょう。
そもそも「反省」とはデジタル大辞泉には「自分のしてきた言動をかえりみて、その可否を改めて考えること」とあります。哲学用語では特別な持ちますが、一般に用いられる「反省」に限れば、どこの辞書も大体同じことが書かれています。
①振り返って、可否(善悪)を改めて考えることが原義です。
②転じて自分のよくなかったことを認めて改めようと考えること、のような意味が生まれます。
リクエストは「反省しない人にどう反省を促すかについての記事」ということでしたが、おそらく意図は②の方と推測します。「反省しない人」は、ひょっとしたら①の意味では「反省」しているのかもしれません。その上で、悪いことだと思っていない可能性があります。すると、例えば「反省を促す」のではなくて、起きたこと(結果)が「良かったか・悪かったか」を評価するところから始めてはいかがでしょうか。
責任の所在や自分の「反省点」はその次です。「反省しないように見える人」は一般にプライドが高く、自分が失敗したと思いたくない、自分の責任だと思いたくない心理が隠れていると考えます。いきなりそこを刺激してはいけませんね。まずは起きたことが「良かったか・悪かったか」、次に何処が良い点で、どこが悪い点か、そうやって淡々と振り返っていって、そして未来に目を向ける。
そんな手法が、ひょっとしたら有効かもしれません。
以前ご紹介した「ラジカル・アクセプタンス」も万能ではありません。心理学なんてそんなものです。バランス感覚を養うことが重要です。
反省ばかりして後悔しながら未来に進めない人は「ラジカル・アクセプタンス」的なタモリ式を、アクセプトし過ぎる人は落ち着いて「反省」を。そうやってバランスをとりながら、生きやすいところを探していくのが良いと思います。
状況によって使い分けるのも重要ですね。刻一刻と変化していく場合、まず「ラジカル・アクセプタンス」で切り抜けて、落ち着いてからゆっくり「反省」する。私の中では現状これが理想型です。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の人生が軽やかにアクセプトされますように。
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