黒いラブラドール・レトリバー
一昨日の朝6時過ぎ、バイトへ出かけていくとき、犬と散歩している男のひとを見かけた。
犬は普段からよく見かけるけれども、その日見た犬は黒いラブラドール・レトリバーだったから、犬と男のひとの横を通り過ぎるときに思わずじいっと見入ってしまった。
すると真っ黒な犬も、てくてく歩きながらじいっと私を見てきた。私たちは初対面なのに互いをじろじろ眺める、不思議な人間と犬だったと思う。けれどあの子が私の方を見つめてくれたのが私はとても嬉しかったので、黒い犬に向かって微笑んでみた。
きょとんとした顔をしながら、なぜだか私から目線を離さなかったその犬は、とてもとてもかわいかった。
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私はラブラドール・レトリバーを見かけると必ずじっと見つめてしまう。しかも黒い毛をしたやつに限る。その犬が近くにいようが遠くにいようが構わない。まじまじと観察する。他の犬種ならば、「かわいい!」と言うくらいでおしまいなのだけど、ラブラドール・レトリバーだけは別なのだ。
それは私が昔、家で黒いラブラドール・レトリバーを飼っていたからだ。
そして惜しくも、彼と一緒に生きていくことが、私たち家族にはできなかったからである。
私の実家では代々犬を飼っていて、私が生まれたとき家にいたのは「シロ」と名付けられた真っ白な犬だった。とても穏やかだったけれどもうずいぶんおばあちゃんで、私が小学校のときに死んでしまった。
そのとき私ははじめて生きものの死というものを経験したのだった。そのときのこともいつか、きっと書く。
そんなシロが死んでしまう少し前にうちにやってきて家族になったのが、黒いラブラドール・レトリバーのテトだった。「テト」という名前は私がつけた。ジブリ映画の「風の谷のナウシカ」に出てくるキツネリスが好きだったからだ。
犬のテトはキツネリスのテトのように人間の肩に乗るようなサイズではないのだけれど、そんなことお構いなしにテトとつけたのがミソであり、家族はみんなその名を気に入っていた。
テトはうちに来たはじめての男の子の犬だった。最初にして最後の男の子の犬だった。私にはわかる。おそらく私の家族が男の子の犬を飼うことはもうないだろうということが。
山のお寺に住んでいる私たちにとって、犬というのは単なる家族としての意味合いだけではなく、番犬としての意味合いもある。テトもそうだった。
彼はもらってきた日は小さな子犬だったのに、すくすくと大人の犬に成長した。
今思い出してみていても、実につやつやとした黒く美しい毛並の立派な犬だったなあと思う。
近くに行って身体に手を押し当て、指を毛に絡ませると、短い毛の先はくるんと少しだけカールしているのが分かり、私はそれが好きだった。私もくせ毛で髪の先がくるんとなっていたので、親近感を覚えていたのかもしれない。
あのくせ毛は、いたずらっこな瞳と同じように、間違いなくテトのチャームポイントだった。
さて、私の家では犬は例外なく外飼いだったので(今もそうだ)、テトは家の建物からすこし離れたところにある、桜の木の下の犬小屋にいた。父が何本もある桜の木同士に長いワイヤーを張ってテトをそこに繋いでおり、テトはワイヤーのある範囲を常にうろうろしていた。
テトはいつも鳴いている犬だった。人が恋しくて、いつも鳴いていた。人間のことが大好きなのに、家の外でひとりぼっちにされて、たぶんとてもさびしかったのだろう。そのせいでいつも声が嗄れていた。
普段は繋がれているテトだけれど、週末になるといつも、父がテトをワイヤーから解放した。幸い我が家は木と岩だらけの山の上にあったし、テトはリードを放してもどこかへ行ってしまって帰ってこない犬ではなかったので、自由に遊びまわってはしゃいでいた。
テトは父のことが大好きだった。本当に大好きだったと思う。
それは父が唯一、テトを解放してくれる存在だったからだ。そして言い方はどうかと思うけれど、父とテトは若い雄同士として、ちゃんと互いを見ていた。テトは父をリーダーだと思って後ろをついて回っていたし、父も父なりにテトを愛していた。
私と3歳下の妹は、父がテトを自由に遊ばせる時間になると、毎回父の後ろに付き従っていた。
テトの身体は実に大きく、私たちの身体は今よりずっと小さかったので、妹は幼いころ、テトがとてもこわかったらしい。妹はテトが放たれるその瞬間にいつも怖気づいて逃亡し、テトは走っている妹を真っ先に追いかけてあっという間に追いつき、うれしくて飛びついたものだった。妹はテトに飛びつかれた衝撃で勢いよく転び、わんわん泣いた。
私は父の背の後ろや、山門の陰に隠れてそれを見ていた。走らなければ飛びつかれないのに、妹はなぜか毎回走るのだ。それを何度言っても一向に聞かないで、妹はテトが走り出すたびに逃げ出し、追いつかれて転んでは泣くのだった。それはもはやお決まりの行事で、私も父も笑っていた。
こけるとわかっていても、妹は必ず私と父についてきていた。
彼女もテトを好きだったのだろう。
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テトにまつわる事件はたくさんある。
母のお誕生日に父が贈った新しい靴を、その翌日にがじがじ噛んで怒られたり(靴は廃棄処分された)、テトをどこかに連れて行かなくてはならず、彼を軽トラックの後ろに(リードか何かで結わえて)乗せていたら、車の走行中にそこから勝手に飛び降りていて足の爪が全部剥がれてしまったり。
記憶が曖昧なのではっきりと思い出せないけれど、そんなことがいろいろあったと思う。
それでも私はテトが好きだったし、テトも私たちを好きだった。
私はテトの背中に乗ったこともあるのだ。両足が地面から離れて浮いていたのを覚えているから、そう考えるとテトは本当に力持ちだった。若くしなやかな背中の筋肉が、びくともせず私の体重を支えているのを私は感じた。
しかし両親と祖父を悩ませたのは、テトが成長してからというもの、しょっちゅうワイヤーを破壊しては私たちのいる家の玄関の方までやってくるようになったことだった。テトは男の子で、力がとても強かった。そして何より、本当に、根っからの寂しがりだった。
いつでも私たちの近くにいたかったのだ。
父が毎週末ホームセンターに行き、どんなに強靭な素材でできたワイヤーを買ってきても、テトは次の週にはそれを引きちぎって脱走した。私たちが家の中で「玄関の方が騒がしいなあ」と思ったら、そこにはいつもしっぽを思い切り振ったテトがいた。彼はいつでもまっすぐに私たちのもとへ走ってくるのだ。
両親と祖父は、次第に「もし誰かが来ているときにテトが脱走して、そのひとに飛びついたらどうしよう」ということを考えるようになった。私の家は老若男女問わず多くのひとが出入りする。家の者や若いひとならともかく、仮にお年寄りに飛びついてしまって、怪我でもさせたら大変なことになってしまうと思ったのだろう。
やがてそういう懸念の話を食卓で頻繁に聞くようになった。
私は当時なんとも思っていなかったけれど、ある休日のお昼、祖父が「テトを返そう」と言い放った。「返す」というのは「もらってきたところに返す」ということで、つまりはテトがうちの子ではなくなるということだ。私はそれを瞬時に理解した。
私はいやだと泣いて抗議した。そうすれば祖父は言葉を撤回すると思ったのだ。そうすればテトがずっと家にいてくれると。
「ラブラドール・レトリバーは、本当なら人間にとても近いところで暮らす犬だから、テトもみんなと一緒にいたいんよ。なのにあんな離れたところで繋がれてるから、いつも鳴いてるでしょう」と、母がよく言っていたから、それなら外じゃなくて家の中で飼えばいいじゃないと、私は祖父に猛反発した。
けれど私の訴えは通らなかった。
当時住職だった祖父は今よりずっと威厳があって、孫が泣いたくらいで決定を覆すようなひとではなかったのだ。祖父に強くものを言えない父や、もう心の整理をし始めてしまっているような母を見て、私はかなしかった。私の心は、大人になった今ほどあきらめがよくなかったから。
そしてテトはもらってきたところへ返されることになった。
私はテトを返しに行った日をはっきり覚えていない。そこへついていったのは間違いないのだけれど、テトが一体どんな顔で私たちを見送ったのかさえ覚えていない。本当に覚えていないのだ。
そのあと、テトがべつの飼い主に引き取られたということを両親から聞いた。最初は「テトは本当はうちの子なのに」「私の家族なのに」と、新しい飼い主に嫉妬したりもした。けれど、テトがもらわれていった場所で幸せだといいと願うしかなかった。
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それからずいぶん時間が経ったけれど、私はテトには1度も会っていない。両親が会ったのかは分からないけれど、テトは遠いところへもらわれていった。
なんて薄情な飼い主だろうと思っていたし、今でも思っている。さびしい思いをさせて、挙げ句の果てに手放して、会いにも行かないなんて。
私の実家には今「チョコ」という名の犬がいる。下の妹が生まれる前、バレンタインデーにもらってきた雑種の女の子だ。
昨年末には初めての子猫もやってきた(名前は「ちゃま」)。
しかし、我が家の飼い犬として生き、そして死んでいったシロや、いま生きているチョコやちゃまとは違い、テトが生きて老いていく様を、私は見られなかったのだ。
私が黒いラブラドール・レトリバーを見かけるとじっと観察してしまうのはそういう理由だと思う。たぶんきっとそうだ。テトはもう死んでしまっただろうか。私たちを恨んではいないだろうか。新しい家では、人間の近くでその体温を感じ、声を嗄らして鳴くことなく生きられただろうか。
私は何もできなかったけど、彼が元気に幸せにその生を全うできていたらいい。
黒い犬を見るたび、あのつやつやのくせ毛といたずらな瞳の輝きをそっと思い浮かべながら、これからもテトのことを考える。