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隣のアイスクリームは甘い
勝手に誰かや何かに期待して、それが叶えられなくて裏切られた気になって、それってまるでばかみたい、とたまに思う。
私たち、期待せずにはいられないのかなあ。
期待してるからこそ苦しいんだよね。絶対に裏切られないことがわかっている期待ならいいけど、それは期待ではなくて確信だし、だとすると期待って、裏切られることがあるからこそ期待なんだよ。だから苦しみを伴っている。
私は普段あまり要領がよくないし、基本的には夢見がちだから、その分期待ばかりが大きくなって困ってしまうよ。ちっとも期待したいわけじゃないのに。期待に裏切られたいと思ったことなんて一度もないのに。
勝手に傷ついて、ほんとうに、ばかだなあ。
どうしてみんな、きらきらして見えるんだろう。どうしてひとの持っているものはうらやましく思えるんだろう。私も誰かから見たらきらきらして見えるのかなあ。それって、すこし不思議だ。
私だって、私にしかない、すばらしいものやひととの関係性を持っているのに、なぜひとのことばかり気になっちゃうんだろう?自分の得てきたものに不満があるわけじゃない、ただ、私が持っていないものがほしくて、手に入るかもって期待して、自分のものにならなかったときにその分かなしくなるだけ。
隣の芝生は青いというけれど、そんなことを言ったのは誰?
もっとかわいい言い回しだったらよかったと思う。隣のアイスクリームは甘いとか、隣の花はきれいだとか。
そういうんだったらよかったのに、と思ったけど、そんなふうに甘かったりきれいだったりするものに喩えられたら、自分の気持ちが苦くてきれいじゃないように見えてしまうかもしれないな。
結局みんな、ないものねだりなのかな。ひとの持っているものが欲しくなってしまうのは仕方がないことなのだろうか。
誰か仲よくなりかけているひとや、わりと仲がよいと思っているひとと、何も気にしないでだらだらつるんでみたい。眠ることさえ忘れて。夜の底に落ちてもう一度上がってくるまで。男の子だろうが女の子だろうが関係なく。
そういうことや、躊躇なくそういうことができるひとって、私にはどこかきらきらして見える。
けれど私はへんな子でありたいし、誰かに飼いならされたくない。
どこかすこし不思議なひとだと思われ続けたい。
幼いころから知っているひととの関係性ではそういうものは作れない。だって、いいところもわるいところも全部ばれているんだもの。
しかし高校や大学で出会う、新しい誰かに対してなら、私は「私」という人間を演じることができた。それは私にとってはおもしろいことで、つまり私はどう見られたいかによって話す言葉や微笑みを変えることができるということだ。
そして「不思議なひと」と思われたいのであれば、たぶんすべてをさらけ出す必要はないのだ。プライベートなんて問われない限りぺらぺら話さなくていい。謎めいている方が、つかみどころがない方が、追いかけたくなるものだから。
そして普段そうしている分、ここぞというときにほんの少しだけ私の心を相手に見せるのだ。じっくり見ている暇がないくらい、ちらっと一瞬だけ。風にはためくスカートのように、ほんの一瞬視線が交わったときにしてみる、流れ星みたいなウインクのように。
そう考えてみたら、私は新しく出会う誰かと純粋な友人になりたいわけじゃない。私の虜にしたいのだ。私がかつてそうされてきたみたいに。
きらきらしているひとに憧れていた。
きらきらして見えるひとに憧れていた。
友達とカラオケではしゃいだり、夜遅くまでだべって大騒ぎしたりしたことなんてほとんどないし、別になくてもいいって思っていた。でもそういうのって、きっとやってみたらすごく楽しいんだろうってことも分かっていた。だってきらきらして見えるもの。だからそういう話を聞くと、心のすみっこで「いいなあ」って思っていた。
私も行ってみたいな、やってみたいなあって。
でも私はどちらかといえば、大事なひとと公園で、ぬるい缶ビールを飲みながらほんの30分くらいの時間、話をしたり、黙ったりしたい。持ち歩いている小説のページにはさんでいたきれいな四葉のクローバーを、目の前にいた誰かに何の気なしにプレゼントしたい。
そっちのほうが夜中に遊びまわるよりずっと断片的で、詩的で、抒情的だ。
特にいつかそれらすべてが遠い過去の思い出になったときには、私の中でも相手の中でも、なにか特別な感情を思い起こすきっかけになるだろうから。
私はそういう物語みたいな形で、他者の記憶に残りたいのだ。私とともに生きていこうとしてくれるひとではなくて、1年もすれば言葉を交わすことさえなくなってしまうであろう誰かの中に、それでも残っていたい。
傲慢だね。
そして私はそのためにきらきらを(私の中でのきらきらを)そっと手ばなしているのだ。
だから私は目立ってきらきらしている方ではなくて、そういうささやかなものを選び取って生きていくし、その代償として誰かの持つきらきらに憧れ続けるでしょう。
そしてあるとき自分がそれを手にできると思って、でもやっぱりできなかったとき、期待が不意になって落ち込んだり悲しんだりしていくのでしょう。
ときどきそう思う。
どんなことであれ、私たちって期待せずにいられないのだ。どんな些細なことでも。でもそこがきっと人間といういきもののかわいいところでもあるんだろうな。いつだって、隣のアイスクリームは甘い。