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穏やかでねむたい午後に
JUDY AND MARYの散歩道を聴いて、やたらのびのびした気分になっている冬とのお別れの季節、春が来たら黄色い花冠をつくって頭にのせ、お姫さまのようになりたいな、とぼんやり思いながら、うとうとお昼寝をした。
3月に入ってから、ぽつぽつと大学の友人への手紙を書いている。もうじき卒業式だから。
私の友人たちはみんな文学を学んでいるひとびとだから、それぞれのやり方で言葉を愛しており、そんな彼らに手紙を書くとなれば、ブラウスの袖をまくり、深く呼吸をしてから紙とペンに向き合わねばならない。
かなり前にお酒を飲んで酔っぱらっていたとき、ワニの筆箱を持っている同期の男の子に、「ねえ、卒業式のとき手紙ちょうだいよ。欲しいんだもん。私も書くからちょうだいよ」としつこくねだったことがある。
彼はものすごく鬱陶しそうに私の相手をしながら「わかった、わかったよ。書く、書くってば」と言ってくれた。
同じように、私にとって誰よりも特別な大学の同期3人に、「一生のお願いって言ったら、卒業式のとき手紙書いてくれる?」と書きつけた紙を無言で回しことがある。
彼らはそれぞれに「もちろん」「一生のお願いじゃなくても、書きます」「短いけど今までに書いてないことを書いた手紙と、長くて前に書いたことあることをもっかい書く手紙と、どっちがいい?」とこれまた無言で書きつけて、私に紙を返してくれた。
そのときの紙は大切に取ってある。もう2度と得られないかもしれない、大事な宝物だから。
要するに、彼らは私に手紙を書くことを約束してくれているのだ。彼らから手紙をもらったら、私はそれにすがり、何度も何度も読み返して愛おしく持ち続け、生きて世界を渡っていくためのお守りにするだろう。彼らの言葉はひとつひとつ魔法のように不思議な力を持ち、私を生かしてくれるから。
恋人の話をしよう。
世界でたったひとりきりの私の恋人は、大学4年間で学んできた知識と技能を携え、とても大切な試験を受けた。けれど思うような結果が得られず、とても落ち込んでいた。ごはんがだいすきなのにのどを通らず、夜も眠れないほどに。
今までにそんな恋人を見たことがない私は、とにかくしっかりしよう、と気を引き締めて彼と話をした。
彼は卒業式を終えたらこちらへ帰ってきて勉強を続けるらしい。とはいえ、私は春が終わるころにここではない場所へ旅立つことになるのだけれども、そのことはまた今度書こう。
お気づきの方もおられるかもしれないけれど、最近私は恋人のことをちっともnoteに書いていない。自分でもそのことには気がついていた。私はこの数ヶ月間大学のことばかり、文学のことばかりで頭をいっぱいにしてしまっていたから。
けれど恋人のことをnoteに記録していないことは、私にとって彼が必要なくなったからというではなく、むしろその不在によって彼の存在が強く深く私のこころと身体になじみ、同時に私が彼が隣にいない状態に慣れ、彼不在の、しかし素晴らしくきらめく世界を新たに構築することができたからでもある。
4年間の遠距離恋愛を経て、私ちょっとは強くなれただろうか。なれているといいなあ。
恋人に何もかもを求めることは、彼を苦しめることに繋がる。そのことを最近ようやく理解し始めた。私の恋人はそれほど器用なひとではないからだ。だから彼と、彼より器用な誰かを比較することは、私と彼と、両方を不幸にする。
そして私は彼の知らない世界を持つことに成功し、そこでできた友人たちは、彼には決して開くことのできない扉をやすやすと開けて私のこころへと侵入してくる。それは私たちの感性が似ているからこそ、たやすくできることでもある。
しかしそれは恋人についても同じことで、彼と私とは全く別種の人間だけれど、それを互いに面白がることができたからこそ、こうして何年も一緒にいるのだ。彼は私の友人たちの知り得ないことを数多く知っている。
恋人は、友人たちとは全く異なる方法で私の精神と肉体を虜にし続けているのだ。
こういうことを書いていると、恋人と友人とはどちらが上かということを以前友人と話したことがあるのを思い出してしまうな。
私は「目の前で家族と恋人と友人とが溺れそうになっています。あなたは誰から助けますか」というような質問に答えを出すことができない子どもだった。それは今でも変わっていない。
「世界が滅びるとき、家族と恋人どっちを助けますか」というようなのも苦手。どっちも大事なのだから、答えられるわけがないのだ。私にとっては家族、友人、恋人というのは全く別の種類のもので、そもそも比較しようがないのだ。
みんな同じくらい好きで、大切なのにと思う。そしてそう思える環境に私がいるということは、何よりも贅沢で幸福なことだ。
とは言いつつ、私のことを誰よりも愛していると自負している人間には、私のこの気持ちはちょっと不満だろうな、とも想像する。けれど仕方がない。私は嘘をつけない。でももし嘘をつかなくてはならないときがきたら、絶対にばれないように嘘をつくことができる。
今日は夕暮れの空のような色合いの貝殻を浜辺で拾った。マッチを擦って火を灯したり、波を見てぼんやりしたりした。とにかく夜は更けていく。
今夜の星は美しく、天球はまさにプラネタリウムのようだった。本物の星を目の前にしてそれらを人工物に喩えるのはどうかと思いつつ、それもまあ、きっとそれほど悪くないのだろう、そう自分を納得させてみる。
月が見えなかったことをかなしく思うけれど、たとえ見えていてもいなくても、月も太陽も、私たちの側にあるのだ。