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ターコイズブルーの空
まえがき
こんにちは!青葉です。みなさんお元気にしておられますか?
5月末からお山へ行っていたけれど、いったんおうちに戻ってきました。なつやすみです。電子機器を使えない日々だったので、携帯やパソコン、テレビが不思議なものに思えて、なんだかすこしおもしろいです。
また時間のあるときに、この2カ月弱のことについて書こうと思う。けれど非常に難しいことに、私が高野山で経験してきたこと、やってきたことには、書けることと書けないことがあります。
他者に言っても大丈夫なことと、言ってはならないことがあるからです。
なので今回は山でのあれこれは書かず、無事おうちに戻ってきたよというご報告を兼ねて、届いていたマシュマロのお返事をしようかと思います。
実はかなり前に、そのとき使っていたX(Twitter)のアカウントでさらりとお返事をしたものもあるのですが、noteではきちんとお返事できていなかったので、過去にきていたものから順にご紹介し、お返事しています。
遅くなってしまって本当にごめんなさい。
送ってくださった方、ありがとうございます。
ひとつめ セーハ
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こんにちは。あなたをここでは、シャインマスカットさんとお呼びします。
私は中学3年間、吹奏楽部に所属してコントラバスを弾いていたので、きっとそのことを書いた文章をどこかでお読みになって、このメッセージをくださったのでしょう。
私の青葉という名前は、「あおば」ではなく、「せいは」と読みます。たしかに言われてみれば、口に出してこの名を発音してみると、ギターのセーハを連想しますね。
私はギターという楽器には手を出していませんが、父がギターを持っていて、ときどき弾いている様子をじっと見ていました。そのときにセーハという言葉と技法を教えてもらい、「かっこいい!」と思った記憶があります。だから私にとって、セーハは父との記憶を刺激する言葉です。なんだか愛おしいですね。
シャインマスカットさんは、楽器を演奏したり音楽を聴いたりされるのでしょうか。音楽がなくても生きていけるというひともいるけど、私は音楽がなくてはとても生きていけません。
私も死ぬまでに、少しでもいいからギターをやってみようかなあ…
大切な思い出を引っ張り出す機会をくださり、ありがとうございます。
ふたつめ 儚げなもの
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こんにちは。あなたは、つばめさんです。
こちらは私が熱を出していることをXでつぶやいた際に送ってくださったマシュマロだと思うので、もう数か月前になりますね、ああ…
いつも応援してくださり、ありがとうございます。
儚いもの、儚げなものって私はすき。清少納言の『枕草子』の類聚的章段みたいな風に、儚いもの、というお題でひとつ文章を書けそう。蝶々とか、かき氷の氷とか、雲の形とか、花とか雪とか。
こちらのマシュマロで送ってくださった内容とはちょっと違うのかもしれないけれど、すきなもの、きらいなものについてお話させてください。
理由は特にないけれど、感覚的になんとなくこれはすき(あるいはきらい)とか、あるいは逆に確固とした理由のもとで自分の好みを語ることって、私はどちらもいいな、と思います。
なにかをすき、きらいな理由を言語化できるということは対象物について日ごろからよく考えているからこそだし、逆に言語化できないのは感覚的に物事を捉えているからだと思う。どちらも全く別の魅力がある気がします。
しかも、すきときらいは同居し得ますね。
私は花はすきだけど花言葉はすきじゃなかったりする。同じひとでも、ここはものすごくすきなのにここはどうしても許せない、という面があったりする。けれどそれも分かっていて私は誰かをまるごと愛したいし、誰かは私を愛してくれる。
人間とはなんとややこしいいきものなのだろう。
つばめさんのおっしゃるように、世界にはどうしても愛せないものもあるのでしょう。でも、愛しているものが多いというのは、この世界を、一度きりの日々をなんとか渡っていくためのひとつの方法のひとつなのかもしれません。愛せないことさえも愛せたら無敵な気がするけど、なかなかいつもそうはいきませんな…
私は花が好きなので、「咲く場所に咲く花をそのまま愛でるような感性」という言葉は、大喜びする言い回しです。ありがとうございます。
これから夏へ向かうので、まだまだたくさんのお花が咲きますね。鮮やかな季節、体調に気をつけてお過ごしください。
そのさん あいうえお
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マシュマロありがとうございます!
ここでのあなたは、ひこうきぐもさんです。
こちらのマシュマロ、実は前にあいうえお作文の記事を書いた直後に届いており、ウェブ版マシュマロでは普通に内容に対してお返事しましたが、どうやら文章があいうえお作文になっていたようです…気がつかなくて、申し訳ありませんでした。恥ずかしいや。
そういえば中学生のとき、あいうえお作文の文章にしたLINEを送るのが流行っていたなあ。あれも結局、一種の言葉遊びですものね。
著名な小説家たちが、決められた文字であいうえお作文をしたりしたら、どんな風になるのだろう。それぞれの個性が発揮されて、とてもおもしろそうですね。読んでみたい。
でも同時に、そういう企画事には取り組まないタイプの作家の方が、私は好みかもしれない。ややこしいことを言ってごめんなさい。
私は本がすきな子どもだったから、昔から作家にものすごく憧れがあって、小学校高学年くらいのときから自作の物語を書いて、それを読むことを同級生たちに強要していました。
今思えばなんて図々しいんだろうと思うけど、大人になるとそういうふうなこともなかなかできなくなるから、後悔はしていません。もちろん、幼さゆえの行動に伴う、思い出したときの恥ずかしさはあるけど、それは形は違えどみんな絶対に持っているものだろう。
大学で文学の勉強をし、「先生の言うことが本当なら、私はとても小説家にはなれっこないや」と思ってしまった。
しかし物を書くことも読むこともやっぱりきらいではないから、きっとこれからも書き続けていくのでしょう。そして私は、たとえ物書きにはなれなくとも、それならば私を愛するひとのために惜しみなく言葉を紡ごう、と思えるし、私の言葉をすきだと言ってくれるひともいるのだから、それはそれで幸福ではないか?などと、こちらのマシュマロを読みながら考えました。
あいうえお作文マシュマロをありがとうございます。
よっつめ マシュマロ
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こんにちは!
高校の行事でバーベキューをし、そこでマシュマロを焼いたことを、マシュマロで報告してくださいました。あなたはマシュマロさんです。
ウェブ版のマシュマロのお返事でも書いたのですが、私はこの春に大学を卒業してしまい、それにともなって高校生活の記憶がまたすこし遠のいてしまったようです。
班で活動するという、その感じがすでになつかしいですね。だいたい、班の中には大抵必ず1人はおかしなひとがいるものです。
高校生だったとき、席が近くのひとと4人程度のグループを組んで何かの活動をすることがよくありました。
あるとき、話し合いをするか何かで、先生が「お誕生日が1番はやいひとが司会をやりなさい」と指示を出し、みんなで誕生日を言い合うと、6月生まれの私がいちばん早かったので私が司会をしました。
しかしその授業が終わるときに、「自分は12月生まれだ」と言って司会を免れた学級委員長の男の子が、じつは4月生まれだったことが判明しました。
こいつ、なんてやつだ!と思ったことがあります。しかし彼は清々しいほど飄々としていたので、笑って許してしまった。まったく。人徳ですね。
そしてもうひとつ。
マシュマロというたべもの、実は私はあんまり好きじゃないのです。
マシュマロを投げてくれとお願いしているのにマシュマロを好きじゃないとはあんまりな気もしますが、ふわふわしすぎているし、甘すぎてなんだか不安になるのです。
マシュマロさんは、マシュマロがお好きなのでしょうか。
高校生活、きっとあっという間に終わってしまうから、どうか楽しんで。すてきな夏の思い出がたくさんできますように!
いつつめ あめふらし
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こんにちは。
あなたをモンシロチョウさんと呼びましょう。
話が逸れるけれども、モンシロチョウは漢字では紋白蝶と書くらしい。ひらがなだと、もんしろちょう。同じ言葉でも、表記がちがっているとかなり印象が変わるのは、日本語のおもしろいところのひとつですね。モンシロチョウに関していえば、私は漢字表記が好きです。
モンシロチョウさん、その後の体調はいかがですか。身体だけではなく、こころの調子も大切ですね。
夏が近づいてきた梅雨のさなか、疲れが出ないように過ごしてほしいです。
そして「時には雨も降らしてね」って、とてもいいフレーズですね。不覚にもにやりとしてしまった。どうも私は晴ればかりを好んでしまうけど、雨もいいよね。よく考えてみたら結構雨も好きです。
あなたもときどき雨を降らして、そして雨上がりに虹を見つけたりして、日々を重ねていけますように。
ちなみにあなたが誰なのか、私はすぐにわかったよ。
むっつめ 本との出会い
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こんにちは。
あなたをウルフさんとお呼びします。
好きな書籍…なんだろう!書籍という言い方なので、きっと小説限定ではなく書物の形をとっているもの全般を指していますね。うーん…
この質問って実は、答えるのが簡単そうに見えてかなり難しい。でも、考えがいのある質問ですね。
ここで答えるとあれこれ長くなってしまいそうになるので、もうすこし考えてみてから、noteの記事をひとつ書こうかしら…
ちょうど夏に本にまつわる文章をまた書きたいと思っていたので、絶好の機会をくださって、ありがとうございます。
ただ、それだけで終わるのもどうかと思うので、私がこの2カ月、家を離れている間に無性に読みたくなった小説、梨木香歩さんの『家守綺譚』をご紹介しておきます。
これは今年に入ってから読んだ小説なのですが、すごくよいです。
この小説は、今は亡き友人高堂の家守を頼まれた、物書きの綿貫征四郎が主人公。各章が10ページ程度で短くて読みやすいです。章にはそれぞれに植物のタイトルがつけられており、季節の移ろいとともに巻き起こる、日常の中のすこし不思議な事件や出来事が淡々と描かれています。
この本との出会いは、仲の良い大学の友人に勧められた、というシンプルなものです。
そのとき私は梨木香歩さんの別の小説、『西の魔女が死んだ』を読みかけていたのですが、「梨木香歩さんの何かを読んでみたいけど、なんかこれは今読む気分じゃないな~」と思ってちょうど中断していました。そのタイミングで教えてもらったので、先に『家守綺譚』を読んだのです。
彼の勧める小説に外れがないことを分かっていたし、何より彼のことをすごく好きだったので、「読んだよ!」と話がしたくて買ってすぐ読んじゃったんだろうな…
なんて単純な人間!
けれどやはり大当たりでした。もちろん好みはあるのだろうけど、かなり読みやすいし、おもしろいのでおすすめです。
ウルフさんはお好きな書籍がおありでしょうか?あなたにとって大切な本やその本との出会いも、いつかまた教えてください。
ななつめ 忘れられないひと
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こんにちは!
マシュマロありがとうございます。
あなたは、ふわふわのタオルケットさんです。
noteを読んでくださり、そして応援してくださり、本当にありがとうございます!そのように言っていただけてうれしいです。
誰かとの距離の取り方にこそ、その人の本質が出るという言葉、鋭いですね。そう言われてみたら確かにそうなのかもしれません。
あくまで自分の中での認識になりますが、私は自分から誰かと距離を置くことってわりと少ない気がします。
中学のときに、当時両思いだと思っていた男の子に好きな子ができて距離を置かれかけたときも「振ったからって距離を置くなんて、なんて自分勝手なやつなんだ!」と思って自分からガンガン話しかけていたくらいだし。
いま考えたら、しつこい女の子だなあ!
私は出会うひとびとにすごく恵まれているけど、もう本当に耐えられないくらい自分をネガティブな気持ちにさせてきたり、私の周囲のひとびとに害をなしてきたり、どうしようもなくて誰かと距離を取ってしまうことは、確かにあります。
そういうときでも、こちらからは積極的に話しかけないけれど、話しかけられたらある程度は応じます。応じてしまう、というのが正しいのかもしれないな。私は無視されるのがすごくいうやだから、ひとのことも無視できないのです。
それについて「あなたはやさしいもんねえ」と言われることもあるけど、やっぱりすごく不利に働くこともあります。難しいですね。
さらに、私は今の恋人がはじめての彼氏なので、元彼と呼べる相手がいません。けれど過去に好きだった、でもうまくいかなかった男の子たちのことは今でもときどき考えます。
考えるといってもたいして意味はないのです。
どちらかといえば懐かしく思い出すような感じです。こんなことがあったな、こんなひとがいたな、今何してるんだろうなあ、元気だといいなあ、くらいの軽いものです。
ただし、今の私ができあがったのは、おそらく彼らの存在があったからでもあるのだろうな、ということは常々思っていて、それについてはとても感謝しています。どんなに傷つけて、傷つけられた相手でも。
そして恋人が前に付き合っていたり、思いを寄せていた女の子たちのことを考えたときも、そう思います。
私の好きな彼、彼の好きな私は、私たちが過去に想いを寄せてこころを通じ合わせたり、それに失敗したりした人々のかけらによっても作られているはずです。
そしてそのことは、今後も決して変わらないことだと胸のどこかで思っています。
だから元彼のことを忘れられない、というのは、タオルケットさんにとってその相手がすごく特別だったことのあらわれなのではないかな、と思います。
もちろん、ずっと囚われていて抜け出せないとか、どうしても相手とよりを戻したいとか、必要以上に執着してしまっているような場合はまたすこし話が変わってきてしまうのかもしれないけど…
でもきっと、誰にでも忘れられない相手っているのじゃないかなあ。
相手との今の関係がどうであれ、そういうひとがいるって、とても素敵なことだと思います。そのひとと今は会わなくても、話すことさえなくても、かつて出会ってかかわったこと、そのひとが自分の一部を形作っていることはなかったことにはならないと思うから、私は無理には忘れないで、胸の中に飾っておくことを選んでしまうかも。
ちょっとお話が逸れてしまっていたらごめんなさい。けれど、たまにこういうことを考えてみると楽しいですね。
タオルケットさんがこれをお読みになってなにか考えたことがありましたら、あるいはそれを私に伝えたいと思ってくださったならば、またマシュマロを投げてやってください。
すてきなマシュマロをくださり、ありがとうございます。
あとがき
お返事の量が内容によって少しずつ違いますが、これで無事に全部お返事できたんじゃないかしら?誤字脱字があったらごめんなさい。気づいたら直しておきます。
返すのが遅くなってしまうことも多いですが、飛んできているマシュマロにはすべて目を通しています。そしてにやにやしたり、ほっこりしたり、おもしろがったり、唸ったりしています。
小瓶に手紙を詰め込んで海に流すような気持ちで送っていただいても構いませんし、今回のマシュマロさんのように「マシュマロを焼いて食べました!」みたいなかわいいものも、大歓迎です。
いつでもなんでもお待ちしています。
いつも私の文章を読んでくださって本当にありがとう。みなさんの夏が、去年にも増してすばらしいものになりますように、ひそかに祈っています。
これからもどうぞよろしくね。