清風堂のおすすめ vol.16(2023/12/24)
こんにちは、清風堂書店の谷垣です。
今年の更新はこれが最後となります。
また来年もよろしくお願いいたします。
年末年始の営業時間は以下のとおりです。
12/29-12/31 11:00~19:00営業
1/1-1/3 休業
1/4より通常営業
これから出る本
『本屋のミライとカタチ(仮)』北田博充・編/PHP研究所
梅田・蔦屋書店の北田さんが出版業界内外の方たちにインタビュー。コラムも織り交ぜつつ、本のこれからを考える1冊です。2月24日には同書店で刊行記念トークイベントもあるそうです。
総特集・立岩真也(『現代思想』2024年3月臨時増刊号)
今年7月に62歳という若さで亡くなられた立岩真也さんが現代思想で特集されることとなりました。
プラグマティズム選書フェア続報
関連書が続々入荷。かなり層の厚いフェアになりそうです。入門書からふだんは置いていないような学術書、ナボコフ『ロリータ』まで。
じつは『偶然性・アイロニー・連帯』の第7章にあたるのが<カスビームの床屋ーー残酷さを論じるナボコフ>という論考です。この「カスビームの床屋」というのは『ロリータ』における一エピソードにすぎません。しかし、ナボコフはこの人物描写に1カ月も時間をかけただけでなく、小説における「中枢神経」のひとつであるといいます(注1)。ローティはこの短いエピソードを端緒に、ナボコフの道徳観を論じています。
『偶然性~』の索引を見てみると、第7章以外でもナボコフに言及があるようです。あらかじめ作品を読んでおくと理解が深まるかもしれません。
(注1)若島正・沼野充義(編)『書きなおすナボコフ、読みなおすナボコフ』研究社.2011.30p
レビュー:『<悪の凡庸さ>を問い直す』
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波ブックレット)を読まれたら、ぜひこちらも読んでもらいたいです。ブックレットが7万部を突破したことを考えれば、もっと売れていいとおもいます。「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たちがSNSで多く見受けられるのと同等に、<悪の凡庸さ>に対する誤解もまた根深いはずであるからです。
まず、編著者の小野寺拓也さんによる序文が素晴らしいです。簡潔明瞭に論点が整理されており、これだけでも2000円の価値があるようにおもいました。以下では、私が読んでいて興味深く感じたポイントをいくつかまとめてみます。
①<悪の凡庸さ>はなぜ一人歩きしたのか
<悪の凡庸さ>(あるいは<凡庸な悪>)という言葉に対して、アイヒマンは組織の歯車にすぎなかったというようなイメージを私たちは持ってしまいがちです。しかし、この言葉が『エルサレムのアイヒマン』の本文で登場するのはわずか1か所にすぎません。なぜ<悪の凡庸さ>はこれほどまでに一人歩きしてしまったのか。そもそも、アーレントはこの言葉を用いることで何を意図していたのか。
⓶日本におけるアイヒマン受容
①を受けて、日本におけるアイヒマン受容にも目を向けます。これも興味深いポイントでした。大きく変わったのは、ガイドライン関連法案が国会審議され世論が二分していた1999~2000年、映画『ハンナ・アーレント』が日本で公開された2013年。このタイミングで<悪の凡庸さ>が人口に膾炙するようになったことを踏まえると、(とくに前者において)当時の日本社会の状況とは切り離せない現象のように思えます。これが日本に特有のものなのか、あるいは他国でも似たような事例があるのかは気になるところです。
⓷総統の意を体して働く
ヒトラーの大きな影響力と官僚の主体性。それらを整合的に説明するために「総統の意を体して働く」という論点が導入されます。ヒトラーは主に国家の方針を打ち出したにすぎず、けっしてすべての政策を一人で決めていたわけではありませんでした。やはり部下・官僚にも主体性があったことを認めないわけにはいかない。「組織の歯車」は命令されたことに従うだけですが、「総統の意を体して働く」とは、ヒトラーが示した理念に叶うような政策案を、部下たちが先回りして決定することです。これはまさに「忖度」と近いところがあります。
以上を踏まえ、本書で論じられるのは次の3点です。
1. アーレントが<悪の凡庸さ>という言葉で言おうとしていたことは何か
2. <悪の凡庸さ>という概念は今後も有効か
3. 使い勝手の良さゆえに誤用される<悪の凡庸さ>とどう向き合うべきか
もし興味が湧いてきたら、ぜひ手に取っていただきたいと思います。
(終)