子ども達と寝る前に3good探し。「なんもいいことなかった…」からのハッピーな変化
最近、夜寝る前に、子どもたちと1日の出来事の中で「よかったこと」を発表し合う会をやっています。
私も子ども達も疲れてる日も多いので、できる時にやっています。
きっかけは、「夜寝る前に、その日あったよかったことを3つ(3good)を探すようにしている」という友人の言葉を聞いたこと。直感的に「それやってみたい!」と思いました。
私も、しばらく自分で、毎晩3good探しをやってみたところ、これがすごくいい。取り立てて大したことが起こらなかった日も、「あぁ今日も、こんなにいいことがあったのか~~」とあたたかな気持ちで眠りにつくことができます。
そんなわけで、さっそく、子どもたちとやってみることに。
しかし、いざやってみると、息子たちは全く乗り気でない上に、ネガティブな発言のオンパレード。もっと、よいことに目を向けられるようになって欲しいなと思った私は、試行錯誤しながら3goodを続けてみました。
すると、最初は嫌がっていた子どもたちに少しずつ変化が。
今では、「いいこと探ししないの?」と自ら持ちかけてくれる日もあったり、少し意識が変わったかも?な模様です。
今日はそんな変化と、実は奥深い「よかったこと」探しについての考察を書いてみたいと思います。(今回もやや長めです…><)
↑↑ こちらの写真は、私のある日のよかったこと。息子が保育園のファミリーデーで嬉しそうにプレゼントしてくれた。コレを作っていることをヒミツにしなくてはいけなかったのに「実は、ママたちにひみつのことがあるんだ~~」と、毎日、言ってしまう息子が可愛すぎました。
「なんも、いいことなかった!」と言われる
子どもたちから「どんな可愛らしい話が聞けるのかしら?」と、期待しながら、3goodのアイディアを持ちかけた私。まさか嫌そうにされるとは……意外でした。
私の提案に対して、面倒な様子で、「えー、いいことなんて全く無かった!」「なんも、いいことなかった!」と口々に答えた息子たち。
えっ、毎日、こんなにはしゃいでいて(しかも、やりたい放題で……>< 笑)、何の悩みもなさそうで、私から見たら幸せすぎるような状態のこの子たちなのに……。「いいことなんてない」と思っているのか……と心底、意外。というか落胆。
でも、だからこそ、この習慣が必要なのかも? 気持ちを切り替え、しつこく彼らのマインド改造をしていこう!と決意したのでした。
母親から見た「あなたに起きたよかったこと」を伝えてみる
「えー、今日、全くよかったことなんてなかった」と答えた長男。
正直、学校での出来事や、友達とのやりとりまでは見えません。そこは良くわからないけど、家では、ひどいことがあったとは思えない。普通に美味しいご飯を食べて、いつものようにおやつも食べて、食後にはちゃっかりデザートも食べ、動画をみて、たまに弟とじゃれあったりして気ままに過ごしていました。
その日の夕食は彼の好物のカレーでした。だから、私は、「カレーライスが食べられたのは、”よかったこと”なんじゃないの?」と試しに提案。すると、「あー、それ!確かにいいことかも」などと言ってくれました。ホッとしました。
次男にも、「デザートで晩柑食べられたのよかったよね?」とか、「あのゲーム出来て楽しかったんじゃない?」と提案。なんとか無理やり、その日の2人のよかったことを絞り出すことができました。(フーッ)
その後も、気が向いた時に続けました。
たまに「本当に嫌なことばっかりだった」という日もあり、そういう日は3goodではなく、3badを聞くこともありました。目的は違いますが、嫌だったことを言語化するのもきっと大事。そう思って、ゆるーーくやってます。
↑↑ 私のある日のよかったこと。ジョギング中に可愛いあじさいを見つけたこと。私が特に好きなのは、ガクアジサイの中央の細かい造形。この薄花色の小さな花弁に白いふわふわした何かが舞う様子。そして、その周りに薄い赤紫色の小花。なんて可愛いいのだろうと思います。
3goodを見つけられるようになってきた子ども達
多分ですが、子どもたちと私では”よかったこと”に対して持つ概念(質?)が違っていました。
そこに私が例をだして「こんな些細なことでいいんだよ」と伝えて、それを理解した子どもたち。少しずつ、日常の中の3goodが出せるようになりました。
例えば、ある日の5歳次男の3good。
●みたらし団子が食べられた
●(夕飯の)オムライスが美味しかった
●パパが晩柑を、むいてくれた(晩柑とは、我が家で頻繁に食べる柑橘類でして、とても美味しい)
全部、食べ物!!!笑
しかも、ほとんどが夕方から夕食にかけて起こったことで、直近の数時間以内の出来事。もしかしたら、1日を朝から晩までの出来事を振り返るのは、まだ少しむずかしいことなのかも?と思ったりしました。まぁ、こちらから「●●な出来事ってどうだった?」と聞けば、出てくるんでしょうけどね。
別の日には、「恐竜のゲームが出来た」、「(川でガサガサをしていて)大きな鯉に触れた!」などもありました。
ちなみに、小4の息子のある日の3goodは……
●toon brust (ゲーム)でレベルが上がった
●サッカーができた(その日は、彼のチームのサッカーの練習日だった)
●お風呂、今日は洗わなくてよくてラッキー(息子はお風呂そうじ当番、でもその日は、なぜかパパが洗っていた)
●「Challenge English」でネイティブレベルが出た!(発音の練習の判定。ネイティブレベルが出るのはかなり珍しい)
この日は、珍しく3個と言わず、4個出てきました。うん、いい感じ。少しずつ、このレベル感の「よかったこと」に気づけるようになったのは、きっと彼にとって良いことでしょう。
ちなみに、私の3goodの一つに頻繁に入るのは「子どもたちが一日、怪我なく病気なく元気に過ごせたこと」です。
子どもたちにとっての、かつての「よかったこと」とは?
一連のやりとりを通して気づいたのは、私が考える「よかったこと」と、子どもたちの思っていた「よかったこと」の概念が違っていたことでした。
子どもたちの「よかったこと」は、おもちゃを買ってもらえたり、ずっと狙っていた虫が採れたり、試合でシュートを決められたり!という、特別でスペシャルなことだったようです。だから、最初は「今日、なんもいいことなかった」になった。
でも、私が考えていた「よかったこと」は日常にある些細なことや、小さな出来事に幸せを見つけようという企画だったわけで、そこにまず齟齬があった。
それに、「よかったこと」を見つけるって、簡単そうに見えて実は技術や知識もいることなんだと思います。だから、子どもたちには、そのやり方をさりげなく伝える必要があるのかもしれません。
↑↑ これも、ある日のよかったこと。夕日を浴びた川面です。こちらの写真、うちの近所のごくありふれた川です。この穏やかな佇まいをいつまでも見ていたい。こんな風景に出会えるのは、格別なよかったことかも。
「よかったこと」を見つけるって、実は技術や知識がいるのでは?
エーリッヒ・フロムの『愛するということ』という本が好きで、昔けっこう影響を受けました。そこで言われていたのは、愛は技術であるということ。能力があってこそ、ほんとうの意味で人を愛することができる。では、どうやってその能力を高めていくのか…?というような事が書かれている素晴らしい本。
で、なぜ、そんなことをいきなり書いたかというと、なんとなく「よかったこと」探しも、技術がいることなんじゃないかな?と思ったのです。「人を愛すること」よりは、はるかに難しくはないし簡単にはできることだけど、それでも技術がいるし、アンテナもいる。そして、「よかったこと」が見つけられることは、ゆくゆくは「人を愛すること」にもつながっていくんじゃないか?みたいなことも思いました。
(話が飛んで、ごめんなさい。今は、上手く説明できないのですが、そんな風に直感的に思っています。いつか書きたい)
「いいこと」に沢山気づくためには、「いいこと」へのアンテナの感度をよくすることも大事。(これは、み・カミーノさんのnoteで語られていた!本当にそうだなと思いました↓)
そして、そういう感度的なことが必要な「よかったこと」探しは、だからこそ意外と難しいことなのだとも思いました。日々、周りの大人が何を話しているか、どう語りかけられているか……にも影響されるのかもしれないと思ったわけです。
それに、知識があると、より「よかったこと」に気づきやすくなります。そういう意味では、子どもよりも、大人の方が「よかったこと」に気づきやすいのでしょう。
ある時、私に「よかったこと」の波が押し寄せた
ちなみに、この「よかったこと」習慣を続けていた、ある日のお昼のことです。
私は、海苔に巻かれたお餅を食べていました。お餅は、たしかサトウの切り餅でした。
そこで、私は、ふと思いました。
この海苔、すごく美味しくて大好きなんだけど、自分で作ろうと思っても絶対作れないよなと……。(私は海苔が大好き)
だれかが、海に海苔の種をまき、栽培して加工して、すごい技術で作られている。例えば、下の記事なんかを読むと、海苔を作るということが類まれな技術だとわかるでしょう。しかも数百年という時を経て、培われてきた技術です。
餅だってそう。だれかが餅米を田んぼで1年かけて作り、夏は必死に雑草と戦い、そして収穫して脱穀して、餅米にして……。(つづく)
ものすごい労力と技術によって、このシンプルなお餅が作られて、今、私の手元にある。
それを美味しく食べられている。
そして私は餅を焼くために、キッチンの電子レンジのトースト機能を使った。そこには、電気が滞りなく来ている。電子レンジを開発した人がいる。餅がはりつかないよう鉄板の塗料を開発した人がいる。
ふと気がつくと、あまりに沢山の人に支えられた毎日に「よかったこと」がないはずがない。この世界は、なんて「よかったこと」に溢れているんだろう。
その日のランチタイムに、突然「よかったこと」と「感謝の気持ち」の大波がざっと私に向かって打ち寄せてきました。すごい勢いで......。
私って少し変なのかもしれない。
けれど、目の前の海苔に巻かれた餅が、奇跡の食べ物に見えたんです。しかも、手軽な値段で気軽に手に入るって、すごく「よかったこと」だよなぁと改めて思うのでした。
さて、でも、この「よかったこと」に気づくには知識もいる。そして、自分1人には決して作れないものだという想像力もいる。それに、考えるための心の余裕も……。必死な時、なかなか「よかったこと」には気づけなかったりする。
意外と「よかったこと」って、奥深いなぁ……などと、とりとめなく考えていました。
急に「よかったこと」の大波に溺れそうになった私からすると、「よかったこと」に気づくことは毎日をハッピーにする、それは間違いないようです。
◆◇◆
そして、今回の記事のきっかけは、こちらのルミさんの記事です。それにしても、大きく脱線してしまった上に長々と書いてしまいました……。
ルミさん、素敵な投げかけをありがとうございました♡