死について
フォローさせて頂いている生春巻きさんの所で真摯な文章をみた。私も、思考してみたいと思った。生春巻きさんは、見つめる事が出来る人なんだと勝手ながら思った。ご不快に感じましたら、申し訳ありません。
死が怖いか?死後はあるのか?無いのか?あるならどうなんだ?ということについて、色々と述べられることがあると思う。
その問については、生ものの一人の人間として向き合い、府に落ちる、あるいは底打つ感覚に近いものをその都度受け容れてゆけば良いのではないかと思う。
私は、何の根拠もないが死んだらまた好きな物語を書く。
私は、【死ぬ】ことは怖くない。だからと言って命は無駄にしない。自死は絶対にしない。
けれど、私がもし次の瞬間死んだとしても、【私は、幸せだ。】と断言できる。何故なら、私の中に流れているものは、私だけではないから。多くの命を引き継いだ上で産まれ次の誰かに様々な形で伝える命だから。
誰かが先に行く逝くときも、受け継ぐものがある。外側の入れ物が消えても受け継いだものは自身の中で生きる。
私が元素に還ってもやがて其れは星を巡りまた、降り積もり【何か】になる。
最初からこの朽ちゆく体は、借り物だと思っているから。だから、この刹那を大切に生きる。誰が見て無くても、私は、私を見つめる。この借り物の体が朽ちるときまで。やれることをやるし、これからの未来を創る人に遺せるモノを遺す。ふと、私の文章を読んでくれた人に、交流してくれた人に伝え続ける。
私の生き方は不器用で、腹を抱えて笑える文章は書けない。けれど、誰かが落ち込んだり体育座りしたくなるような時には、その人の言葉の隣にいたいと思う。
真摯に向き合う人の隣にふらりと現れる文猫になりたい。
今日も沢山のひとにありがとう。
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