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帰省したら、祖母が「芋けんぴがない!」と騒いでいた
いや、タイトル通りなんですが。
思わず孫娘は「は? イモケンピ?」と、新種の鳥の名前でも聞くかのように返してしまいましたが、マジであのおやつの芋けんぴでした。最近たまにあるらしく、母もぷりぷり怒っています。
「ほんま、なんで私が怒られなあかんの? お金盗られたとかならまだわかるで。でもよりによって、芋けんぴ! 芋 け ん ぴ やで?!」
祖母のお菓子ボックスに、イライラとケンピを追加する母に、私は心の中でそっと手を合わせました……。お気の毒に……。
98歳になる母方の祖母は、ほんの数年前までひとり暮らしをしていました。太秦映画村近く、路面電車沿線の一軒家にもう何十年もひとりで住んでいました。祖母は日本舞踊の師範で、週に数回生徒さんが集う、賑やかなお家でもありました。
私は一番下の孫ということもあり、祖母にはずいぶんかわいがってもらいました。祖母の家まで2時間もかかるというのに、けっこうな頻度でお泊まりさせてもらっていました。
晴れた日には、生米を袋に入れて持たせてもらい、近くのお寺へ行ってハトにエサをあげました。そのころ私はひどいアトピーで、祖母はよく「ハトさん、この子のアトピー、一緒にお空へ持っていってやって〜」などと唱えていました。
最近知ったのですが、祖母は動物があまり好きではないらしいのです。生き物大好きな私に付き合ってくれていたらしい……。ありがとうおばあちゃん。
築70年の一軒家だったので、冬も隙間風がひどい家ではありましたが、コタツに入ってだるまストーブに張り付きながらごはんを食べるのもまた楽しいものでした。
祖母はよくストーブに網を乗せ、おもちを焼いてくれました。ひっくり返すたびに網の上でおもちがかさかさと立てる音を聞くのが好きでした。
味噌汁やおでんなんかも作ってくれました。冬にストーブで料理をするあの風情は、家の中でキャンプをしているみたいでいつもワクワクしていたのを思い出します。
夕飯ができあがるのを待ちながら、冬休みの宿題の絵日記も書きました。
「ねぇ〜文章考えてぇ〜」
家では母に怒られるので自分で頑張るところを、ここぞとばかりに祖母にベタベタ甘えました。祖母は「わかったわかった」と今日あったできごとを絵日記風に仕立ててくれました。
「今日は、お寺へ行きました。生のお米がなくて、かわりに炊きたてご飯を持っていったら、ハトが食べにくそうでした……」
白飯をつつくハトの首があんなにひん曲がるのを、私はあの時初めて知った……ごめんハト。
祖母が言う言葉を一言一句紙に書き出していたアレは、今思えば、インタビュー記事を書く時に語られた内容を書き起こす作業に似ている気がする。私の人生初の文字起こしは、なにげに祖母の口伝だったとも言えるかもしれない……なんて。
最近はさすがにお泊まりさせてもらう機会はありませんでしたが、週に何度か1km近く歩いて銭湯に通ったり、夜遅くまでお友達と出歩いたりと、祖母は元気ハツラツと暮らしていると誰もが思っていた、のですが。
ある日メガネを買い換えるのに私の両親が付き添ったところ、何と祖母の目がほとんど見えていないことが発覚しました。
思い返せば、緑と黄緑が見分けられなかったり、落としたものを手探りで探していたり、おかしいなと思うシーンは結構前からあった気がするのです。それが、あまりの元気っぷりにすべて覆い隠されていました。
普段普通に生活しているように見える祖母の暮らしが、実は「これはここにあるはず」「たぶん今は◯時ごろなはず」「今日は◯◯さんが来るはず」といったように、長年の経験とカンと想像で形作られたものだということを知り、驚愕しました。
ひとり暮らしは祖母の希望だっただけに、両親もかなり悩んでいましたが、さすがに視力のないお年寄りを一軒家に放っておくわけにもいかず、結局一緒に住むことになりました。
で、冒頭の芋けんぴ事件が勃発したわけなのですが。
たぶん、目が見えないから食べることしか楽しみがないのだろうなぁ。テレビだって音声だけでは楽しめないし、塗り絵や裁縫もできないし。
それに、「これまで誰の世話にもならずに暮らしてきた」というのは、祖母にとってはプライドだったのです。
「お元気ですね!」と言われるのがなによりも嬉しそうだったし、「慰問」と称して日本舞踊を踊りに老人ホームへ行ったりもしていました。利用者さんからしたら、同年代のおばあさんが来てさぞ驚かれたでしょうが。
それが両親と暮らし始めて、いろいろできないことがあるというのが浮き彫りになって、イライラすることもあるんだろうなぁ。
もう同居して一年以上経ちますが、いまだに会うと「あんたの代わりに私がお父さんとお母さんにお世話になって」というような言い方をします。「座ってばっかりで悪いなぁ」ともよく言います。
そんなん気にせず、プライド捨てて楽になればいいのに。なぁ、おばあちゃん。
今、祖母が住んでいた家は待ってましたとばかりに取り壊され、駐車場になりました。その話を祖母におそるおそるしてみましたが、「あ、そう」と軽いもんでした。過去は振り返らないその信条、ぜひ見習いたい。
お年寄りは環境が変わるとものすごくボケるという話も聞きますが、いちおう私のことも夫のことも会えばちゃんとわかってくれるのですごいなと思います。
夫の親戚にも同い年のおばあちゃんがいるのですが、そちらの方はもう右も左もわからない状態だというので、よけいにありがたく感じます。きっと、毎日お世話をしている両親に言わせればいろいろとあるんでしょうけど。
その昔、期せずして祖母の隣でもくもくと初文字起こしをしていた私は、今やこうしてnoteに文字をつづるようになりました。
私の幼少期の大きな割合を占める祖母との思い出。大人になってからは、感謝の気持ちをこめて、何かにつけお土産やプレゼントを贈るようにしています。
最近会えていないけど、コロナの第6波が去ったらまた帰ろう。お土産には、芋けんぴ持ってね。
いしかわゆきさん著『書く習慣』巻末の1ヶ月チャレンジに挑戦しています。Day16のお題は、「あなたの1番大切な人」でした。
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