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会いたい人には、会えるうちに。伝えたいことは、色褪せないうちに。

Twitterに疲れた。創作にも疲れた。

なんかそんなことを思っていたら、全然関係ないけど祖母が入院した。

部屋で転んで骨を折り、病院で安静にしつつリハビリするほうがいいんじゃないかという医師の判断らしい。
両親の様子からして、深刻な状態ではなさそうだったけれど、99歳の祖母にとって、なんとこれが人生初めての入院。

確かに私の記憶の中でも、祖母が寝込んだり病院へ行ったりしている姿は一度も見たことがない。
お見舞いに行かないと。

というわけで、正直オンラインどころではない、とTwitterはここぞとばかりにログアウトした。



で、お見舞いの日の前日に新幹線に乗り、実家に帰ると、母が「この前は、コレ送ってくれてありがとぉ」なんて言いつつオルゴールを出してきた。私が9月初旬の母の誕生日に贈ったフラワーアレンジメントについていたものだった。

「お父さんは、お母さんになにをあげたん?」

興味本位で聞いてみたら、お父様は言った。

「忘れててん」

「は?!」

プレゼントが間に合わなくて、今年は数日遅れでスーパーのチョコレートケーキを食べるにとどまったらしい。

断っておくが、父は家族のお祝いごとを忘れるタイプではない、特に母の誕生日は。食べ物だけじゃなくて、毎年ちゃんとプレゼントも用意している。なのに今年は、よりによってその当日に、親戚の誕生日にはなにをあげようか、みたいな話をして、母の不興を買ったようだ。

完全にやらかしている。

い、いったいどうしたの……仕事大変やった?
すると父は、うーんと難しい顔をして、

「お母さんがおばあちゃんの介護で毎日気難しい顔をしているから、そっちに気を取られてしまった」
とかなんとかいう。

そんなん忘れる理由になるかいな。
ていうか、そういうときこそのお祝いじゃないのか。

100人に聞いたらたぶん1万人が同意してくれると確信する一方、ここのところどんどん弱っている祖母のお世話は本当に大変なんだ、とも思った。私も帰省して介護を手伝っていない以上、父を責める権利は1ミリもない……。



さて、肝心のお見舞いは、このご時世のせいで予約制のリモート面会だった。とりあえず顔を見て話せるというだけで、花も差し入れも許されない。

入院棟の2つ隣の建物から、タブレットを使って病室に繋ぐということで、しばらく待っていると、看護師さんが部屋に来て対応してくれた。

画面に映った祖母は、入れ歯を入れていないのもあって、げっそり年老いて見えた。

おばあちゃーん、と呼びかけるものの、困ったことに祖母はほとんど目が見えない。だから、画面越しでは誰とどんなふうに面会しているのかもわかっていないだろうし、すこし認知症が進んでいるのもあって、そもそも自分が今どこにいてなんの治療をしているのかも理解できているかアヤシイ。

元気〜?
と明るく聞いてみるが、「げんきは……ないけど……」と言う。

入院中なんだもの、そりゃそうだ。私はなにを聞いてるんだ。
ただ、無表情でボソボソ答えられると、妙に胸にくるものがあった。

まともに会話ができないせいで、面会時間はアッサリ終了。ベッドの上に起き上がることができていて、顔色もまあまあよさげ、くらいのことしかわからなかった。

そんな有様なので、まったく実感はないけれど、医師によると体は順調に回復していて、今月中には退院できるかも……とのことで。

よかった。

ただ、あの様子だと次に会ったときに果たして私のことを孫だとわかってくれるか怪しいな、と思った。淡々と書いているけど、そのとき私は何を思うんだろうか。

ついこの前まで、「取っておいた私のお菓子、誰が食べたんや!」って怒ってたくせに。
この前まで、俳句のネタが浮かばない、って夜更かししてたくせに。
この前まで、「ありがとおなぁ」って笑顔で握手ができたのに。

伝えたいことは、思ったときにちゃんと伝えておかないといけない。
そんなことを、考えたりした。


で、お見舞いが終わって、なんだか意気消沈したのでもう新幹線で帰ろうかなと思ったのだけど。喫茶店で、たいして美味しくもないマスカルポーネなんたらシャインマスカットうんたらケーキを食べながら母が聞くのだ。

「あんた、人生であと何回親と会えると思う?」

やめて、頼むから今そんなこと聞かないでほしい。
実母である、ヨボヨボの祖母に面会したばかりの母が発するには、あまりにも重いセリフだった。

ネットで計算してみる。

親の国籍、性別、年齢、平均帰省回数を入力すると、親が天寿を全うするまでにあと何回会えるか計算してくれるサイトがあるのだ。

"See Your Folks" より引用

『36回』

「なーんだ、意外とまだ会えるなぁ」

母は、もっと少ないと思っていたらしく軽い反応だったが、私は心底「ひぇ」と思った。

あとそんなちょっとしか会えへんのか。
アカン。
せっかく家でできる仕事をしているんだから、もう何日か泊まろう……。

ちなみに、祖母は日本の平均寿命をとっくに超えているため、そもそもこのサイトでは計算さえしてくれない。

会う回数を増やすも減らすもあなたの努力次第ですよ、ってことですよね。すみません。
もっと帰省します。


そんなわけで、家で娘(うさぎ)の面倒を見てくれている夫にも連絡を入れ、もうちょっとだけ滞在予定を伸ばした。

伸ばした数日の間に、これまで祖母が続けていたお稽古事のひとつ、俳句の会の話になった。

そもそも祖母の体調不良のはじまりは、今年の初めに俳句の先生の家で転んだことがきっかけだ。
もう半年ほど句会には行けていないが、会報担当の生徒さんが、まめにハガキをくれていた。

『おかわりありませんか。来れなくてもいいので、ぜひ投句してください』

母によると、月に一回、季節の俳句を5句作って教室へ持ち寄るのだそうだ。生徒どうしで批評しあったあと、先生が添削したものが会報に掲載される。

生徒は数人しかいないので、俳句がないと教室に行っても座っているだけになる上、他の人に迷惑がかかる。が、祖母は季節感もわからなくなっているせいか、ここのところ俳句がとんとよめなくなってしまったらしい。

そこでなんと、母が代わりに詠んだ俳句を持たせたりしたこともあるそうだ。

それでええのんか、と思うけど、先生だってプロである、そんなことはバレバレだろう。
会報担当の生徒さんも、とにかくFAXで送ってくれれば先生に届けます、と割と軽いノリで。

今後行けるかわからないが、とにかく今月分だけでも祖母の名前を会報に載せてあげたい。
そんな思いがむくむく湧いたので、今回は私がゴーストライターを務めることにした。

よっしゃがんばるぞ、とネットで使えそうな季語を検索する。この時点で私のレベルの低さがバレそうである。ないセンスを振り絞り、5句ひねりだす。

みのむしに
振りあおぐ空
高き青

おお、その調子、と自らを奮い立たせる。

照れ並ぶ
ふたり夜道に
虫の声

……こんな調子で、どうにかこうにか5句が完成。
やっぱり、創作は楽しいなぁ、としみじみ思った。


ちなみに、変な句は先生が跡形もないほど添削してくれるらしいので、祖母の顔に泥を塗る心配もないという安心設計だ。

とにかく「送った」という事実さえあれば、名前は会報誌に載るというわけ。祖母が、句会に籍を置いている限りは。



会いたい人には、会いたいうちに。
やりたいことは、やりたいうちに。

忙しいと言い訳せずに、もっと実家に帰ろう。
そんなことを深々感じた帰省だった。


祖母のおかげで俳句を作ることができて、創作の楽しみも思い出した。
Twitterでの発信や、小説も、またちょっとずつ再開しようとも思う。

俳句も作らなければ会報に載らないのと同じように、

言葉だって、形にしてはじめて誰かに届く可能性が生まれる。

書きたいものは、書きたいうちに。
伝えたいことも、色褪せないうちに。

そんな当たり前のことを、改めて心に刻んだ秋の初め。

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あやこあにぃ|作家&インタビューライター
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