書かれていないもの加えるのはあり、なのか
中国語の翻訳で一番難しい部分は何かと聞かれたら、皆さんはどう答えますか。
わたしならば、「書かれていないものを書くべきかどうかの判断」と答えます。
私は当noteの最初の方の記事で、正確さを最優先とするニュース翻訳においては、翻訳の精神である「信(信用に足る文章であること)、达(読み手に伝わる文章であること)、雅(日本語らしい文章であること)」の「信」に基づき、「文章中に書いてあるもの以外に余分なものを継ぎ足しては絶対にだめ」と書きました。
あれから数年経ちましたが、私の考えはあのときから変わっていません。
ただやはり特に中国語においては、「書いてあるものしか翻訳してならない」という縛りで翻訳をすると、どうしても日本語としては通りが悪い文章になってしまうことが多々あるのも事実でしょう。
これはやはり、中国語と日本語とでは語句以外に文法などでさまざまな違いがあるからにほかなりません。
例えば中国語文においては主語が予告なしに途中で変わるということはよくあります。また、英語の関係代名詞の構文のように後ろの文節が前の語句を修飾すると言った構文もあります。
もしこれらの文章を「文章中にはないから」という理由で漫然と訳したら、出来上がった文章は恐らくグーグル翻訳のようになってしまうでしょう。
ですから、このような場合には「翻訳者の責任で」翻訳文に補足の言葉を継ぎ足す必要があるのです。例文を出してみましょう。
この中国語文を翻訳する場合、ひょっとしたらこう訳す人がいるかもしれません。
これは一見正しいように見えますが、訳文としては正確ではありません。
なぜなら「常务会议」以前と「确定国务院~」では実は、主語が異なるからです。実は「确定国务院~」以降の文章の主語は「国務院常務会議」であり、重点工作の分担を確定したのは実は「李強総理」ではないのです。
なぜそういえるか。
こう問われた時に私には説明できるほどの中国語の文法知識は、持ち合わせていません。しかし「一般的な常識で通るかどうか」というテーマで、立ち止まってこの文をしっかりと考察すると、多くの人は「どこかおかしい」というもやもやした気持ちを持つのではないでしょうか。
一般的に、中国であっても、日本であっても、大体の会議においては、会議の議題の可否を議長である総理が独断で決めることはありません。ほとんどは会議の出席者が話し合い、評決で決めることがほとんどです(いくら独裁国家の中国といえども・・です)。
私も昔は上記の日本語訳で通していました。でもある時、「おかしいな」と気づき、「主語が変わっているのでは」という仮説をもとに、こう直したのです。
このように主語を「会議」にしたことで、私の心の中のもやもやした気持ちは一瞬で消えました。中国語(大陸であっても台湾であっても)の報道文においてはこのように、「前置きなしに主語が変わる」文章がたくさん存在してます。
ですから、主語が変わったときにこのように「文章中に書いていない語句」を主語として継ぎ足して、読者に提示するのはとても大切な作業と言えます。
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あと重要なのは代名詞でしょうか。
日本語においてはほとんどの場面において、「彼」「彼女」といった代名詞を使うことはなく、名前を使います。主語を使用しないときもあります。
一方で中国語も英語と同じように、「he」「他」「she」「她」を頻繁に使用します。
ですからこのようなときに中日ニュース翻訳者は、「他」「她」に名前を当てるべきかをしっかり吟味して検討しなければなりません。
私はよっぽどのことがない限り、「他」「她」が中国語の文中に出てきた場合、安易に「彼」「彼女」と訳さず、肩書や敬称付きで名前を当てるようにしています。読み手に混乱が出ないようにするためです。
ただもちろんそのまま「彼」「彼女」と訳すときもあります。それは執筆者が対象者に対して良くない感情を持っている時(つまり贬义の文脈で使っている場合)です。
なぜなら日本語の「彼」「彼女」にはある種突き放した冷たいイメージが付きまとうことが多いからです。こういう場合もあるので、やはり大切なのは「臨機応変」でしょう。
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さらにややこしい代名詞は書面語である「其」です。
この「其」ですが、日本語では「それ」「その」と訳されることが多いでしょうか。
しかし重要なのは、中国語の「其」は、人を指す他に、団体、事象、国、組織などなどあらゆるものを指す代名詞でもあるということです。
一方で日本語の「それ」「その」は人を指すときに使うことはできません。ですから、「其」が指すのは何かをしっかり見極めて、翻訳者の責任で「其」に当てはめる必要があります。例文を出しましょう
この文中にある「其」はしっかり検討すれば、「日本男子」であるということが分かると思います。さらに言えば、ここは私ならやはり、「彼」という言葉を使わず「日本人男性」という訳語を当てるでしょうか。そうするとこうなります。
どうでしょうか。やはり「其」を単純に「その」と訳さずに具体的に「誰か」をしっかり提示したほうが読み手にとって格段にやさしい文章になるのがお分かりいただけたと思います。
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では誰が「書かれていないものを書く判断」をすべきか。これはかなり難しい判断です。翻訳者自身で判断してもいいのか、それともクライアントとよく相談すべきかは、ローカルルールに従うことが大切になってきます。
しかし一方で、ここで重要になってくるのが中国語に対する正しい文法知識です。文法知識という客観的な要素で相手をしっかり説得させることができるならば、万が一のことがあっても翻訳者の責任になることはないでしょう。だからこそ、中国語に対する正しい文法知識というのはとても重要になってくるのです。
自信を持って「書かれていないものを補足する」。そのために日頃から「中国語の文法知識」を高めておくことを心がけましょう。