あの人はなぜわたしをフったのか
こんばわ、海太郎です。
なるべく毎日書くと言って始めたnoteも14日目。なんとか二週間続けてこれました。これは本当にスキをくださる方のおかげです。0スキだったら流石にメンタル折れて続けられません。いつもありがとうございます。
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今日は例によって友人に勧められた読書の感想です。
この小説がぼくにとってはじめての角田光代作品になったのですが、とりあえずすごく面白かったです。どれだけ面白かったかというと今日の午後に1ページをめくったらそのまま最後まで一気に読んでしまうくらいに面白かったです。久しぶりに1日で一冊の小説を読み終えた気がします。
この小説一言で言うなら「フラれ小説」です。一話目で表紙の女の子がフラれ、二話目で女の子をフった男の子がフラれて、と“フラれる”が続く小説になっています。
当然というか、必然というか、どうしてもというか、読むことによって古傷が開きます。正直辛いことは辛いんですが、でも失恋してしまった自分も自分のことをフった元カノたちのことも読み終わる頃には少しだけ許せるような気持になります。
キッチンのシンクに溜まっていたいろいろな食べかすが少しだけ取れて水の流れがよくなるようなそんな爽やかさを読後に与えてくれます。
この小説の妙さは次の章でフったやつの心境が多少なりともわかることにあると思います。それって実は現実はけっこう難しいことだと思うんです。
相手にフラれ時、多少の話し合いこそするにしても本当に相手が何を考えていたのか、どんな状況、心境だったのかはわかりません。ぼくらは与えられた情報をそのまま受け取るか、そこから推測される一つの解を、自分の中に「腑に落とす」という形で無理に納得するしかありません。
元カレ、元カノが本当はこんなことを考えていたのだよ、なんてことがわかるノートがあったら読んでみたくないでしょうか。それがこの小説なのです。読んでいて、この人たちにどんな心のすれ違いがあったのだろうという好奇心がページをめくる手を止めさせてくれません。
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わかるようでわからないことに、その時にそれが必要だったかどうかということがあると思います。
大体の事象はそのとき目の前にあったから使ったとか、頼ったとかそういうことだと思うんです。でも振り返ると、本当に必要だったのかな?って思ってしまい、それは時に後悔を生みます。「言わない方がよかったな」とか「使うべきじゃなかったな」とか。
でもやっぱりそん時は必要だったと思うんです。
必要だからこそ、そうであったと考えるしかないんだなとも同時に思います。その意味付けをできるのはすぐのことではなく、先のことであるのだと思うのですが、
“そうでなくてもよかったこと”が、その時、その瞬間に自分の目の前にあるということは、それは必要だったということなんじゃないかなと思うんです。後悔してもどうしようもない。自分の一部だと認めるしかないのです。