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大人の手習い 父と私とピアノ
ピアノを習い始めました。
実家にピアノはありましたが、鍵盤に真面目に向き合ったのは今回が
初めてのこと。
「ピアノ」というものにはずっとひっかかりがありました。
私の父がピアニストでした。今も生きているので、でした、はおかしいでしょうか。要はピアノを弾くことを生業とし、地方都市で父は音楽で家族を養っていました。
父の音楽の舞台は決して華やかな場所ばかりではなく、「音楽が必要なら、どんなところでも弾きます!」そういう仕事でした。「僕のは音楽、音が楽しいではなくて、音が苦だな‥」そんなつぶやきを私が中学生の頃に聞いたことを今も覚えています。
父方の祖父は早稲田大学院卒で一応インテリ階層ということで、戦前は商社に勤めながら英会話教室を開くなどしていました。
戦後は在日米軍基地などで通訳などの仕事をしていて、当時としては比較的収入は良いほうでした。ですが家族関係は混乱を極めていたようで、プライドが高く大学院卒が頭から離れないインテリの気難しさに愛想をつかした祖母は子供を置いて家を出てしまいました。そこから祖父は女房に逃げられた寂しさを埋める術を見つけられず、子供を極端に遠ざける父親になってしまったようです。
殺伐とした家庭環境の中で、それでも音楽が好きだった父は東京の音大に合格はしましたが、入学金はおろか学費は一切父親から払ってはもらえず、なんとか入学したもののバイトでは学費、生活費はやはり賄え切れなかったようです。結果、無念の中退という道を選びことになりました。
坊ちゃん気質でもあった父が、音楽大学の中退で音楽の道を生きるのはさぞ苦しかったと思います。人を押しのけて前に出るタイプでもありません。
私が幼いころ、父にピアノを習いたい教えてほしいと言ったことがありました。ですが「休みの日までピアノを弾きたくないな・・」と返され、それ以上乞うことはしませんでした。
私は常にそばにあるピアノを遠ざけてしまいました。
でもどこかでずっと「ピアノ」への思い、ひっかかりがあり、
このコロナ禍をきっかけに、近所の「ピアノ教室」に通うことにしました。
教材はもちろん 「シニアピアノ」です。
先生の教え方が上手いのだと思います。まだまだ初歩の初歩ですが両手で音を奏でる、鍵盤を追う楽しさに浸っています。
卓上式のYAMAHAキーボードを実家から東京の部屋に運びました。マンション住まいの練習にはイヤホンで防音対策ができるので、もってこいの代物です。これは現場にピアノがないときに父が持ち込んで演奏に使っていたものです。鍵盤を眺めながら父の思いをなぞります。
父の弾くショパンのノクターンがずっと好きでした。
いつかいつの日かそれが弾けるようになったら、私も自分のピアノを買いたいです。