障害があっても関係ない。命は平等で誰もが、誰かに幸せを与える存在。
こんばんは。学です。
私は大学院を修了してから、特別支援学校で働いてきました。
学生時代から、放課後デイサービスでバイトをして、特別支援に携わって10年以上が経ちます。
たくさんの障害のある人とかかわって、いろんな活動をしてきました。
現代は昔に比べると、障害の理解が進み、一人一人が特別であること。
一人一人が違うことを認める風潮がでてきたように感じています。
一方で、2016年の相模原障害者施設殺傷事件のように障害者を価値のないものとして見る人がいるのも事実です。多様な考え方がありますので、そういう人がいることも当然です。心無い対応をされたこともあります。
(もちろん、そういった人は少数なのだと思いますが)
しかし、私は特別支援を生業としているので、一人でも多くの人がこのような障害の有無で人を判断しない、たくさんの人に障害のある人たちのことを知ってもらい、一緒に生活することが普通になるようにできることをしたいと思っています。
そんな障害者が作り出す価値と幸せを考えてみました。
誤解されたくないのですが、前んていとして命は尊いものでそこに差はなくどの命も大事にされるべきです。
しかし、あえて価値を言語化することで障害の理解ができる人もいるのではないかと思い、あえてこのような形で書いてみています。
障害者のおかげで仕事がある人がいる。
障害者がいるから、私の仕事があるし、障害者にかかわる仕事があります。
その存在のおかげで生きていける(お金をもらえる)人がいるという事実。
怪我をした人をサポートする病院があるのと同じように。
人は一人では生きていけません。だからこそ、多様な生き方が認められ、多様な生き方をサポートする人がいます。
サポートしてもらって感謝することはあれど、謝る必要はないと思います。
支援学校の教員時代、会うたびに謝ってくる保護者の方がいて本当に苦しく感じたことがありました。生徒の存在があるから私の仕事があるのですから、感謝はされても謝られる必要などないですよね。
当然の権利なのですから。
存在価値のない人などいないはずです。誰もが同じ人で、尊重しあえる関係です。
人の幸せは連鎖するということ
自分が、父母から生まれたように。
自分に子どもがいればその孫がいるように、人はつながる生き物です。
家族に限らず、友達、近所の人などなど多様な繋がりがあると思います。
小さい頃医者に病気をなおしてもらった人が、医者になってまたたくさんの人を救うように、目の前の人を一人助けるだけで実はたくさんの人がそのおかげで助けられ、幸せをもらえるかもしれません。
自分の目の前の人を助けることで、助けられた人の周りの人が喜ぶし、周りの人を助けるのだと思います。
学校で生徒ができることが増えると、本人の将来につながるだろうし、できることが増えるとよろこぶ家族や周りの人がいる。
文化祭で生徒が舞台発表をしたら、生徒の保護者が泣いていて「感動しました!」と言っていました。
どの命も平等にそんなう風に周りの人たちに幸せを与えることができると思います。
どんなに辛いことがあって、きっとその人しか与えられない幸せがあると信じています。
だから、どんな人も生きる価値があって、生きるために保障されるべきだと思うのです。