北方ルネサンスについて【温故知新PJ⑥】
今回は「北方ルネサンス」について書きます。
「北方ルネサンス」は美術史においてもあまり触れられていませんが、個人的に面白いと思う分野です!
芸術が花開いた「ルネサンス」はイタリアで始まりましたが、ネーデルラント・・・今のオランダがある地域でも広がりました。
「オランダ」が登場したのは、スペインから独立したプロテスタントの国として独立した16世紀です。
なので、歴史学からすると、「オランダ」というのではなく、ベルギー・オランダ・ルクセンブルクを含めた地域としての「ネーデルラント」ということが多いです。
宗教面で見れば、3国ともプロテスタントとカトリックの割合が異なります。
現在では、ベルギーとルクセンブルクはカトリックがほとんどで、オランダでもプロテスタントとカトリックの割合はほぼ変わりません。
むしろ、オランダでは無宗教が増えています。
現在と16世紀では、状況が異なるのはある意味当たり前のことです。
今回は、16世紀に則して「ネーデルラント」と表記します。
ネーデルラントの歴史もまた書けたら良いなと思います。
では、話を戻しましょう。
「北方ルネサンス」が始まったのは16世紀で、ルターの宗教改革にも密接に関わっています。
16世紀ではルネサンスも終わりに近づくとともに、宗教改革の荒波に芸術界も巻き込まれていく時代でもありました。
このころのイタリアでは、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画を仕上げ、ラファエッロがヴァチカンの教皇の居室に大壁画を描いた時期です。
カトリック教会が芸術のパトロンになっていた以上、大量のお金が必要とされ、集金目的で免罪符が発行されていました。
免罪符があれば、どんなひとでも天国に行けるよ!!と言ったのです。
こうした教会の状態に異を唱えたのが、ルターです。
1517年の宗教改革の影響は、美術世界にも広がりました。
ルター等プロテスタントは、聖書原理主義の立場の元、聖書に書いてあることだけを信じ、時には画像や彫像を利用した布教を否定しました。
この時期から、キリストや聖母、聖人などを現した宗教画に代わるようにして、世俗の君主や貴族、知識人たちの顔を描いた肖像画がドイツでも本格的に台頭しました。
美術の対象が、宗教系から世俗系へと転換したのです。
この転換に貢献したのが、「北方ルネサンス」で活躍した芸術家でした。
代表的な人物は、アルブレヒト・デューラーやルーカス・クラーナハ(父)です。
デューラー『自画像』(1498年)
https://artoftheworld.jp/(世界の美術館)
クラーナハ(父)『ザクセンのハインリヒ敬虔公夫妻』(1514年)
彼らは絵画や版画によって肖像画を手掛け、モデルとなる君主らの名声を高める一種の政治的プロパガンダに貢献しました。
神や聖人など宗教的なモチーフがなく、より日常に近い絵が展開されており、現在にもつながっていくのです。
世俗化の流れを受けて、カトリック教会はどうなっていくかと言いますと、より美術の力を活用するようになっていきました。
パウルス3世によるトレント公会議(1545~1563)で、宗教美術自体は崇敬の対象ではないため偶像ではないとされました。
その表現にはだれでも一目見れば理解できる「わかりやすさ」と「高尚さ」を求めるよう決められました。
つまりメディア戦略であり「宗教画=目で見る聖書」によって、わかりやすく、そして劇的に信者の宗教心に訴え帰依させようとしたのです。
これが動的で豪華なバロック芸術に発展していくのです。
バロック時代はカラヴァッジョやフェルメール、レンブラントが活躍しました。
同じルネサンスでも、ルターの宗教改革の影響を受けた「北方ルネサンス」とイタリアのルネサンスは違った意味でした。
地域や歴史的背景と美術の流派がどう関わって、変遷していくのかを知るのも面白いです。
次回は、「北方ルネサンス」の中で1番好きなブリューデルの『バベルの塔』について書きます。
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【参考文献】
国立西洋美術館編『西洋美術史 ルネサンスから印象派、ロダン、ピカソまで』2013年
朝日新聞出版
木村泰司『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』2017年 ダイヤモンド社
池上英洋・川口清香・荒井咲紀『いちばん親切な西洋美術史』2017年 新星出版社