ピーテル・ブリューゲルの『バベルの塔』について【温故知新PJ⑦】
前回は「北方ルネサンス」を書きました。
今回はピーテル・ブリューゲル(1525/30-1569)の『バベルの塔』についてお話しします。
https://artoftheworld.jp/column/1025/(世界の美術館)
ロッテルダムのボイマンス美術館所蔵(オランダ)
どこかで見たことがある!という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
1563年に描かれた『バベルの塔』は、臨場感がありつつどこか優しい雰囲気を感じます。
まず、『バベルの塔』とは何でしょうか?
それは、旧約聖書「創世記」に登場する伝説の建物です。
神が人間を一回リセットするために起こした大洪水を、方舟によって免れたノアの子孫がバビロニアで天界にも届くような塔を作ったため、また神の怒りに触れたという話です。
神は、これまでノアの子孫内で1つしかなかった言語を乱し、人間が互いに意思疎通できないようにしました。
そうしてノアの子孫は各地に散らばっていきます。
つまり、神と並ぼうとする人間の傲慢さと、言語や民族の多様性のはじまりが『バベルの塔』に含まれているのです。
これを人間の傲慢さととらえるか、勇敢さととらえるか、はたまた別の性質を読み取るか。
人それぞれ違うと思います。
ある意味違うことこそが、神が互いに意思疎通できないようにした背景なのかもしれません。
理解できないからこそ、理解しようとする。
コミュニケーションが取れないからこそ、齟齬が生じて様々な思惑が飛び交い進まない。
新たな問題が出てきてしまう。
同じ「言語」をもつ集団ごとに分かれていき、その集団間で争いが起きる。
共創して新たな価値を生み出す。
二律背反、ジレンマですね。
それこそが人間の特徴なのかもしれません。
だけれどそのジレンマを受け入れたうえで、どう他者と向き合うのか。
どう「共通点」を見つけ深めていくのか。
『バベルの塔』は現代社会にも通用するような問いかけをしているように思えるのです。
ちなみに、ピーテル・ブリューゲルは数年後に別の『バベルの塔』を描いています。
その塔は最初の塔よりも建設が進んでいました。
人間の傲慢さは止まらない、という意味なのでしょうか。
それとも新たな希望を見いだせるのでしょうか。
いつか実際の絵をこの目で見てみたいものです。
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