国公立理系と私立文系という変な受験をした私が言えること。
大学受験の時期に乗っかります。
この時期はいつも寒くなりますので、防寒対策を…私のときは初雪でした。
さて、私の受験はいつも「変な受験だね」と言われます。
国公立は理系で受けて(センターも理系)、私立は文系で受けたのです。
それで、国公立が落ちたため自動的に文転しました。
なぜこんな受験をしたのかというと、今思えば「自分の好きな道を進みたかった」からかもしれません。
文理選択で理系を選んだのは選択肢の幅が広がるのと、友達がほぼ理系選択だったからでした。
つまり、自分の意思は小さかったのです。
そうはいうものの理系も楽しくて、ライバル兼親友と競い合いながら学年1位にもなりました。
模試も第1志望がA判定で、このままこの大学に行くんだろうな~って思ってました。
3回生の秋、滑り止めとして、どの私立を受けようかとパンフレットを開いた時、あるページでビビッと来たのです。
それは歴史関係のページでした。
小さい頃から好きだった歴史。
大学で学ぶならこんなカリキュラムになるんだ、これが学べるんだ。
イメージが瞬時に広がったのです。
その時から数Ⅲや化学を勉強していても、歴史があたまから離れませんでした。
センター科目でも倫理政治経済が特に好きで、倫理にハマりました。
倫理は哲学や思想に関する問題が出題されます。
点数も良くて、この分野向いてるのでは?と思いました。
ですので、精神安定剤という意味も含めて私立は文系にしました。
だけれど、世界史や日本史は高1の時しか勉強していないから世界史日本史が必須の大学は受けれない。
国公立理系の勉強優先ですから。
そこで、歴史関係の学部学科で世界史日本史を受けなくてもいい大学を選びました。
今振り返れば、この変な受験を応援してくれた担任(国語の先生)には感謝でいっぱいです。
理系に集中しろ!!と言ってもおかしくないのに、私立文系の国語の添削までしてくださいました。
あの先生がいてくれたからこそ、私は自信を持って変な受験が出来ました。
時々母校に顔を出すのですが、タイミングが悪くなかなか会えず…次こそは会いたいと思っています。
さて、センター当日。
なぜか理系科目がよく出来て文系科目が微妙という結果になりました。
足切られなかったけれど、国公立二次で挽回しないといけない点数でした。
センターから約1ヶ月後の私立文系に全力を注ぎました。
その結果、私立文系は無事合格。
その後すぐに国公立理系に頭を切りかえて、ひたすら数学化学生物につぎ込みました。
遠征もしたけれど、10点足りず、落ちました。
それで私は文系になったのです。
大学では大好きな歴史をひたすら勉強しました。
世界史日本史を受験期に勉強していないため、ほぼ一からでしたが、趣味のようなものでした。
文系ということで、逆に学べる分野が広がったのか、経済学部商学部医学部社会学部心理学部国際学部に飛び込みました。
4年間で226単位取得しGPAは累積で3.73でした。
これが大学時代で自慢できることかもしれません。
たしかに歴史を学んで意味があるのか、役に立つのかという話もあると思います。
だけれど、大学は好きなことを学ぶ場だと思うのです。
役に立つ立たないは別にして、やりたいことをやる。
それが許されるのが大学です。
文系理系にとらわれず、柔軟な思考を持ち、論理と感性を行き来する。
今私は胸を張って、あの時の選択は間違っていなかった、と言えます。
もしあの時国公立理系が受かっていたら。
今とは全然違う道を歩んでいただろうし、SEになろうとは思わなかったと思います。
今SEをしていることを考えると、理系→文系→理系と行ったり来たりの人生ですね。
高校で理系をガチでやっていたからこそ、理系の同期と話を合わせれる。
歴史をバックに持つSEは珍しく、よく「人とは違う視点があるね」と言ってくださる。
だから私は「歴史好きSE」なのです。
その時その時で感じることは違います。
直感でビビッと来たものがあれば、迷わず飛び込んでいく。
そうすれば、振り返った時、私の選択は正しかったと思える日が来ます。
誰かに言われて進む道もきれいな景色が見れるけれど。
自分でレールを敷いて、見上げる景色もまた透き通っていると思うのです。