この記事を読むと大掃除したくなります
なんという挑発的なタイトル。大掃除を始めました。
限られた空間に物が多すぎると、そもそもどう整理してもスッキリしないので、まずは物を捨てることから始めています。
誰かの勧めで買った読み終わった本とか、
昔は好きだったけどもう面子が集まる見込みのないボードゲームとか、
あの思い出の日に着てたけどもう古びてきた洋服とか、
何かの記念の品とか。
たくさん、たくさんありすぎるよ。
そういうものを改めて手に取って、
一つ一つ必要・不要の判断をしていくことで、
部屋がきれいになるのはもちろんのこと、
心の部屋もきれいになっていくような感覚がある。
仕事用のデスクの状態がその人の頭の中を反映していて、整理されていないということは頭の中もこんがらがっている、みたいな話がビジネス書とかであるじゃないですか。
それはともかく、不要なものを捨てて整理しておくことで、認知したり判断するためのリソースを節約することができる。一日に使えるエネルギーの量が増える。
不要なものを捨てて大事なものを残すことで、大事なものがより引き立つような感覚もある。
たくさんトッピングされているピザの具よりも、ショートケーキのイチゴのほうが目立つ、みたいな。
ピザとショートケーキのデザインの差
このnoteというサイトのUI(見た目)もショートケーキ型か。全体的に白っぽくて、黒い文字で書かれた文章が目立ってるし。
他には、積年の恨みみたく積もったほこりを掃除することにもニュアンスを感じる。
その場所にほこりが積もっているということは、長い間そこに触れなかったということで、さらにそのことを気にかけなかったということでもある。
そこに時の流れをしみじみと感じる。広大な図書館の地下一階の書架に一人で分け入って、調べ物をしているかのような気持ちになる。
何かを見つけるかもしれない。何かを思い出すかもしれない。
日常的な掃除はそんな優雅なもんでも甘いもんでもない。そういう意見もあるかもしれない。
しかし、年末の大掃除くらいは、その行動に象徴的な意味合いを持たせたり、物語をまとわせることが出来るかもしれない。
風呂そうじにもフィロソフィー
(ZORN「いい感じ」より)
この記事を読んだ方へのおすすめ
・日常の中に非日常を見出す話 → いつもの喫茶店で聞こえてきた男性二人組の"興味深い"会話に、考えさせられた
・あの熱っぽかった日々をしみじみと懐かしむ → ヒトカラで感じた、過ぎ去りしあの時代の「熱」
・大学時代のつらい体験の整理 → 大学時代に経験した5つのサークル・部活、それぞれの雰囲気とか人間関係、個人的な悩みごと等について、リアルに語っていくね。
(なぜこういう過去に書いた記事へのリンクを差し込むかというと、比較的よく書けたと思ったものを使い捨てにせず、多くの人に読んでほしいから)
あ、そうだ。本やゲームを売る時には駿河屋の買取サービスをいつも使ってます。今回の大掃除でも2万円分くらい売って儲かりました。
(これはSEOを意識してブログに書いた記事で、アフィリエイトも貼ってあるしそういう書き方もしてますが(好きなことだけやって生きていけないよな)、駿河屋は本当によく使ってるサービスです。他社は正直微妙なところもなかったわけじゃないけど)
(なぜこういうリンクを差し込むかというと、読者に直接、投げ銭ください有料記事買ってくださいって連呼するのが心苦しいから。
自分が使って良いと思ったものを、必要な人へ紹介して広告主という第三者からお金をもらうほうが良いと思っているから。
さすがにnoteでは、友達にすすめられないようなものは気持ち的にすすめられないけど。このあたりの話も前に書いてる)
さて、なぜこういう括弧書きを長々としているかというと、
どこか遠くを見つめた精神的なことを考えているのと同じ脳みそで、
とても現実的な戦略を考えているのが自分という人間だから。
両方合わせて自分だから。
あるいは、ごまかしたり嘘をつくのが苦手だから。
これで1675文字。おしまい。