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Vol.41 予告編とはイメージが違う!

私にとって「映画館で映画を観る醍醐味」の一つは、本編上映前の「上映予定作品の予告編」なのですが、ブロックバスター大作の予告編を2~3か月かけて、何度も繰り返し観てしまうと「はいはい、だいたいどんな感じの作品か分かったよ!」と思うのも、これまた事実で(笑)

しかし、あくまでも予告編は予告編なので、時には ” 本編で使われていない場面 ” が挿入されていたり、別の場面と場面をシームレスに繋いで、観客に ” 一種のミスリード ” を仕掛ける場合もあるので、本編を観て「あぁ、こういう感じか!」と驚く場合もしばしば。
そして、つい先日も『猿の惑星 キングダム』を鑑賞した際に、そんな感慨に至りまして。

ちなみに『猿の惑星 キングダム』のざっとしたあらすじは…
猿として初めて言葉を喋り、猿たちを人類を凌ぐ地球上の覇者として導いた指導者の ” シーザー ” が激動の生涯を終えて300年過ぎた地球。
鷹を扱う猿の一族(イーグル族)の若者 ” ノア ” は、来るべき通過儀礼の為、幼馴染の ” アヤナ ” と ” スーナ ” と共に ” 鷹の卵 ” を取りに出掛けるが、そこで ” エコー(人間) ” の気配を察知する。
それがイーグル族にとっての厄災の始まりとは、まだ誰も知らない…

※そして下記が(約1分の)予告編です↓

私が予告編から感じた印象は、
『人間の中に、 ” 純粋な中にも知性を秘めた存在 ” が出現して、その存在を巡って ” 主人公 ” と ” 支配者 ” が対立するんだろうな…』
…といったものだった
のですが、実際に本編を観てみれば ” キーパーソンとなる人間の女性 ” が、良くも悪くも ” ズルさを持った存在 ” でビックリ。
更には、主人公が ” 力を持った存在 ” と対峙する理由も、予告編から受けるイメージとはずいぶん異なっていたので、これまた驚かされました。

ネタバレを全面回避しつつ、本作品を表現するならば、
『儀式としての ” 通過儀礼 ” を迎えるために右往左往していた若者 ” ノア ” が、偶然の積み重ねによって より過酷な ” 真の通過儀礼 ” に直面し、 ” 世界の成り立ち ” を知って成長する』
…といった内容。

なお、「猿の惑星」の過去作(「旧5部作」や、「ティム・バートン監督版」、そして本作の前日譚にあたる「シーザー3部作」)を観なくても楽しめる作りになっているので、ぜひ ” 味わい深いラストカット ” まで堪能して頂きたい所です。

では、今週の締めの『吃音短歌(注1)』

詰まりつつ 他人(ひと)の名残へ 声かける 一人ぼっちの 地球(ほし)の放課後

※「終末SFっぽく詠んでみよう!」と努力した…失敗例です(笑)。
※そして、幻影相手に話しかける時も、おそらく吃音の症状は出る訳で…(笑)。

【注釈】

注1)吃音短歌

筆者のハンディキャップでもある、吃音{きつおん}(注2)を題材にして詠んだ短歌。
この中では『「吃音」「どもり」の単語は使用しない』という自分ルールを適用中。

注2)吃音(きつおん)

かつては「吃り(どもり)」とも呼ばれた発話障害の一種。症状としては連発、伸発、難発があり、日本国内では人口の1%程度が吃音とのこと。

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