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Vol.77 暗闇に響く「ひそひそ声」。

先日、映画「敵」を映画館にて鑑賞。
ちなみに「敵」は、筒井康隆さんによる同名小説の映画化作品です。
(なお、私は原作小説は未読で鑑賞しました。)

※下記は約1分半の予告編です。

ざっとあらすじを言えば…
『つつましい独り暮らしを送っている元大学教授の男性老人。
そんな彼の ” 丁寧な暮らし ” が、夢のシークエンスを挟むと共に、徐々に変調をきたし、いつしか ” どれが夢で、どれが現実なのか ” 境界があいまいになっていく。
そしてそれは、 ” 彼自身の深層に潜む願望と向き合わされる ” という事でもあった…』。

そういった「虚実が入り乱れる内容」なので、観ている側も まるで白昼夢か悪夢を追体験するような、そういった魅力が味わえる一本でした。

…なのですが、そんな「能動的な鑑賞を求められる作品」にも関わらず、私が鑑賞した上映回の、上映時間の3/4くらいの間 響き渡ったのが「ひそひそ声」。
ちょうど、私の後席に座った『(夫婦とおぼしき)男女高齢者コンビ』が、まぁしゃべる!しゃべる!!
スクリーンに映し出される料理をみれば「うまそう」「ほんとおいしそう」と言い合い、気になる展開があれば「さっきのあれは〇〇か?」「そうそう、〇〇」と会話する…この映画館は、あなた方の家のリビングか!(笑)

「たしかに、自宅で家族や友達が集まって、ツッコミ入れたり、感想を言ったりしながら、映画やドラマを見る楽しみ方もあるけど、時と場合によるでしょう!」というのが正論ですが、残念ながら「ツッコミ入れたり、感想を言ったりしながら、映画やドラマを見る楽しみ」を続けている内に、気づけば「その楽しみ方」しかできなくなっている方がいる…ということも、これまた事実かな?とは思います。

でもでも、わざわざ映画館に出向いて映画を観るのであれば『「これって何だろう?」と思う瞬間ほど、「まずは一人で黙って考える(あるいは飲み込む)」という行動をとる方が、より有意義で贅沢な、時間と場所の使い方』ですし、私は映画館に向かうとき、作品の出来不出来の期待とは別に「見ず知らずの方々が偶然 集まって、固唾をのむ、思わず笑う」…そういった瞬間に立ち会えることを 心のどこかで期待してます。
…とは言うものの、私が行くような地方のシネコンの場合、座席がガラガラな事が多いんですけどね(笑)

では今週は、先日 仕事中に体験したことを詠んだ吃音短歌(注1)で締めます…

「すみません…発話障害ありまして…」受話器の奥から 届く戸惑い

※初めて電話で話した、面識の無い相手に「もっと落ち着いて喋ってもらえませんか?」と言われたので、『すみません、発話に障害がありまして』と返したら、相手が慌てて「それは、すみませんでした」と言葉を重ねるという出来事が…。
改めて ” これが、人口の1%が抱える障害の認知度なのかー! ” と思う、私なのでした。

【注釈】

注1)吃音短歌

筆者が抱える障害でもある、吃音{きつおん}(注2)を題材にして詠んだ短歌。
この中では『「吃音」「どもり」の単語は使用しない』という自分ルールを適用中。

注2)吃音(きつおん)

かつては「吃り(どもり)」とも呼ばれた発話障害の一種。症状としては連発、伸発、難発があり、日本国内では人口の1%程度が吃音とのこと。


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