大阪北部地震より
昨日の話になってしまいますが。
大阪北部地震より、今年で6年となったようです。
大阪北部地震。
この時、自分は高校生で地震発生時は京都の自宅で寝ている状態でした。
朝、寝ている時に突き上げるような縦の振動が自室を襲い、ものすごい衝撃音で目が覚めたのは未だに記憶しています。
この時、京都の自宅では
・自室天井に亀裂発生
・台所の食器類が転落
と短い揺れの中に被害が発生しました。
地震が発生…縦揺れの衝撃の後には一応起床しましたが、その時は恐怖でもう足が空くんで一歩も動けなかったです。
そして大事な話を1個。
大阪北部地震を体験した自室は2階にあり、
「階段を降りている最中に地震が発生したらどうしよう…」
との恐怖が上回り本当に何も出来ませんでした。
意を決して階段を降りた後、地震の爪痕に気がつき、テレビを点けた時に地震の被害の大きさを知りました。
この地震では朝に発生したという事で、確か通学中の小学生女児がブロック塀に挟まれて死亡してしまう事故があったような…
地震と同時に浮かび上がるのはそんな話です。
6年前といえば、平成30年。
実質上、平成最後の年となったわけですがまさかそんな時に自然の脅威に怯えるなんて…
世界の恐ろしさのようなものを知ったのでした。
そして写真掲載に関して。
今回の記事では、この『大阪北部地震』に際して被災した大阪モノレールの写真です。(※撮影したのは全然違う時期ですが。)
大阪モノレールがやはり1番甚大な被害を受けていたでしょうね。
この地震では大阪モノレールの路線が分断され、一時的に万博記念公園方面から南茨木までしか車両がまともに動かせない事態になってしまいました。
その時、深夜しか見られない行き先として『南茨木行き』の表示と南茨木のポイントが切り替わる様子を見に行ったのですが、未だに忘れられません…
そして、復興への足がかりとして大阪モノレールの裏役者である『工作車』が復旧の為に日中に起動。
この『工作車』が稼働するシーンも撮影したかったのですが、結局コレに関しては固唾を飲んで見守るだけになってしまいました…
自分にとっては、『大阪北部地震からの復興』として印象に残るのがやはり『大阪モノレールの全線復旧』でした。
このイベントが成立して、はじめてこの地震から元通りになったんだなという実感です。
現在では当たり前のように回っている大阪の街ですが、かつてはこうして様々な奔走があった事を忘れてはならないものだと元号が変わっても考えさせられます。
思い出…ではないですが、勤め先のテレビがこのニュースを流していたので折角ならばと。
日々歩んでいる生活は、当たり前のようで当たり前じゃないんだなぁとこうした節目を通過する度に感じるのでした。