ACT.103『兄弟を探して』
戻り道
再び、小淵沢小学校から小淵沢駅への道を戻っていく。
山々と高原の清涼感を感じてやってきたあの険しい坂を、次は再び上りになるヶ所もあれば下りになるヶ所もある…と、山々の高低差。そしてうねりの激しい道を移動していく。
折角「蒸気機関車を探しに」と頂いたマップであったが、強く吹き付ける風の中で壊れてしまっては使い物にならない。
残念ではあるが、ここは端末の地図アプリの表示に従って移動していく事にしよう。
それにしても、この小淵沢では暑さのピークを迎え。そして吹き付ける風の中で苦労をかなり味わった。
足を踏み締め、駅の方向に向かって山々に向かい歩いていく。山梨の高原は本当に日々眺めている街中の喧騒とは違い、精神に清らかな栄養を与えてくれるのであった。
駅への戻り道の中では、こうした写真も撮影した。
あまりにも山々が綺麗に映えていたので、折角だからと記念写真を残す事にしたのだ…が、あまりにも酷な自撮りである。
頑張って何回も撮影したのだが、結果的には2パターンか3パターンだけの記録となった。
う〜む、そう簡単に撮影は上手くいかないかぁ。
自撮り用の道具を持ち歩きたくなる自分であった。
こうして撮影していると何処か青春の香りがするね、個人的にだけど。
複雑な駅へのアップダウンがある道を歩いて戻っていると、別れる交差点に出た。
「あぁ、そっか、俺はこの場所からこっちに出たからこうして迷ったのか」
なんて考えつつ、今度は迷う事なく小淵沢の駅に戻ることができた。
行きよりも帰りの方が簡単に感じるのは一体どういった心理が影響しているのだろう。
駅への坂道。
商店が連ねる道の中に、自分が気になっていた店を発見した。駄菓子屋だ。駅まで戻る最中、列車までまだ時間もあるだろうと踏んで寄り道する。
わぁ、なんて絵に描いたような。小説に記したような昭和なのだろう。自分でも胸の高鳴りが抑えられなかった。
北杜市の少年少女たちは、学校での生活を一通り終えると。休日になると、こうして駄菓子屋などに通って自らの小遣いを使う小さな贅沢を楽しむのだろうか。そう思うと、何か微笑ましくなり、この地で過ごしている少年少女たちを羨ましく思うのであった。
店に入った瞬間に思ったので、店主に速攻伝えた。
「すいません、写真撮影、大丈夫ですか。」
「いいですよ。」
言葉に甘えて撮影する。
なんと良い店なのだろう。店内は小分けにされたチョコレートや飴、そして花火などの玩具が10円〜500円などの値段で販売されていた。
線香花火だったか…花火のバラ売りが10円台で行われていたのには驚いた。しかもこの時期に店に置いているという事は通年販売なのかもしれない。
折角なので、雰囲気を感じさせてくれた御礼にと購入する。不足している飴とチューイングキャンディを手にした。これでも値段は100円に達するか達ないかなのだから、あまりにも安い。
忘れかけていた少年の頃を思い出したのであった。
高原の駅にて
駄菓子を購入して、再び小淵沢の駅に戻る。
駅前は小さなロータリーと僅かな商店があるだけで、正しく多くの国民の中に刻まれているような『日本の幹線の特急停車駅』といった具合であった。
丁度、自分が駅に戻った時には北杜市のコミュニティバスとして小型のバスが乗客を乗せて走り出すところだった。
駅舎などは改築されているが、こうした雰囲気は何処か昭和っぽい。日暮れまでリゾート客を出迎え、宿の玄関口のような存在。そうした駅が、この小淵沢のイメージだ。
写真はそんな駅の近くで撮影。
頂いたマップの中にもあったが、北杜市は山梨県の中でも『馬』で有名な場所なのだそうだ。
駅前では悠々と模型ではあるが馬が寛いでいる。高原の駅に降り立った観光客を出迎える存在だ。
丁度、列車の時間が迫っていたので甲府方面に向かう列車と併せて撮影する。
本当であれば特急あずさのE353系と合わせたかったのだが、特急あずさに関しては坂を上っている最中に1本が通過してしまった。
代わりと言っては…になるが普通電車、211系と併せて撮影する。
駅名標と馬の模型をフレーム代わりにして、走り去る列車を合わせた。
この北杜市がどうして馬と関わりを持つのか…
一応、調べてみた。
主な理由の1つとして、昭和52年の山梨国体(昭和61年のかいじ国体)の開催が決定した際。小淵沢は馬術…に関する幾つかの強化策を打ち出したのである。
国体では、馬術競技の会場として動き出した。無事に会場として決定すると、町は馬術競技会を成功させたのである。競技会の地に設定された理由として、
・八ヶ岳高原での馬の生育の歴史
・戦後の乗馬を取り入れた観光施設の勃興
がある。
そして、国体以降も町一帯体で当時の町長によって
「乗馬の町を作りたい」
として構想が語られた。この言葉に倣って、大会後も競技場を発展させ、乗馬クラブの発足…など、現在でも乗馬に関しての発展史が続いているのである。
そうした土壌の中で馬との関係が完成した小淵沢。しかし、この撮影した列車が後に大きな悲劇を生む…
再び、木とガラスによって設計された近代的な空気を醸し出す小淵沢の駅に戻った。
この日は晴天だったので、あまりにも綺麗にアルプスの山岳が映えている。この風景、本当に美しすぎて1番良い土産であった。
階段を上って、時刻表を確認する。
「次の甲府方面の列車は…」
ここでアクシデントに気がつく。
「え?」
自分の思っているより、この中央本線では列車が拡充されていないようだ。先ほどの写真を併せて説明しよう。
この写真を撮影した時。
本来であれば、『この撮影している列車』に乗車して次の目的地に向かうのが最も効率的であったのだ。
小淵沢駅の甲府方面、時刻。
15時台に普通列車が1本、甲府方面に向かっている。その時間の後、普通列車も一応はあるのだが普通列車が次にやってくるのは16時台の後半。
「うわっ、しくじったかな…」
次の目的地は、自分の中でもかなりの難所になると推察して張っていたのでここまでずれ込むのは想定外であった。
「ん〜、待つかね。」
見送った列車を尻目に、小淵沢駅での小休止となった。しかしどうしよう。
少しだけの暇つぶしに、気になっていた駅前の土産物屋に向かってみた。品揃え、佇まいなどを見てみれば昭和の店だったがどうも自分では
「違うかなぁ…」
という感じの品揃えで諦めた。
そして、自分の中では
「ちょっとこの時点で土産買うのは早いわ」
という思いも交錯し、この場所では何も買わずに退店した。
扱っているのも、酒やつまみ、チーズなどの少し上級な(個人的感想)商品が中心で、この場所はなんとなく酒屋が折衷されている印象を感じた。
確か、営業の本元は酒屋だったような。
しかし思い出せない。
駅に入ると、少々困惑する情景に遭遇する。
窓口を既に閉鎖し、話せるオペレーター式の券売機に変更した小淵沢。
そうした中で、これから特急列車に乗車するのであろう乗客が
「乗車する列車を変更したい」
と困惑している。オペレーターは20分以上待機で、どうしようもない。
そしてもう1つ、改札付近では特急列車に間に合わないと困惑する乗客。
多くの乗客の対応に追われている駅員の姿を見て、なんとなく悲しくなった。
というか、機械慣れしていない人の苦しさを垣間見てしまったような気がする。
「こんな事するなら撤去はなぁ…」
と思った次第だが、そういえば東京に旅をした時は普通に多くの人が緑色の券売機で新幹線・特急列車の切符を自ら購入していた。環境の差なのかもしれない。
展望台からは、鉄道ファンに垂涎の光景も広がっている。
発車を待つ中央本線の主力電車、211系の屋根上。
ゴツゴツと並んだ機器が。配線が傾いた午後の日差しを跳ね返して輝いている。
既に車両の要。集電装置であるパンタグラフは現代を生き抜く為にシングルアーム式に変更されてしまっているが、どうしてもこの電車を見かけると幼少期の図鑑で触れた体験など相まって
「懐かしさ」
が蘇ってくる。
しかし、ホーム横側に停車している左側の電車。
行き先を示す方向幕には『高尾』の文字。
う〜む。小淵沢から高尾かぁ…
あまりにも想像しただけでは時間が浮かばないが、辛さは如何程か。というか実際はこの距離を乗車して移動するのなら、迷いなく利用者的には特急列車への課金コースであろう。
2つの停車し、休息する電車を眺め時間を浪費した。
この駅には、中央本線の東日本管轄区の花形であり屋台骨の特急列車、『あずさ』も停車する。
鉄道に造詣の無い方々でも、狩人の歌。『あずさ2号』はご存知の方も多いと思う。あの『あずさ』だ。歴史はかなり長く、JRの特急列車の中でもかなりの長寿…伝統格に入る。
そんな特急/あずさを任された役者が、この写真内でホーム側停車しているE353系だ。
普通列車用の211系電車(左側)と比較するだけでも、かなりの進化を遂げ。鉄道技術の発展、成長がどれだけあったかを語っている。
詳細はまた後ほど…にもなってくるが、車両のデザインはJR東日本の新幹線・特急車両などのデザインを数多く手掛ける奥山清弘氏によってデザインされた。
そうした氏のデザインが、これまた屋根上から観察しても光に大きく主張をしている。
特に角度を描いている紫色の部分が美しい。
そんな美しい時間を楽しんでいるうちに、松本方面に向かう特急/あずさは発車時間になったようだ。
甲高い加速音を掻き鳴らして、八ヶ岳の街並みに吸い込まれていった。あと少し、伝統の列車の道は続く。
空気吸引
小淵沢駅の展望台。
展望台の設置駅に相応しく、その高く造られた場所から見える景色は一級品の光景である。
写真の雲が掛かって薄く見えづらくなっているような富士山も、この小淵沢からは一望が可能である。
「お、こんな場所からでも見えたのか…」
そういや宿泊していた場所、笛吹市からでも余裕で見えたのだった。何処を寝過ごしたのだろう。
自分のように、小淵沢の駅に降車した別の観光客もこの駅の展望台に登ったようで
「わぁ、綺麗…」
と感動の声を流しつつ風景を写真に収めていた。
観光客は登山の格好をしており、八ヶ岳の方にでも訪問していたのだろうか。
自分と同じく、展望台で寛ぎ癒しの時間を過ごしていた。
展望台から見える景色のご紹介。
先ほどの富士山の写真に関しては逆光になっているのも相まって、写真的にはこちらの方が良いだろう。
ちなみにこの展望台には机のような場所があり、飲食を楽しみつつこの後継を眺めて楽しめる。
小淵沢にはお菓子類の自販機も設置されているので、この光景を見つつして小腹を満たすのも良いだろう。
と一方の自分は…
時刻表を眺めて、暇潰しの策を考えた。
「小海線かぁ…少しだけ時間がありそうな…」
清里方面に抜けてから少し暇を潰すかも考えたが、小海線の本数を考えてリスクを背負う移動は封印した。
「ん?この時間帯に野辺山に行ったらHIGH RAIL1375と当たる…?でもなぁ…今は厳しいよなぁ…」
高原の風を浴びて、時間を潰す策を捻り出していた。
「う〜む。どうも悩む要素しかない…」
結局、自分はこの展望台で時間を過ごし再び改札に戻った。
ちなみに、HIGH RAIL1375は小海線を走行する観光列車。青春18きっぷでの乗車も可能ではあるのだが、その際は観光列車…快速扱いだったか、そうした規定によって指定席の切符が別途必要になってくる。
小海線に乗車したのは1回。
しかし、今回も含めて小淵沢・小諸と小海線の両端には何回も訪問している。
その際に観光列車であるHIGH RAIL1375との遭遇は期待したのだが、中々時間は合わないのであった。
今回もお預けになりそうである。
高原を去るまで
あとは駅に入って、列車を撮影する事が自分の暇つぶしであった。
普通列車の時間になるまでの1時間、特急/あずさが何本か先をゆく。そうした中で、何本か先に行く特急/あずさを撮影した。
そのうちの1本。
9両編成の長大な特急列車だ。自分の暮らす関西圏・大阪都市圏でも、JR特急でここまでの長編成の列車は中々観測しない。
つい最近では、北陸本線に尽くした特急/サンダーバードの圧巻たる12両編成が確認できたが、北陸新幹線の敦賀延伸開業後でどうなるだろうか。話、ズレたけど。
と、列車の長さに圧巻の思いを受けて記録し、普通列車到着までの僅かな時間を過ごす。
あまりにも近代的な姿。未来からやってきたような姿の長編成の特急列車は、甲信越の自然に強く映えている。
小海線のホームから撮影した様子。
レトロな跨線橋を発見したので、思わず通路越しからの撮影をしてみた。
時代の格差を感じるような光景でも、しっかりと最新鋭のデザイン美を取り入れたE353系がよく似合うのは、やはりこの国の美を尊重し。かつ、多くの人の琴線に刺さり触れる要素を大事にしてこの車両が生み出されたのだろうかという思いを感じさせる。
その後、新宿方面に向かうこの写真の特急/あずさ…は乗客を満載し。高らかに線路の繋ぎ目から音を鳴らして。甲高い加速音で山梨県の大都市、甲府を目指し走っていった。
ちなみに。
次の目的地は韮崎市だったので、この列車に乗車すれば間に合うのだが今回は青春18きっぷでの倹約旅行の為、敬遠策として普通列車をしぶとく待機する。
そして、16時台も回り始めようやく甲府方面への普通列車がやってきた。どうやらこの駅仕立ての列車…?のようで、乗客はいない。
次に乗車した211系は全座席ロングシートの車両で、開放的な車内が特徴的であった。
座席を確保し、腰掛ける。少しウットリした状態で、そのまま北杜市を離れて次の場所、韮崎市に向かう。
扉を閉め。ガクッ…という発車の衝撃が体に伝わってきた瞬間。
「ようやくかぁ…長かったなぁ…」
の思いに包まれた。どれだけ待っただろう。というか過ごし方次第ではもっと充実したかもしれないのに。
さて、列車は韮崎市に到達した。
小淵沢から長坂・日野春・穴山…ときて到着したのは新府だ。
列車のドアは車掌が鍵で操作し、ボタンで乗客が開ける方式。
自分で慣れた手つきでの操作をし、新府駅の駄々っ広いホームに降車した。
「ん〜、やっぱり時間使いすぎたってか来る列車間違えたかなぁ」
そう思いつつ、ボヤキは黙って駅を見渡す…が、何も来ないし何もない。
日暮ゆく
中央本線の韮崎市の駅、新府に到着したのは日照時間もかなり傾いた『夕方』の時間帯であった。
正直に話すと、今から向かう場所は韮崎と新府の駅中間地点ほどの場所にあり、訪問するのであればどちらでも…という格好だったのが、調べてみると
『やや新府駅に寄っている』
との事であったので、新府で下車した。
自分と僅かな乗客が降車し、車掌も駅員もいない駅を、乗車した211系電車が過ぎ去っていく。唸り上げるモーターが山中に消えると、あとは自分だけの心細い世界である。
しかし、この一瞬は何処か戦闘体制のような。武者震いのようなそうした気持ちにもさせられる特殊な時間だ。
「これから自分は知らない町を歩いていくんだ」
と脳が構えているような。そんな気持ちを抱く。
新府駅の写真…をここで掲載しておこう。
駅は2面の対向式ホームで、複線の線路を囲うような感じでホームが広がっている。
写真でも見てわかるように、駅員の詰所や職員の滞在するような建造物はない。
つまるところ、完全な『無人駅』なのだ。
そして、改札機も存在しない。
上り方面・下り方面はこの写真に大きく映る階段を行き来して線路を潜るトンネルを抜けて移動する。
「あぁっ…とぉ、こっちかぁ」
マップを起動させ、新府駅から目的の場所まで向かう。
向かう場所は、韮崎中央公園。
韮崎市ではスポーツ・アクティビティの中心的な場所とされており、公園としてはかなりの大規模にあたる。
それでは、新府駅から手繰り寄せられた地図の道を歩いていこう…
最初、新府駅を出て少しすると道なりに曲がりくねって中央本線の線路沿いに出ようとする。住宅が見え。畑が見え。様々な顔を見せる道であった。
そして、中央本線の線路沿いを歩いて少し。
中央本線を跨ぐガード橋が見える。
そんなガードを渡って、車も通れる大きな道を行く。
写真はその道の様子を撮影したものだが、時に乗用車が通り。時にトラックが通過しと交通量は時たまに波がある感じだった。
写真は中央本線を跨いで車通りのある道に出た後のものである。
この道から上りの坂になっていくのだが、上りではこれまた山梨県の象徴である富士山が大きく前に広がる。
「うわぁ、ここも綺麗だなぁ…、けど、この場所で暮らしてれば富士山なんて当たり前だもんなぁ…すげぇよ…」
語彙の死んだ感想を引きずり歩き、乗用車にトラックにやってくる車をかわしつつ歩いていく。少しして再び下り坂。富士山に向かって歩き続け、10分くらいだろうか。
大きな広場が見えた。
「ここだな…?」
地図アプリを見つつ歩いてきた道も、この場所がいよいよ最後のようである。
「あ、おった…」
韮崎中央公園の目的に遭遇した。
しかし、自分の予想のように出迎えの住人は佇んでいた。
制限時間、日没につき
山梨での滞在にて最初の日没がやって来ようとしている。
この公園には、鉄道車両が保存されている。山梨県の中でも随一を誇る見応えは、保存車の世界でも一目を置かれる存在だ。
この場所にいるのが、電気機関車・EF15形と貨車群である。
しかし、このEF15形電気機関車と貨車たちは一定の修理目処が立ったのか。補修に関しての準備が整ったのか囲いがされ、修復工事が行われていた。
「んま〜、コレに関しては韮崎市のXで見てるし…うん…」
事前情報で知ってはいたものの。実際に補修中の様子に遭遇すると何処か億劫になる。
「またこの道を歩いて戻るんかぁ…そして中央本線に用事が出来るんかぁ…」
さっきまでの苦労が浮かんできた。
こんな事で下を向くなど、保存車訪問が自分の中で鈍った1つの証拠のような気がする。
EF15形電気機関車は、貨車の隊列を牽引するようにして保存されている。
先頭の電気機関車、EF15-198は赤茶系の色に塗られていたが、このほどの目処で補修へ向かう事になった。整備が終了すると、あの綺麗な深みありし国鉄の象徴の色、茶系の『ぶどう色』の姿になるのだろうか。楽しみである。
そして、後方に続くのは砂利や木材を積載する貨車、『無蓋車』が3両だ。そしてこの編成の最後尾。『しんがり』を飾るのが車掌車である。
本当に、このEF15形電気機関車が全盛期を務め。貨物列車の先頭に立って時代を飾った、あの頃のままの貨物列車が保存されている。
しかし、その姿が見れないのは改めて惜しい所だが…
修理の目処が付いただけでも非常に感謝のところである。最近の保存車両は財政消化などで解体や撤去になり、負債として扱われる事も決して少なくない。
そうした中での吉報を受け取ろう。
そしてまた、新府からこの道を辿ろう。
新府駅を出て。そして曲りくねった道を中央本線に沿いに繰り出して…と最後。富士山を見て上り坂に挑むのが最後と記したが、その際に見える
『富士山の姿』
がコレである。
写真は中央公園内(以下略)の中にある競技場越しに見た様子。
今の時期は冬を抜けてそこまで時期もないのか、しっかりと富士山が冠雪をしている。
絵に描いたような…と時々云うが、まさにその状態であった。富士山の被る雪の量、大体の人はこの量で考えていると思われる。
山梨県の中を歩いていると、生活内に平然に富士山があるのを何処か驚いてしまう。自分がまだ慣れていない証拠のようなものだと思うが。
この公園を目指した理由は、他になかった。
保存されている蒸気機関車撮影である。
蒸気機関車、C12形。この蒸気機関車は小淵沢小学校で保存されていたC56形と大きな関係を持つ。
まさに、『兄弟』を山梨県渡り歩いて訪問したようなものなのだ。
この小柄な蒸気機関車を、今から見ていこう。
しかし時間、ほとんど小淵沢で使い切ったなぁ…どうしようか。
兄弟機関車
山梨県は北杜市から変わって移動し、韮崎市。
韮崎中央公園に、蒸気機関車…C12形が保存されている。
小柄な車体は、遠目から圧縮して眺めるとその可愛さが非常によく際立っている。
蒸気機関車に装飾されたアクセントの金飾りも、よく黒一色の蒸気機関車の車体に映えている。非常に観察が楽しみだ。
あまりにもこの圧縮ロケーションが楽しかったので、もう1枚。
かなりハマったと言っても過言でなはく、実際この場所だけで何枚も撮影していた。
ようやく接近して。
北杜市で見たC56形と違い、こちらは丸さがよく目立っている。
北杜市のC56形に関しては重装備だったのも相俟っているというのか。(見てない方は前回記事を)
そして最初に。
この場所、撮影していてかなり場所の良さに惹かれてしまった。その為、何枚も何枚も試行錯誤して撮影に挑んでいる。
本当に今回の山梨訪問の中では、群を抜いて保存車のロケーションで良かったのではないだろうか…
そして予告。
韮崎市のC12形と…
北杜市のC56形を同じ構図から撮影。
似て…ますよね?
ここからはこの理由などに迫ろうかと…
並行でお楽しみに。