ACT.113『沁みる決別』
何度目の転換
富士急ハイランドから6700系に乗車し、富士山に到着した。ここでは進行方向が切り替わる。
かつて先が伸びていた駅を行き止まりにし、そのまま線路を継ぎ足して大月まで無理矢理開業させた名残を残す場所として、現在でも乗客の足枷になっている場所だ。
乗車している6700系は運転士と車掌の位置を入れ替える程度の方向転換で再び山を下る走りに転じて次の月江寺に向かう。
この先が下吉田。富士急行の旅路ももう少しで終了といった具合だ。
冒頭の写真は、記念撮影にと撮影した富士山駅に到着する車内のLCD表示。昨今の表示の中にはローマ字を用いて日本語で無理矢理の伝達をしようとするものが多い中、この富士山の『Mt,Fuji』には海外への誇り…というのか、我が国を代表する観光地としての熱意を感じ取ったものだった。
いつか外国の人と交流した時には
「富士山って名前の駅があるんだよ」
と会話のネタに使ってみようか。面白そうなものを記録できた。
方向を大月方面に変えた列車は、車内に聞き慣れたモーターのサウンドをゆったり鳴らしながら、大月方面に下っている。
車内は外国人だらけ…では流石になく、ここまで夜が耽ってくるともう日本人が若干数といった様相である。
客層がようやく落ち着いた。
昼間に乗車した時は本当に何処の空港に向かう鉄道かと思ったくらいに外国の人が多かったものだから。
若者のすべて
フジファブリック志村正彦時代のヒット曲として、欠かせないのはやはりこの楽曲である。
この『若者のすべて』は現在、志村氏の功績を語り継ぎ。志村氏の生きた証を残す為に…と富士急行のプロジェクトのような扱いとして、下吉田駅では様々な催しを行なっている。
昼間に訪問した際の駅の看板もその1つだったが、列車の行き違い待ちでもその催しの1つが感じられる。
下吉田にて、丁度列車の行き違い待ちを行う事になった。最初はボンヤリと車内で過ごしていただけだったのだが、突如聞き慣れた楽曲がそのまま自分の耳に入ってくる。
あの楽曲、若者のすべて…のサビ部分だった。
どうやら河口湖方面への列車が入線する際に流れているようで、自分も全然その情報を知らなかった。
聞き慣れし
『最後の花火に 今年もなったな』
というあの歌詞が聞こえた瞬間に
「おぉぉっ!?」
と思わず座っていた座席を立ち、訳もなくメロディを(と言ってもそのまま採用している)聞く為だけにドアボタンを開扉してそのまま音を感じていた。
写真はその瞬間をなんとか残したくて…と残したものだ。
この情景で流れる、若者のすべて。
何もない下吉田の駅で。夜の静まった喧騒を忘れた下吉田で聞く志村氏の歌声は本当に胸を打つものだった。
写真の中に映る『きかんしゃトーマス』の装飾駅名標だけが辛いが…
それでも、志村氏の歌声とあの聴き慣れた美しい夏の終わりを感じるサビを摂取できたのは良い時間だった。
列車が到着するまで、そのままに開けていたドアを閉める。
ドアを閉めた瞬間。ドアを閉めるボタンに手を掛けた瞬間に、自分の山梨県を歩いた旅路が終了する事を強く肌で感じた。
列車は行き違いを済ませ、動き出す。
大月まで、あと少しの旅路だ。
車内には、こうして志村氏のポスターが掲載されている。
このポスターのデザインは、どうやらフジファブリックのCDジャケット等を担当したデザイナーによるものらしい。
気がつけば車内の乗客もかなり減り、あの海外感を漂わせた喧騒が嘘のように静かになっていた。
この時間まで来ると、富士急行6700系の前職である205系としての走りの真髄をじっくりと堪能できる。
国鉄の時代からJRの黎明期を支え、現在でも我が国の僅かな場所とインドネシアの交通を支える、アジアの柱たる鉄道の音色だ。
都市圏を走行する車両がこうして郊外、しかも登山電車として再就職を遂げたのは非常に面白いと感じさせられる。
ちなみに。
現在乗車している富士急行6700系の車両は富士急行の開業90周年を記念した車両であり、車内の座席は富士山をイメージしたモケットとなっている。
写真を見ていただくと座席部に小さいながらにも富士山のマークが見えると思うので、それが目印だ。
途中、大月に向かうまでの間に東京からの中央線はE233系電車ともすれ違った。
特急/富士回遊以外にもこうして東京都心からアクセス列車が仕立てられている事を考えると、非常に富士急行という会社の稀有さがよく分かるように思う。
かつて、JRが乗り入れた会社…として大井川鐵道に富山地方鉄道が挙げられるが、いずれもJRからの乗り入れ運転は終了している。
そうした中で、現在でも往年の名残を残すかのように車両が代わってもJRからの乗り入れを受け入れる富士急行は非常に面白い会社であり、面白い存在ではないだろうか。
またいつかのチャンスとして、この富士急行に直通運転するE233系電車に乗車してみたいところだ。
このE233系電車に遭遇する度に記しているのでもう何回目だ…になりそうだが、新宿や中野といった街中を走っている車両が富士山の麓の山梨県にまで入線してくるのは、非常に違和感が濃い。
頑張らないと、脳も追い付いていかないだろう。
長い道を経た先に
大月に到着した。
下車し、乗車した6700系の金色の車体を撮影する。
富士急行の開業90周年を祝してこの姿になっているそうだが、非常に美しいと思う。特にド派手という訳でもないし、シックに纏まっていると自分は感じる。
乗車してきた中でもこう、モダンに感じる内装だったので自分としては好感触な車両だ。
京都に帰郷してからの話になるが、この富士急行6700系はTOMY TECの鉄道模型で製品化されている事が分かった。
価格はそれなりの値段が付いているが、この思い出を大事にするという点では、志村氏の楽曲を車両の中で聴いた記憶を大事にするというカプセル的な意味では購入して良い気がする…が、足を踏み入れると大きく205系の模型世界に堕ちそうだ。
乗車した記念に、もう1枚。
行き先表示と志村氏のポスターの記念撮影だ。
志村氏のポスターに関しては道中乗車中、何回撮影したか分からないくらいに記録したのだが、『少し多めに撮影しておいた方』が思い出にも残るものだろう。
もう一度になるが、車両の行き先表示。
205系時代には3色のLEDであったのだが、現在はフルカラーのLEDに変更して富士急行6700系として活躍している。
富士山の輪郭をイメージしたようなエフェクト?(というのだろうか)が特徴的だ。
この装備は一部の6000系・6700系のみに装着されている。他の6000系は3色のLEDであり、ある意味で特殊仕様になっていると言えようか。
一応ここも…と撮影しておく事にした6700系の運転台。
昼間や朝の時間帯は観光客もかなりの数が乗車しており、撮影どころの気持ちではなかった。
なので、この富士急行を去る直前の撮影となった…
が、こうして一瞬だけでも切り取ってみるともう完全に運転台だけなら205系と全く変化なしなのである。
目に見えない保安機器関係などは流石に富士急行線仕様に変更されているだろうが、パッと見た感じではもう205系のそのままがその場所にはあった。
「ここまで205系そのままで走ってる…?」
覗き込んだ瞬間の衝撃は何となくではあるものの記憶している。
大月に到着し、自分の降車した横のホームには2本の6000系が停車していた。
1本は通常の6000系。もう1本は『きかんしゃトーマス』のラッピングをしている通称『トーマスランド号』だ。細かく眺めていると、なんとなくではあるがその差異が分かる。
特に足元の排障器(スカート)と呼ばれる連結器付近の部品の違いは明らかだろう。
トーマスランド号は鋭利な角度が入っているのに対し、その横、左に停車する6000系は平らになっている。
なんとなくの間違い探しになるが、こうした部分を突っついて行ける人こそがそうした分野で秀でる事になるのだろう。大して大きくないトリビヤだが。
さて、ここから先。オマケ企画に入っていこうと思う。山梨県の旅路もエンディングに入ろうとしているので、少しだけ間に挟ませて頂く事にした。
おまけ 富士急行の205系たち、その前職
この連載内で。
富士急行の旅路の中で散々のように連呼してきたワードがある。
『富士急行の6000系・6700系はJR東日本の205系が転職して活躍している』
というワードだ。
「本当にそうなのか?」
という疑いもあるかもしれない。
念の為…だが冗談半分で
「富士急行6000系の前職時代であるJR東日本205系の写真を寄贈してくださる方いますか?」
とXにて募集を掛けたところ、1件だけ入ってきた。
写真の6000系トーマスランド号の前職時代が。
写真を寄贈してくださった我が友人、本当に感謝です。
現在はトーマスランド号としての装飾もだが、6000系 6502Fとして活躍するこの車両。その前職となる姿がこちら。
富士急行6000系 6502F(トーマスランド号)の前職、205系時代。
写真で見て分かるように、205系として活躍していた時期は川越を拠点に埼京線・りんかい線直通運転にて活躍し、編成に『ハエ28編成』の編成番号を振られ活躍した。
205系時代…ハエ28編成としての活躍は平成28年まで続いた。その後、JR東日本は長野総合車両センターにて改造され、平成30年に富士急行に譲渡される。
そうして現在の状況にまで至るのであった。
少しだけオマケの話題になるが、この埼京線を走る最後の205系フィーバー…に関しては平成27年から平成28年にかけてだったので自分はなんとなく記憶している。
この時、この写真の205系ハエ28編成は鉄道ファンに『ハエニッパ』と親しまれ、大きな人気を巻き起こした。
埼京線での最後の営業運転に際しては惜別の『さよならマーク』も車両前面に装着され、大きな話題を攫った。
そうした人気者が、一躍富士急行では富士急ハイランドのアトラクション宣伝役に。
何かと運命、よく分からないものだ。
そして最後に。
写真提供にご協力頂きました夕時雨さん、ありがとうございました。
そしてもう1つ。
現在は6000系として活躍する仲間たちの写真だ。
この写真に関しては、ネットから発掘。
フリー写真素材で発見したものである。
しかも車両が装着している編成番号、25番を見た時には驚いた。現在もこの写真の車両は富士急行で現役の6000系の種車なのだ。
ケヨ25編成として、この車両はかつて千葉県の蘇我や幕張などで活躍した。
ディズニーリゾートの最寄り、舞浜にも当然のように活躍で入線しており、中にはこの車両の写真を見て
「ディズニーランドに行った思い出の懐かしさ」
を浮かべる方もきっといるはずだ。
自分もその1人で、家族中でディズニーランドに行った際。舞浜から帰る時だったかにこの205系に乗車した思い出がある。
むしろアトラクションで覚えている思い出、ディズニー内で記憶している話は非常に少なく、205系に混雑の中乗車した思い出や青い201系を見た思い出などは濃く残っている。
そうした自分のオマケ話は置いておいて。
この写真のケヨ25編成は京葉車両センターで平成23年まで活躍した。
なお、このケヨ25編成に関してはもっともっと遡って車両落成時付近まで時間を戻すと過去は山手線で活躍していた実績を持っている。
隠れし山手線OBとしての経歴も持つ彼だが、そんな彼が山手線→京葉線と活躍した後に富士急行6000系 6001Fとして第二の活躍を歩んだのは平成24年の事である。
かつての戦場ではディズニーランドへ乗客を輸送し。現在は富士急ハイランドへ乗客を輸送する役割を担っている。
現在、富士急行で6700系として活躍している車両たちが205系だった時代の記録である。
こちらもインターネット巡回時に回収したもので、この車両の活躍を示す貴重な記録である。
現在はこの八高線での主役をE231系・209系電車に譲っているが、それ以前はこの205系が主役だった。
この6700系に転職した205系の特徴は、中間車から改造された派生系という事である。
この前面形状の205系は現在、宮城県の仙石線で活躍する姿を見る事が出来るが、つい先日の令和4年〜5年までの期間では首都圏の鶴見支線・南武支線でも現役であった。
中間車から先頭車両に改造された205系は川越を拠点に活躍し、主に八高線で力走した。
205系としては別番台に区分され、『205系3000番台』としてヒッソリと生きていた。
八高線から撤退したのが平成30年の事である。その後、他の6000系同様に長野総合車両センターで改造され、富士急行6700系として令和元年に登場した。
既に異端なこの顔は、富士急行線でも目立つ顔となった。
この連載記事内では、NARUTO電車としてカラフルな色合いを。・富士急行開業90周年電車として金色一色の塗装を纏っている車両である。
最後に注記しておくが、実際には連載内で6700系として記している車両も富士急行内では『6000系』と一括りにされており、正式には『富士急行6000系6700番台』である。
だが、連載内では6700系だけ目に見える範囲での差異がかなり多いので、敢えて『6700系』と記している。
東京への橋
さて、オマケ企画はココで終了して。
再び大月駅に戻る。
いよいよ、山梨の旅路も完全な終結に向かっている。
残すは高尾行きの列車に乗車して、そのまま東京行きの列車に接続する事なのだ。
この手法で最終的には東京まで行けるのだが、今回は八王子までとした。
既に時間はかなり夜が更けた時間になっており、東京方面に向かう列車も最終間近になっている。
富士急行の改札を使い慣れた富士急行の一日乗車券で出札し、そのままJRの改札に向かう。
JRの改札からはIC乗車券で入場し、JRの列車に乗る手順を整えていく。
富士急行の一日乗車券に後悔があるとすれば、2日連続で3,000円、かつ特急乗車も可という事であり、最初から2日間乗車可能である点に気付けば良かったとまず悔やんだ。
富士急行の改札からは、自分と同じようにしてJRに乗り換える乗客も一定数いる。そうした乗客たちは既にICで改札を通ってきたのか、そのままJR側の読み取り機にタッチしてJRに向かっていた。
既に大月駅は登山客・外国人観光客も居なくなって鎮まり、冷えた空気だけが流れている。
大月駅の待合室で発見。
埼玉県の秩父方面を聖地としているマンガ作品(アニメ化済み)である『ヤマノススメ』関係の展示を発見した。
富士急行に乗車する際に
「あっ、コレは…?」
と思っていた予感が的中したが、やはりだった。
富士急行沿線が登場するアニメとして有名だが、堂々とその始発駅に置かれているとは嬉しい。
どうやらヤマノススメ、この大月とも縁があるらしい。詳細は全く知らずになるのだが。
東京方面への最終連絡という列車に乗車した。
この車両のまま直接東京へは行けないので、一旦高尾で下車する。その際に東京行きの中央本線の列車が待ち構えているといった具合で最終連絡が成立しているのだ。
乗車した高尾行きの列車は、車内の乗客もかなり疎な状態だった。
時間は流石にもう22時を回っているし、座席は悠々と寝転がれるくらいにはガラガラだ。
大月を発車メロディの合図で扉を閉めて発車すると、そのままあと少しの高尾までの道のりに繰り出していった。
現在乗車しているのは、中央本線のJR東日本区間で主役の211系電車である。
今回の富士急行への旅路では、大月から三つ峠まででも乗車し、富士急行へ直通するもう1つの形式としてJRの都心からのアクセスを担っている。
乗車している211系電車は、モーターをガンガン唸らせ東京方面へ家路を急ぐ乗客を乗せ駆け出している。
そのまま、大月を出て猿橋・鳥沢・梁川と各駅に停車していく。
途中、猿橋から鳥沢までの間にはかつて旧線であった線路を新線に切り替えた猿橋トンネルがある。
ただしかし、自分はこの時東京での過ごし方に関して端末で調査している最中であり、完全に見過ごしていた。
30分も走らなかっただろうか。高尾に到着した。ここで東京に向かう列車に乗り換える。
実はこの高尾に到着する段階で自分は
「本当に接続できないんじゃないか」
と恐怖に慄いており、JRの高尾駅から京王の高尾山口駅までのアクセスも調査しており、あまりにも震えていた事が思えばよくわかる。
こうして分析しても仕方ないのだけれど…
アウトロ〜東京ってすげぇなぁ〜
山梨県の旅路、最後に乗車する列車に乗り換えた。
中央本線、東京行き。
冷静に車内で時刻表を観察していると、どうにか接続する事がわかった。あまりにも先走りすぎた恐怖だと思う。
写真は列車を乗り換えた後に車両越しから撮影した211系電車だが、この青い帯色の車両と別れる瞬間が1番甲信越との別れを感じる瞬間だ。次にこの大地に降り立つ時はいつになるのだろう。
乗車したのは、中央本線の快速/東京行き。
高尾から中央本線の東京方面を文字通り全ての駅に停車しながら歩んでいく列車で、最終的には東京の都心の中心部まで完走する列車だ。まだ夜中でもこうして東京の街中に戻れる足があるなんて、一体この山梨県と東京の間には何があるのだろう。
乗車した車両は、東京の街中を普段から走行している中央本線の東京都心で活躍しているE233系電車だ。
下吉田から先、富士急行線内でも河口湖行きとしてすれ違った、シルバーにオレンジの帯を巻いた車両である。
この車両は言わずもがな、東京の都心で中央特快として活躍しているあの車両だ。まさか山梨の旅路の中で世話になるとは思わず、少々の感動が尽きない。
車内のLCDを記念に撮影したが、現在時間に混ざって表示されている東京までのアクセスできる各駅の数よ。
「本当に終電を繰り上げないといけないくらい、我が国の鉄道乗務員は不足しているなんて本当だろうか?」
とつい疑ってしまいそうになる。
そのまま新宿や中野なんかで今日は一泊してみようか…なんて思ったが、そのまま東京に突っ込んでも翌日の東京観光の味気がなくなるので少し手前の八王子で済ませた。
高尾からの乗換の後、列車はかなり早い接続で出発した。
走り出してからは
「この電車の内装を見ると、一気に東京が近いように感じるんだよなぁ…」
なんて考えていた。
先ほどまでワンワン唸るようにして走っていたモーターの唸りは、新型の車両に乗り換えてから一気に静かな乗り心地とサウンドに変化した。
キュイイイイイイン…と奥行きのある、空気に消えて霧消しそうなサウンドをしている。
無機質な東京を感じさせる自動放送が流れた。さっきまで乗車していた青い帯の211系電車では自動放送というハイテクな設備は搭載せず車掌が全てを案内していたが、この車両ではそんな事は一切なく大体の内容を自動放送が読み上げる。
「次は、西八王子、西八王子、お出口は、左側です。」
この後に続いて英語の自動放送。この車内放送を聞くと本当に東京が近くなってきたと感じさせられる。
さっきまで富士急ハイランドの方にいたのに、まさかこんなに東京を感じさせる車両の車内にもう移動しているなんて、東京とはなんて近いのだろう。
高尾からは西八王子、八王子とかなり早く到着した。
そこまで駅数がなかったのは意外だったというか、ここまで高尾と八王子は近いのかと考えさせられた。
案外、東京は広いようで狭いのかもしれない。
八王子で下車して、今日はネットカフェで一泊する。一白というより、お金を払って雨風をしのぐというニュアンスの方が正しいかもしれないが。
写真は東京に向かって走り去ってゆく高尾から乗車した列車だ。このまま東京の街中に消え、ここから先は持ち前の俊足を発揮していく。
八王子に下車してすぐは終電間近を感じたものの、駅の発車標を見た瞬間にまだ東京方面への列車があり驚いた。
「え?まだ中野行けるんか…?!」
東京はどれだけ列車が充実しているのだろう。大阪だったらもうそろそろ店じまいする頃だと言おうのに。
しかしそうでもなく、駅の改札に向かうとまだ多くの人が行き来していた。
そのまま改札にICカードをかざして、大月からの運賃を支払った。
山梨の自然豊かな場所からこうして一気に街中に引き戻されると、我が国の広さを感じずにはいられない。
いきなり雨に阻まれ、清涼な自然を満喫し、時には楽園に降り立ち、そして最後には人混みに巻き込まれる激動の山梨旅だった。
青春18きっぷ、次はどうしようか…
一応、夏の高校野球までは旅に出ない予定で待機中だ。