ACT.79『眠らない夜』
随一の繁華を
西18丁目から東西線に乗車して、再び大通にやってきた。この大通では札幌市営地下鉄の全路線が交錯し、全ての方角にアクセスが可能になっている。
当初はセイコーマートで探して、ホットシェフでも…と思ったものの、折角の美食の都市に居るのだからやはり何か食べておかねばという気持ちにさせられた。何回かホットシェフでは食べたし、もういいかな…という気持ちが内心混ざっていたのも含まれるのだが。
とここで皆さんお待ちかねのあの時間です。
そう!北海道名物を食しに行ってきます。(ようやくだね)
と、大通から向かったのは日本随一のネオン街にして札幌繁華の集合体のような街、すすきの。そこの道中ももう少し掲載してから名物の方にまいりますので、もう少しのお待ちを。
新しい地下鉄
大通で少しだけ地下鉄を撮影した。札幌市営地下鉄では最も新しい路線、東豊線である。
南北線、東西線と続き、札幌の地下鉄では青のラインで親しまれる地下鉄である。この東豊線だけは唯一の車両更新が実施されており、全ての車両が新型に置換わっている。
車両は9000形であり、平成27年の登場である。この9000形の特徴として、バリアフリーに特化した車両設備。そして近未来的なスタイルを思わせる曲線を多用した車両形状が目立っている。
また、東豊線に関しては車両の両数が唯一の4両編成となっており、他の路線と比較して短い編成になっているのが特徴だ。その為、車両に対して広々とした設計になっているのが特徴だ。
かつて東豊線の車両は角形ライト。そして角張った面を持つ車両。7000系によって開業時から運転されていた。しかし、9000形による置換えが平成28まで実施され、現在の主力車両と交代した。
東豊線の路線の名称由来は、路線の起点駅である栄町が札幌市の東区。そして最終的な終点が福住であり、この福住が豊平区に存在する事から路線名が『東豊線』となった。
東豊線の走る東区周辺では、バスによる混雑が増加し乗車率・混雑率も増していく一方であった。そうした中で昭和63年。問題となったバスの混雑緩和の解消の為に栄町から豊水すすきのまで開通した。
開業当初は乗客に伸び悩んだが、平成4年に豊水すすきのから福住まで延伸されると乗客が増加。
豊平区と東区の住民たちの利用の足として、福住延伸後は大活躍を収めた。
現在もその活躍は続き、札幌市内を支える青い地下鉄としての存在は健在なのである。
この東豊線に関しては、車両撮影が唯一簡単だった地下鉄路線であったように思う。ホームが6両分あっても、実際の車両両数は4両と短かったので停車の様子をじっくり先端で撮影できた。
さて、遅くなったが食事に行こう。
異国か?初のすすきのに思う
南北線に乗車し、すすきのに移動した。
実際には東豊線の豊水すすきの…でも全く同一の場所に到達できるのだが自分は南北線でそのまま乗車していった。
この場所で味噌ラーメンの店を探す。南北線の駅名標をカメラに収めた。『すすきの』の平仮名駅名が自分を歓楽街に呼び込んだ事を実感させる。
前回記事にも記したように、札幌市営地下鉄の特徴というのは異次元的な加速である。
加速度は4.0キロにも達し、鉄輪式の車両で加速を例に挙げるのであればその加速度は『阪神ジェットカー』にも匹敵する勢いである。
ゴムタイヤ独特のシュワァァァァァ…っとしたサウンドを掻き鳴らしトンネルに消え、暗闇の奥からはチュンチュン…キュンキュン…とあの独特のサウンドがこだましたのであった。
余韻を楽しみ、そしてコレから目にするすすきのを楽しみに。自分の札幌への本当の門戸が開けられる。
というかよく見たら車両の表示がオレンジ色の旧表示ですね。この写真。
多くの人垣を掻き分け。喧騒の中に身を投じ、複雑な地下道を歩いていく。
この日。札幌への訪問の際には札幌市民夏の恒例行事である豊平川の花火大会の開催の日であり、車内には浴衣姿の乗客や家族連れ、そして夏祭りに相応しいラフな格好をしている乗客たちで一杯であった。
その客足はJRで札幌に降車した瞬間から広がっており、
「なぜこんなに夏めいた空気なのだろうか?」
という謎の状態であった。
豊平川の花火大会があったと知ったのはゲストハウスに到着してからである。それを知ってからすすきのに再び降り立つと、また街の見方も変わるものだ。
さて。そうした話はここまでにして。
写真の話だ。
南北線に乗車し、地上に上がってから自分を出迎えたのはニッカウヰスキーの巨大ネオンだ。
すすきのに到着した。
「これがすすきのかぁぁああああ!」
自分の心が色めき立つ。
自分は日本随一のネオン街の中にいるのだ。
ストリートライブに客引き。そして若者たちのすれ違うたびに感じる熱気の中に居ると、自分が繁華街の中にいる事を強く感じるのであった。
少しだけ若者たちの熱気に対して、学生服チックな自分は何か萎縮したような足取りでネオンの中に紛れてしまう。
「自分がこの街に混ざって良いのだろうか…」
そうした思いの中で、探した店に向かって歩いていく。
飲み屋、ホテル、カラオケ、パブなどが軒を連ねていく中、中には風俗店やそこに関連した案内所などの施設もある。
すすきのという街の洗礼が、洪水のようにして自分を容赦なく揉んできた。
ちなみに…だが、札幌に『すすきの』という名称の土地名は存在しない。札幌市の中央区の中にそうした名称の繁華街が存在しているだけで、親しみを込めて呼ばれている『あだ名』のようなものだろうか。
実際、洪水や大波のように味わったすすきのの感想だがこうした表現が良いのかどうかは定かではない。
しかし、自分が体感した中では
「アメリカのラスベガスやロサンゼルスのような喧騒に近い」
という感想があった。
しかしこの場所は夜中になっても。日付が変わる寸前になっても未だ喧騒が収まる気配がない。いつまでも眠らない街の迫力を思うばかりであった。
定番の場所で
自分が検索をかけて発見したラーメン屋に向かった。
もう察しの良い方ならこの写真ですぐ分かるのではないだろうか。
そう。北海道味噌ラーメンの名店中の名店であり、札幌市民の魂の味である『すみれ』である。開店している店は自分の知る限り、検索した限りではこの場所しか見つからなかったので安心した。
見ると列が続いている。
「こんな長い列、地下鉄の終電は間に合うんやろか…」
そうした不安の中で並びつつ考えたものであった。しかし、地下鉄に周辺を走行する市電に関してはそろそろ終電を迎えようかという時間帯にも関わらず、店には多くの人が列を形成していた。
これが眠らない飲み屋の真の力か。
列に並んでいる間、建物の隙間の中から市電の姿が見える。
「いやぁ…列諦めて市電撮りに行こうかなぁ…」
「でも市電撮影して初北海道のラーメン逃すの嫌だしなぁ…」
そうした煩悩を抱えつつ、列の中で耐え忍んだ。街の中を駆け抜ける市電の走行音が、自分を更なる誘惑の中に誘っていく。
と、本当に申し訳ないのだがそうした事情で『すすきの』を彩りしもう1つの風景である札幌市電に関しては撮影が最後まで出来なかった。ニッカウヰスキーの巨大ネオンと並んでこの繁華街を代表する風景であるのだが…
ので、岐阜県の旧美濃駅にて保存されている元・札幌市電の車両で皆様には御想像をいただく形といただきたい。時間がないので、彼に『すすきのの情景』としての看板を任せる事にする。(おかしいだろ)
ご対面!!!
ようやく、列も佳境に入ってきた。
「あぁ…味噌ラーメンが近づいている…」
市電が見えなくなる景色なのは惜しかったが、食事にありつける感動には代え難い。しかし名店の行列がこれほどまでに長蛇になるのは想定外であった。
後に京都に帰郷して調査をしてみると、
『すみれは深夜の方が混む』
と記されており、少し納得であった。列が出来ていない方が奇跡なのかもしれない。
また、行列を絶対に避けたい場合に関しては開店と同時に向かうのが1番良いのだろうか。
狭い店内に、ラーメンを啜る熱が伝わってくる。店内の元気な掛け声に、威勢の良い元気で回転していくホール。ピッ、ピッ、と券売機のサウンドも近づいてきた。
そんな中、気になった光景に遭遇する。
「列失礼しまーす。」
と女性スタッフらしき人々が味噌ラーメンをお盆に乗せ、列を掻き分けエレベーターの中に入っていくのだった。
「ん?出前サービスしてんのか…?」
どうやら『すみれ』と同じビル内に入居しているバーによる出前サービスのようであった。
店名を調査してみると、
『着丼まで10分!!』
の謳い文句があり
「なるほどそうだったのか…」
と納得を抱える事になった。
しかし自分にとっては列を描き分けながら、熱々のラーメンを人力でエレベーターで搬送しているのが凄い芸当に思えて仕方なかった。
自分なら絶対に失敗してしまいそうである。
どれだけ待っただろうか…
地下鉄の終電や市電の時間たちと睨み合いつつ、ようやく味噌ラーメンのチケットを手にしたのであった。
チケットに印字された時刻は23時38分。『すみれ』の閉店時刻は0時30分の為、閉店まで1時間を切った段階で入店だ。旭川で遊んでなければもっと早かっただろうし、東豊線を撮影していなければもう少しは早かったかもしれない。
そして、この時点で自分は南北線の最終電車の時間と完全に一人相撲状態であり、
「大通で間に合わなんだら確実に終わる!!!」
と脳の中で地団駄を踏んでいる状態だったのである。
少し離れし東西線沿線で宿泊するとこうしたリスクにもなるのだと痛感するばかりであった。
と、そうした気持ちを若干抑えつつ店内を見渡す。店内には有名人のサインが所狭しと掲示されており、自分が見つけたのはプロ野球選手・千葉ロッテの藤原恭大選手のサインであった。
「藤原恭大がこの場所に来るんだなぁ…」
と脳裏に変わらない幕張のイケメンの姿を浮かべ、待機する。走行しているうちに、自分の座席を案内された。
店内は改めてだが、カウンター席のみの少人数客席で営業されている。
ようやく!!ようやくですよ!こ!!れ!!で!
店員氏による
「お待たせしました〜」
の掛け声で着丼。目の前に味噌ラーメンが広がっている。
味噌ラーメン到着の時点で既に0時の日付を回った状態になっており、実はうかうかしている状態では全くないのだが…
スープを味わい、箸を味噌と脂の海にダイブさせる。
スープは少し辛味があり、そしていてコクがある。また、今を思えば少し生姜のようなピリッとした感触も混ざっていたかもしれない。
「染み渡る美味さだ…」
自分に言い聞かせる。
「セブンイレブンのあのやつじゃないよね?本当のすみれだよね??」
生活の中で見慣れているブランドのホンモノを目にしてしまうと、全く何も言えなくなってしまうものだ。ただただ南北線の終電の事も考えつつ、食し進めていくのみである。
ここからは拙い食に関しての話だ。
実際に『すみれ』の麺を食してみると、たまご系?のちぢれ麺を感じる。ズルズルっ、と勢いよく吸い込んで丁度よく来る感じというのだろうか。
そしてコレがまた上手くスープと絡んで美味しい味を演出するのだ。
また、実際に食してみると分かるのだがクドさ、濃さ、油分のこってりした感触はあまり感じない。むしろ、コクや深み、野菜的な染みを感じる方が印象に残っている。
無心で(終電の時刻とも戦いながら)食べ進め、スープも完飲した。
「ごちそうさまでした!」
足取りも少し早めにして、店を急ぎめに階段から降りた。
「ありがとうございました〜」
との店員の声を耳にして、すすきののネオン街の中に身を再び投じる。
本場・すみれがここまで美味かったとは。
並んでしまう結果にはなってしまうが、北海道訪問でまた余裕が出来た際には向かってみたいものだ。
vs終電
南北線を、再び大通まで乗車する。少しだけ余裕を残して、終電に間に合った。
だがしかし。ここから先、自分は東西線に乗車せねば帰れない。大通まで向かって、再びあのオレンジ色の地下鉄に乗車する。
あのノスタルジックなサインが再び自分の目の前に現れた。この時の安心感はやはり只者ではない。
再び、宮の沢方面に向かって乗車し何とか最終の電車に飛び乗った。
すすきのが近い…からなのか、それとも夏季のシーズンだからなのか。地下鉄には多くの乗客が集まり、混雑の様相を呈していた。
この情景には、札幌市営地下鉄を提案しこの街の交通手段として発展させた大刀豊もきっとニッコリの光景に違いない。
無事に地下鉄の入線を見届ける。宮の沢行きの最終電車が大通に滑り込んできた。
「ちゃんと帰れた…良かったぁ…」
安心感を盛大に感じつつ、再び円山公園方面に向かって帰る事にした。
そして、よく写真を見ると行き先表示がオレンジ単色の未更新車両である。時々、バックに時計台などを映した更新車両に遭遇するのだが、やはり図鑑などで見慣れた未更新表示に遭遇し乗車するのは気持ちが良いものだ。
豊平川の花火大会も終了し、札幌の活気に満ちた夜が終わろうとしている。自分もそうした喧騒の中に飛び込んで、束の間の夏の非日常な活気を味わった。
東西線に乗車後、西18丁目駅で再びの下車。
ゴムタイヤ独特のサウンドに異次元的な加速を見届け、地下鉄での一夜が終了した。
列車が去っていくと、再び独特なチュンチュン…キュンキュンっ…!と独特な札幌にしかない音がトンネル内でこだまする。
そうした中で、終電を下車して感じる微妙な静けさ。階段を登って改札を抜け、足取りで感じる1日の終わり。そして地下鉄も、始発電車まで束の間の眠りの時間だ。
東西線に関しては何度も記しているように、とにかくサイン類が『ノスタルジック』になっているのが特徴だ。中には東西線の開業時。延伸開業で駅が出来た当時のものもあるのだとか。そうした中のサイン類に囲まれていると、車両の平成10年代で停止したデザインも相まって自分がタイムスリップしたような時間をこの地下鉄で味わったような感覚になってしまう。
写真は互いの最終電車が駅を発車した後に点灯するサインだ。この深夜帯しか点灯しない表示の為、光っている姿を確認できるのはある意味で珍しいのかもしれない。
なんというか、このサインが光るまで自分は動いていたんだなと訴えを感じるというか、複雑というか…
この日は旭川〜北見〜旭川〜札幌と鉄道で移動し、すすきので味噌ラーメンを食しとかなりの大移動、そして大忙しな時間になった。
翌日はこの独特なゴムタイヤ地下鉄の機構を眺める事の可能なあの区間に向かおうと思う。
それまで地下鉄。札幌の街並みと共にしばらくの就寝だ。