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それでもまだ仕事がしたい・シニアの決断

60歳を迎える前に仕事は引退した。
もちろん暇なので自宅でもできる仕事を探してみた。
その結果WEBライターとオンライン講師を少しやってみた。
オンライン講師は年齢のせいだろうかなかなかオファーが来ず開店休業状態だった。
WEBライターは思った以上に楽しく一時期は夢中になって案件を探し
せっせとパソコンに向かったがある日を境にやる気が霧散してしまった。

冷静に時給換算すると500円にもならないのだ。
これでは欲しいものも買えないし飲みにも行けない。
冷たく感じられるクライアントからのフィードバックに一喜一憂していたのが馬鹿らしく思えてきたのだ。

別に開業したわけでもないので辞めたというわけではないがこちらも開店休業が続いている。

ふと考えた。
もうシニアである。あと20年生きるかどうかであろう。
もっと遊びたいと正直思った。

この年になっても色に対する欲、酒に対する欲は減らないらしい。
おじいさんはもっとスッキリと枯れるものだと思っていたがどうして
なかなかまだ生臭いようだ。

欲を満たすには金が必要だ。
というわけで仕事を探した。
もちろん自身の精神の不安定さは分かっている。
正社員で8時間/日 週5の勤務は無理だろう。いや逆に60過ぎの私を雇ってくれる先は福祉もしくは警備関連以外はないだろう。
正直、上記のどちらの業界もやりたいとは思わない。

塾のバイトなら年齢も関係ないだろうと思った。
個別塾は面倒な気がしたので給与の高い集団塾に応募をした。
結果は全敗。

面接にすらたどり着けなかった。

仕方ない大学生と一緒に働くのは本意ではないが。
個別塾の大手に応募した。
流石に面接まではいくだろう。筆記試験は勘が鈍っているので自信がないが・・・。

ところが個別塾も書類でことごとく「お祈り」されてしまった。

世間は人手不足だと聞いていたが違うのか?
塾業界はどちらかといえば労働環境も良くないはずなのに。

気を取り直して応募する業界を広げてみた。
いわゆる「高齢者」も雇ってくれそうな仕事。
マンション管理・学童保育・人材紹介など。

すると今回はことごとく面接まで到達することができたのだ。

一時期私のスケジュールは面接でいっぱいになるほどだった。
少しばかりの承認欲求は満たされた。

一番最初の面接は学童放課後スクールだった。
塾で10年以上子供に関わってきたからその経験が生きるだろうという安易な考えから応募した。
自宅から原付で10分以内という距離にも魅力を感じた。
通勤時間はできるだけ短くしたい。通勤時間もある意味拘束されるのに時給が発生しないからだ。

面接の担当者には責任者と思われる男性がでてきた。
30代半ばだろうかカジュアルで明るい印象。
仕事の内容について丁寧に説明してくれた。
この施設ではADHDやLDの子供が多いのでその辺の難しさも話してくれた。
かなり前になるが、こうした子供たち対象のボランティアを数回したことがあるのでなんとなくではあるがイメージはつかめる。
面接の印象は良かった。
家からの距離も近い。原付で10分もかからなかった。

私が望んでいる人と関わって働く。
人から刺激をもらって自分を変えていく。
こういった希望はかなえられそうな職場だ。内定をもらったらOKするつもりで退出した。

5日ほどして内定の連絡をもらえた。
19日からの出勤とのことで余裕があるのもありがたかった。
少しワクワクしている自分に驚いている。

アルバイトを決めたのと同時に他社の面接には電話やメールで辞退の連絡を入れた。
1社だけは例外で面接を受ける。
人材紹介の会社で在宅で完結するのが魅力だからだ。
正社員になれるうえに、給与もそこそこもらえるのも大きな魅力の一つ。

面接は初回から社長面接だった。
在宅中心の会社だけあってWEBでの面接である。
仕事の内容を丁寧に説明してもらえた。自分にできそうという感触と難しいかもという躊躇が半分半分。
2次面接も社長とのWEB面接。
面接に臨む前にPDFで会社概要や給与についての資料を送付してもらえた。
100%コミッション制の業務委託と社員のどちらかを選べる。

頑張った分、大きく稼ぐのも魅力だが私の場合はある程度で十分である。
決まったら社員の道を選択するつもり。

3回目は指導員ともいうべき女性トレーナーとの面接。面接というより
カジュアルにいろいろ話ができた。
この職場でも社内外を問わず色々な人とかかわりを持てそうだ。
面接の結果内定をもらえた。

仕事の開始は少し先だが3月18日になる。
学童と同時に始まらなかったのはラッキーかもしれない。
これから2つの仕事を並行してする。そんな生活リズムをつくる。

なぜ、今さら人とのかかわりにそこまでこだわるのか?
それは自身を社会の軸とつなぎ留めておく要素だと考えるからだ。

正直今までは社会とのつながりなどことさら意識することもなかった。
でも今は違う。
1人で自宅のPCに向かっていても社会とのつながりを感じることができない。たとえクライアントとメールなどでやり取りをしたとしてもだ。

自分に対して寂寥感、孤独感を感じていたところだった。

だから私は積極的に仕事を探したのだ。
誰かと関わって歳を重ねたい。

それにまだまだ欲から解脱できていない。

今の自分の欲を満たすためには人と関わりつながり、その上でお金を稼ぐ
必要があるのだ。

60歳を迎えある程度やり切ったと思えた。
さしあたり目先のお金の心配もない。

それでも私は世界とつながっていたいので仕事がしたいのです。

人生において60歳は終末の始まりといえるかもしれない。
悲壮感でなくただ少しでも彩を加えたい。

死ぬ前に後悔はしたくない。
仕事をしてお金を稼ぎその金で遊ぶのだ。

そう、私はそれでもまだ仕事がしたい。

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