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中東の歴史かんたんなまとめ 第一次世界大戦 WWI The creation of the Modern Middle East

中東史について書いてみる。英語で学んでいるので、恐らく日本で普通に皆さんが学校や書物で学ぶ部分と解釈やニュアンスが違うかもしれない。(勿論日本側の視点で日本の教科書には書かれ、私が学ぶのは欧米側視点なので若干違うだろう)。また、英語の方が日本語で学ぶより論理的でわかりやすい部分もあると思う。自分の備忘録であり、初心者レベルで誰でも知っていることしか書かないが、日本の書き方と比較しながら書いてみる。


アラブの人にとっては第一次世界大戦が最大に運命を分かつ戦争であった


日本人にとって戦争といえば、第二次世界大戦のことになると思う。アメリカ人にとっても勿論未だに第二次世界大戦で戦ったおじいちゃんなど生存しているケースもあり身近である。しかし近代の中東にとって、「第一次世界大戦」の方が身近であるらしい。歴史の大きな分かれ目と見るし、Eruopean diplomacyやイギリスフランスの絶大な力により中東が分断された歴史による。この出来事によりアラブにとって、ヨーロッパに対する根強い不信感が残っているのも事実である。


ー第一次世界大戦
ーオスマン帝国がそろそろ崩壊しそう
ー中東地域は簡単に手に入る状況
ーオスマン帝国はドイツ側であり、その決断は帝国の崩壊を意味していた

Would soon be up for lucurative colonies
At this point Europe was expert in setting up colonies in Africa all throughout Asia extracting resources from them and administrating them effectively. ヨーロッパはアフリカアジアに於いて既に資源を引き出したり、植民地行政のプロだったので非常に上手く管理を行った

Consequently, the systems for political and administrative operations were set up.
その結果、政治と行政システムが構築された。

この時の流れを非常に上手い政治を行ったと表現している
一方日本ではイギリスの三枚舌外交と教科書で習う


という具合に、イギリスフランスは外交のプロであり上手い政治を構築したと表現している。

日本の書き方:イギリスの三枚舌外交

サイクスピコ協定


1916年フランスとイギリスが秘密裏に協定
フランスはレバノン、シリア、南トルコ
イギリスはそれ以外のアラビア半島、パレスチナ(ロシアは途中で抜けるので言及なし)
Jerusalem would serve as a globally safeguarded city and a sanctuary for Jewish people.イェルサレム周辺地域は国際管理地域とする

日本の書き方:
第一次世界大戦が始まり、中にイギリスフランスロシアの三国で結ばれたオスマン帝国領の分割をとりきめた密約。1916年5月16日、イギリス・フランス・ロシアの三国首脳は秘かにペテログラードに集まり、大戦後のオスマン帝国のアラブ人地域について、

  • イギリスはイラク(バグダードを含む)とシリア南部(ハイファとアッカの二港)

  • フランスはシリア北部とキリキア(小アジア東南部)

ロシアはカフカースに接する小アジア東部というように分割して領有し、パレスチナ(イェルサレム周辺地域)は国際管理地域とするという秘密協定を作成した。(資料:世界史の窓)


1923年オスマン帝国崩壊

In 1918, the Ottoman Empire faced defeat, leading to its dissolution in 1923. The boundaries were established in a rather random manner.国境はどちらかというといい加減に決められた。
Not based on National History歴史ではなく、
Geographical features地理的状況でもなく
Or opinions of inhabitants住人の意見でもなく分割された

日本の書き方:未だに西アジアは苦しめられている。
西アジアはこの協定によって、現地の人々の意志や希望に一切配慮のない新たな人為的境界線が引かれることとなりました。 1918年11月に第一次世界大戦が終結し、1922年にオスマン帝国が崩壊した後も、西アジア統一ではアラブ諸国の一致団結した独立は実現せず、代わりにイギリスとフランスが、1919年1月に始まったパリ講和会議の議論を経て、「委任統治」という形でこの地域での影響力強化に成功しました。まだ自立しえない人々が居住している地域の統治を先進国に任せるというこの制度によって、西アジアのアラブ諸国割のために、その後数十年間にわたり多くの戦争や対立が起きることとなりました。(資料:Pars Today  https://parstoday.ir/ja/news/west_asia-i124352)


イラクについての分割は


Iraq for example, Winston Churchill drew up plans for Iraqイラクを例に取ると
Three province from Ottman provinces3つのオスマン帝国領土が分断された

  • Kurd in the nort北にはクルド人

  • Sunni Muslims in the centre中央にスンニ派

  • Shia Muslims in the south南にシーア派

日本の書き方:チャーチルは中東の分割を支援し、イラクのような場所で国家と災害を生み出しました。(ウインストン・チャーチルは怪物だった https://worldbeyondwar.org/ja/winston-churchill-was-a-monster/)

The decision of Winston Churchill and other British admministrators explain where this tention in the Middle East today and why it seems that nations ever either fall into a theocratic regime a brutal dictator or something that is a much better anarchy and the reason is this.  .
これは、ウィンストン・チャーチルや他の英国行政官の決断が、今日の中東でこのような状況に陥っている理由や、国家が神権的な体制や残忍な独裁者、あるいは無政府状態はこの英国のせいだと説明している点である。

Winston's hicupウインストン・チャーチルのくしゃみ

ウインストン・チャーチルのくしゃみという逸話がある
Jordan’s borders are so jagged and strange理由はランチを食べすぎた午後に地図を分割する際、大きなくしゃみをしたからギザギザな国境線が引かれているという都市伝説があるほどである。

1923年トルコをケマル・アタチュルクが作った

おわりに

いきなり第一次世界大戦の後、イギリスフランスがアラブの国々を自分の植民地にした、そしていい加減に分割した。あいつらとんでもない!!!と怒られても???なんのこと?とよくわからないかもしれない。またそれが直接アラブの揉め事の原因と言われてもつながり等なんの説明もなく、わかりにくくてごめんなさい。自分が受けた動画授業の内容を薄く紹介しました。

今もアメリカ人はアラブに対する反感は根強いだろうし、このような授業についても先生は言葉を選ぶようだった。しかし、I want to stress と英国行政の決断を批判する言葉もあった。中東紛争の火種を作ったのはイギリスでしょうね。何かご意見があったらまた教えてください。



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