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『死』はサプライズなエンターテイメント

死について、老いについて、大量の本が出版されているが、これ以上に心動かされた本はない。横尾忠則氏の『老いと想像』。

横尾さんのアート作品はずっと若い頃から大好きだった。

87歳で出版されたこの本の中にはこんな記述がある。
『孤独の前には光り輝く太陽があるのです』。『人間は遊ぶために生まれてきたのです』横尾さんがこう言うと、言葉は重みをもつ。

表現のオリジナリティーなんて、必要ないと、横尾さんはどこかのインタビューで言い切っていた。オリジナリティにこだわっている間はオリジナリティは得られないし、大体、表現にオリジナリティなんて必要あるのだろうかという考えは興味深い。

絵の鑑賞の仕方は、りんごの食べ方や排出と同じようなもので、やり方などない、とも言っている。本当にそうかもしれない。

巨匠ダリに会った時の一晩や、ずっと昔、坂本龍一さんや細野晴臣さんと一緒にYMOに入る予定だった、なんて驚きのエピソードもある。

三島由紀夫とのつながりについては、こんな話しを語っている。三島氏は、『人間に不可欠なものとして礼節は必要だ。例えば、縦糸が創造だとすると、横糸が礼節だ。この2本の糸が交じわったところに霊性が宿る』と言ったらしい。そして横尾さんに対して『「君の作品には礼節がない。実に無礼だ。しかし、芸術作品には礼節がなくてもいい』と述べたというのも面白い。

横尾さんは、こんなことも言っている。『僕はもともと主体性のないというか、運命に従がうような生き方をしている人間なので、白黒はっきりつける生き方は自由を束縛されて、生きにくい、優柔不断かも知れないが、その時の気分に従がう方が、時には計算外のスリリングが味わえて面白いと思うタイプの人間です。』

横尾さんのこんな言葉を聞くと、無頓着な人に運はついてくるなあ、と感じる。グラフィックデザイナーになったのも、たまたま作品を見せていた喫茶店で、たまたま通りがかった神戸新聞の編集者にスカウトされてなったし、画家に転向したのも、たまたまピカソの展覧会でふっと時が熟すのを感じたからだと言う。


そして最後に、次の言葉は本当に重みがある。横尾さんにとって、『死』はサプライズなエンターテイメントであるとのことだけれど、次の言葉となんだかとてもしっくりと合う。

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